追悼

田部井淳子さんをしのんで

 
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制作・著作 読売新聞

登山家の田部井淳子さんが昨年10月20日に亡くなって1年。
1975年5月16日午後0時30分、エベレスト(8,848メートル)に世界で初めて女性として登頂したのが田部井淳子さんでした。
この日本女子登山隊に読売新聞の取材団が同行し、偉業までの道のりをカメラに収めていました。
読売新聞のフォトアーカイブから、田部井さん本人が撮影した写真も合わせて紹介し、田部井さんをしのびます。
(2017年10月、データベース部・青木久雄、本間光太郎。協力・タベイプランニング)

女性として世界で初めてエベレストに田部井淳子さんが登頂した

山頂で日本とネパールの国旗を手にする田部井さん

登頂を伝えた1975年5月17日 本紙夕刊。1面をほぼ埋め尽くす偉業だった

1975年5月18日 本紙朝刊。田部井さんとアンツェリンさんは山頂でフィルムカメラと8ミリで撮影をした

1975年5月24日 本紙朝刊。田部井さんと現地取材班が撮影した貴重な記録が、ようやく紙面になった。当時はインターネットなどなく、リアルタイムで偉業を伝えるには限界があったのだ

1975年5月24日 本紙朝刊グラフ面

エベレストの頂上に立つ田部井さん。本社に残された記録によると、このフィルムは現地からカトマンズ経由でタイ・バンコクに空輸され、バンコクで現像・電送されて5月24日の紙面に掲載された

登頂に成功した後、第2キャンプに戻り、登山隊メンバーに向けてピッケルを挙げる田部井さん。後方はシェルパのアンツェリンさん

田部井さんと共に登頂し、ネパール・日本の両国旗を手にするシェルパのアンツェリンさん。この写真は田部井さんの撮影。登頂したのは2人だけなので、お互いに写真を撮り合った

16日朝、登頂前の一夜を明かした海抜8、500mの第6キャンプのテントを出るシェルパのアンツェリンさん。後方はマカルー =田部井さん撮影

快晴のエベレスト頂上から撮影した中国側の山々=田部井さん撮影

無線で、第2キャンプに登頂の報告をする田部井さん=アンツェリンさん撮影

第2キャンプで登頂の知らせを無線で受け、喜びの久野英子隊長ら

エベレスト(3月25日、カラパタールの丘から)

ヌプツェ稜線のヒマラヤ襞(ひだ)(3月25日、第2キャンプから)

登頂成功までの記録(順不同)

ベースキャンプが完成し、記念撮影

タウチェでの酸素マスク使用訓練。後方はアマ・ダブラム

装備の運搬 キャラバン途中

キャラバン途中、氷塔

C1からウエスタンクム氷河をルート工作

ガーゼで日焼け防止をする隊員

クレバスの間を慎重に進むシェルパ

アイスフォールの難関、クレバスにハシゴをかけ登る。転落と、氷ブロックの崩壊に緊張が続いた

アイスフォールの難関、クレバスにハシゴをかけ登る。転落と、氷ブロックの崩壊に緊張が続いた

ローツェフェースの斜面を登るシェルパ(5月12日)

ヌプツェ(正面)から起きた雪崩(第2キャンプで)                    

ヌプツェ(正面)から起きた雪崩(第2キャンプで)                    

ヌプツェ中腹からの雪塊が崩れて起きた大雪崩でテントなどが押し流された第2キャンプ(5月4日)                       

隊員が負傷した第2キャンプで装備などを掘り起こすシェルパら(5月4日)

酸素を吸って眠る登頂アタック隊員の田部井さん、渡辺さん(第4キャンプで)

第4キャンプからサウスコルへ向かう(5月14日)

登頂し、手を広げてポーズする田部井さん

登頂後、ベースキャンプに戻り、パートナーのアンツェリンさんに肩車され、喜びの万歳をする田部井さん。右は久野英子隊長

登頂後、ベースキャンプに戻り、パートナーのアンツェリンさんに肩車され、喜びの万歳をする田部井さん

ファイヤーを囲み成功を皆で祝う

ファイヤーを囲み成功を皆で祝う。シェルパダンスが夜遅くまで続いた

ネパール国王から同国最高のグルカ勲章を授与された(左から)久野英子隊長、田部井淳子登はん隊長、シェルパリーダーのアンツェリンさん(5月30日、王宮内で)

夕日を浴び輝くエベレスト(カラパタールの丘から)

【制作】読売新聞データベース部 【協力】(株)タベイプランニング
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