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    がん治療:創薬

    松本邦夫 金沢大学がん進展制御研究所 教授

    • 松本邦夫・金沢大学がん進展制御研究所教授
      松本邦夫・金沢大学がん進展制御研究所教授

     創薬の歴史を振り返るために、糖尿病の治療薬が見つかっていなかった100年ほど前の話をしたい。

     糖尿病は、尿と一緒に栄養分のブドウ糖が体から抜けてしまう病気だ。糖尿病の子供は、やせこけ、やがて亡くなっていた時代だった。

     糖尿病を克服した有名な薬に「インスリン」がある。インスリンは1921年にカナダのトロントにいたバンティングとベストという2人の青年によって発見された。きっかけは、街の小さな病院で外科医として勤めていたバンティングが、血糖値を下げる謎の物質が膵臓(すいぞう)にあるらしいという論文を読んだことだった。

     バンティングは21年7月~9月の3か月間、トロント大のマクラウド教授に実験室を借りて、大学にいたベストという青年と一緒に実験して、インスリンを発見した。22年の正月に、糖尿病でやせこけた少年に牛の膵臓からとったインスリンを注射した。糖尿病の末期だった少年は、意識不明の状態だったが、インスリンの投与後に目を覚ました。1か月間、インスリンを毎日投与した少年は、普通の少年のように元気になった。これが、「トロントの奇跡」と呼ばれている。

     「トロントの奇跡」を世界に広げたのは、アメリカで街の薬局を経営していたイーライ・リリーだった。

     あるとき、1人の少女が薬局にやってきて、「母親が医者から見放されて助からないと言われている。お小遣いを全部持ってきたので、母親を救う奇跡、ミラクルを下さい」と頼んできた。これがきっかけとなってイーライ・リリーは、科学に裏付けられた医薬品を作り、人々を病気から救いたいと、製薬会社を作った。牛の膵臓を集めて工場で瓶に詰めて販売し、インスリンが世界中に広がった。今では糖尿病で亡くなる少年や少女はいなくなった。

     インスリンを発見したバンティングは1923年、マクラウド教授と一緒にノーベル生理学・医学賞を受賞した。ベストが受賞しなかったことに腹を立てたバンティングは、ベストと賞金を分け合ったという有名な話が残っている。

     インスリンが、たんぱく質の一種であるということが分かってきたのは、それから40年以上がたってからのことだ。体の大部分はたんぱく質から出来ている。たんぱく質は、アミノ酸が数珠のようにつながって出来ている。アミノ酸は、グルタミン酸など20種類ほどあり、インスリン全部で51個のアミノ酸がつながっている。その設計図が遺伝子に書き込まれている。

     細胞の中には、染色体が入っている「核」がある。染色体を拡大すると、二重らせんの形をしたデオキシリボ核酸(DNA)が見えてくる。DNAは、グアニン(G)、シトシン(C)、アデニン(A)、チミン(T)の4種類の部品で出来ている。遺伝子に書き込まれたアミノ酸は「ATG」「GGC」といったように三つの文字で表される。インスリンの設計図が分かると、あとは遺伝子組み換え技術を使って、大腸菌に人の遺伝子を組み込む。すると大腸菌がインスリンを造ってくれる。

    • 図1
      図1

     たんぱく質は、細胞の増殖でも重要な役割を果たす。細胞は、「細胞増殖因子」というたんぱく質の刺激で分裂を促される。この仕組みは、スタンレー・コーエンとリタ・レビ・モンタルチーニという2人の科学者が、1950年代に発見した。発見した増殖因子の一つの「表皮増殖因子(EGF)」は53個のアミノ酸で出来たたんぱく質だ。

     細胞は、脂肪で出来た膜で壁を作り、水を通さない仕組みになっている。細胞の膜には、受容体と呼ばれるパラボラアンテナのような物が付いていて、外からのシグナルで増殖のスイッチがオンになる。このシグナルになるのがEGFだ。

     細胞の増殖のオンとオフをつかさどるたんぱく質をつくる遺伝子が傷ついて、細胞を異常増殖させるのが「がん遺伝子」だ。遺伝子は紫外線などの刺激で、1日5万か所が変異する。この変異が修復されないと、遺伝子の「傷」になる。

    • 図2
      図2

     有名ながん遺伝子に「RAS」がある。EGFが細胞膜の受容体にはまると、細胞内で分裂のシグナルがバケツリレーの様にして核まで伝えられる。RASは、細胞内でシグナルを伝える役目を果たす。RAS遺伝子が傷つくと、RASは増殖を促すシグナルを送りっぱなしになってしまう。これが、細胞のがん化だ(=図1)。

     がん化した細胞が、正常細胞と混ざると、がん細胞ではなくなることが分かっている。つまり、細胞にはがん化を抑制する遺伝子があるということだ。この「がん抑制遺伝子」に傷が付いていると、がんを抑え込むことができない。米国の人気女優、アンジェリーナ・ジョリーさんは、遺伝子検査の結果、がん抑制遺伝子に変異が見つかったため、乳がんの予防目的で両乳房を切除した。

     がんの治癒率は徐々に向上している。基礎研究によって新しい医薬品が生まれているからだ。

     よく使われている抗がん剤は、正常な細胞もがん細胞も区別することなく殺してしまう。すると、髪が抜けるなどの副作用がでてしまう。これに対して、20年ほど前に、細胞の増殖を促すたんぱく質だけを狙って、その働きを止められないかと考えられ始めた。これが分子標的薬だ。

    • 図3
      図3

     最初に有名になった分子標的薬は、グリベック(=図2)だ。グリベックは、慢性骨髄性白血病の患者さんでみつかった異常なたんぱく質だけを止めることに成功した。グリベックの登場で、5年生存率は95%と飛躍的に改善した。医学の歴史に残る大きな発見となった。このほか、肺がんではイレッサやタルセバ、乳がんではハーセプチンなどと様々な分子標的薬が開発されている(=図3)。

     グリベックから始まった分子標的薬は現在、40種類を超えた。今後も、がんに関する基礎研究の成果が最終的に治療につながっていく。

    松本邦夫(まつもと・くにお)
     1981年金沢大学理学部卒業。86年大阪大学大学院理学研究科博士課程修了。大阪大学医学部助手、九州大学理学部助手、大阪大学医学部助教授などを経て2007年から現職。

    【質疑】

      分子標的薬に副作用はないのか?

      臨床医ではないので、詳しくはわからない。肺がんについては講演前に専門の先生に確認してきたが、副作用はある。例えば、イレッサの場合は、投与量が多すぎると肺に炎症ができる間質性肺炎で亡くなる人がでた。ただし、細胞を殺す抗がん剤に比べるとマイルドだ。

      グリベックは合成された物質なのか?

      自然界にない合成品だ。

      「病気は気から」という考えで健康診断を受けたことがない。

      病は気からというのも一つの選択肢だと思う。私は、分子標的薬など抗がん剤の研究をしているが、日々の免疫力を高めることも大事だと考えている。食事にも気を使うことは大事だ。

    2015年04月23日 Copyright © The Yomiuri Shimbun
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