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    「脳とは、認知症とは、そしてこころとは」

    新潟大脳研究所 高橋均教授

     脳の病理を研究している。専門は、脳の形態学。脳腫瘍のような病気では、生検して悪性かどうかを診断してお返しするような仕事もあるが、大半は、亡くなった人の脳を見せていただく。亡くなった方の脳を研究して、その知見を診断や病態解明に役立てる。

     人間の脳の重さは1200~1400グラムくらい。体重の45分の1程度だ。クジラの脳は9200グラム、ゾウは4000グラムもあるが、体重と比較すると、人間は相対的に大きい。ここから考えても、知識や知能は脳の重さで決まるものではないことが分かる。

    • 図1
      図1

     これ(図1)は、17週で流産した胎児の脳だ。人間の脳は、本当はしわがいっぱいあるが、胎児の脳にはちょっと線があるだけ。でも、大脳や小脳、脳幹の形は分かる。このときに顕微鏡で見ると、稲穂のような形の、ものすごい数の小さい細胞がたくさんある。これは将来、神経細胞になろうとする細胞で、どんどん増えていく。満員電車のような、ほとんど隙間がない状態だ。

    • 図2
      図2

     これ(図2)は23週の胎児の脳。だんだんしわが増えてくる。実は、この時期になると神経細胞はもう生まれない。これからできるのはグリア細胞という神経細胞を守る細胞だ。最初はとにかく細胞をいっぱい作り、いずれは神経細胞になる細胞だけができる期間になる。そしてある時期を過ぎると、神経細胞は生まれなくなって、グリア細胞だけができることになる。これは、おなかの中にいる段階でできあがってしまっている。そして、大人になっても、もう新たに神経細胞はできない。

     脳は、3歳には約1100グラムに成長する。(図3)「三つ子の魂百まで」というが、3歳には立派な脳ができる。つまり、ほとんど3歳までに、脳はネットワーク形成を終わるということを意味する。だから三つ子の魂百までというのは正鵠(せいこく)を得ている。

    • 図3
      図3

     オオカミに育てられたといわれる子供が報告されている。本当かどうかは分からない。でも、もし、ちゃんとした栄養だけはもらうことができれば、立派に成長するのではないかという気もする。というのは、遺伝子は人間なのだから。

     こうした話は捏造(ねつぞう)だという報告もあるが、インドではそういう迷い子の話は昔からたくさんある。ジャングルで何年間か過ごして見つけられた子供というのは、オオカミのように寝て、オオカミのように食事した。最後、亡くなるまで言葉は話せなかった。つまり人間に育てられなかったら、一般の人間のようにはなれないのだ。クリティカルピリオドというのがあり、ある時期を過ぎたら、人間らしさや優しさ、ひいては心を獲得できなくなる。赤ちゃんは母親に愛されることで、人を愛することを脳に刻んでいる。

     サイエンスという雑誌に報告された例だが、ある研究者が、渡りをする鶴の子供を親から引き離し、放鳥したところ、渡りはできなかった。社会性は、親たちと一緒にいることで培われることを、渡りをする鶴の子供たちで証明した。

    • 図4
      図4
    • 図5
      図5

     これ(図4)は、新潟大学の統合脳機能研究センターで撮った磁気共鳴画像(MRI)の写真。頭痛があったということだが、調べても異常は見つからなかった。ただ、この人を追跡して、たとえば10年後、20年後、30年後に撮った場合、脳がだんだん小さくなっていくということだけは間違いない。調べると、20歳の時の脳と比べると、80~90歳になると脳の細胞は30~40%も死んでしまっているという。神経細胞の間を埋めているシナプスの密度を調べると、これもやはり、20歳に比べると、80歳では30%くらいなくなっている。

     大脳皮質という、脳の表面にある知覚や思考に関係する部分では、神経細胞は140億個くらいといわれている。(図5)180億~200億個という文献もある。だいたい150億個と考えて、20歳から80歳までの60年間で20%の細胞が死ぬとして計算すると、だいたい1秒間で1.6個も死ぬことになる。こうして話を聞いている間にも、どんどん細胞は死んでいる。タバコを吸っていると、もっと早いかもしれない。数の上では、どんどん神経細胞は減っていく。

     細胞をどんどんと増やそうというサイクルに関わっているたんぱく質がある。がん細胞では、このようなたんぱく質がたくさんはたらいている。神経細胞は分裂しないのに、そのようなたんぱく質がはたらいているが、シナプスの可塑性や、情報伝達に大事な役割をもっているのではないかと言われている。ある意味、がんのようなものが老人斑だ。アミロイド・ベータという物質がどんどん細胞のすきまにたまり、その量を増やしていく。若い人にはないが、年を取ると出てくる。脳のしみ、そばかすのようなもので電子顕微鏡では糸くずの塊ように見える。

     さらに続いて、硬い線維状の物質、リン酸化タウというたんぱく質がたまることが分かっている。リン酸化タウがどんどんたまると、脳に悪い影響を与える。老人斑だけでは、認知機能にあまり影響を与えないが、リン酸化タウがたまると神経細胞が死に、アルツハイマー病、つまり認知症の発症へと進行していくことになる。老人班の形成(アミロイド・ベータの蓄積)から発症まで10年、20年もかかると言われている。感染症にたとえると、アルツハイマー病の潜伏期は10~20年ということになる。残念なことに、それが分かっていても、現状ではそれを止めることができない。

     いまアルツハイマー病の患者は400万人ほどいるといわれており、75歳くらいから急激に増える傾向にある。ただ、私は、あと20年くらいあれば、アルツハイマー病も治る病気になると信じている。

     たとえば京都大学の研究者が、アミロイド・ベータに特異的にくっつく抗体を作り、増えるのを止めようとする研究をしている。これまでの免疫療法の経験では脳炎を起こしてしまっているが、その治療法の原理は正しいと考えている。これからは、こうした技術の精度を高めるとともに、炎症反応を起こさないような手法の開発も必要だ。

    (たかはし・ひとし)
     1979年新潟大学医学部卒。81~83年、米アルバート・アインシュタイン医科大学リサーチフェロー。91年に新潟大学助教授、95年から教授。新潟大学脳研究所長も務めた。2014年から、新潟大学理事。

    【質疑応答】

      アミロイド・ベータとリン酸化タウの関係を教えてほしい。

      アミロイド・ベータがたまると、引き続いてリン酸化タウがたまる。そういう前後関係があることだけは分かっている。ただ、なぜアミロイド・ベータに続いて、リン酸化タウがたまるのかは分かっておらず、いま多くの人が研究している。また、アミロイド・ベータがたまっても、リン酸化タウがたまらない事例もある。実際に神経細胞を殺すのはリン酸化タウであるということでは、多くの研究者の共通認識だ。

      アミロイド・ベータやリン酸化タウは、正常組織にもある?

      どちらも正常組織にあり、重要な働きをもっている。アミロイド・ベータのもとになるたんぱく質は、神経の突起を伸ばす働きや、シナプスの発生や成長、さらに記憶の保持に重要な役割を担っているといわれている。正常なリン酸化タウは、乳幼児の頃の神経ネットワーク形成に不可欠なたんぱく質だ。

     ◇知の拠点セミナー 全国の国立大学が共同で利用する研究拠点の成果を一般向けに紹介する連続講座。毎月1回、東京・品川で開いている。日程や参加申し込みは、セミナーのホームページへ。

    2015年08月27日 Copyright © The Yomiuri Shimbun
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