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    「海の生き物のミクロな動き」

    稲葉一男 筑波大下田臨海実験センター長

    • 図1
      図1

     地球上の生命は40億年前に海の中で生まれた。海には圧倒的に多くの生物が生息している。海に囲まれた日本には、18の臨海実験所があり、海の生物を研究する大学機関は多い。海洋生物学の研究分野は幅広く、遺伝子や細胞、生態、進化、さらには温暖化などの地球環境との関わり合いなども対象となっている。

     海に潜ってみると、海の中は静かなところではないことがわかる(図1)。あちこちで生物の動きがある。魚は体をくねくね動かして、推進力を生み出す。魚が一番目立つが、波にまかせて浮遊する生物もいる。浮遊生物をプランクトンと呼ぶ。プランクトンは「小さな生物」というイメージがあるが、実は、触手の長さが1メートルを超すクラゲもプランクトンだ。

     ウニやサンゴなどの底生生物は「ベントス」と呼ばれる。自由に動けるものもいるが、岩などに貼り付いて固着生活を送るものもいる。しかし固着していても、体の中で水流を発生させるなどの動きを見せている。

     巻き貝は筋肉が発達しており、移動することができる。カニやエビなどの甲殻類も筋肉で動く。イカがジェット噴射で動くのも筋肉の働きだ。目に見える生物のほとんどは移動に筋肉を使う。

     ベントスの中には海底に埋もれているものもいる。二枚貝のアサリやハマグリなどは、一番発達している足の筋肉を巧みに収縮して掘る力を生み出し、土中から水管を出してプランクトンを捕る。

     二枚貝には、「閉殻筋」と呼ばれる2つの筋肉があり、ホタテなどは貝殻をぱくぱくと開閉させて、素早く移動することができる。閉殻筋はごく小さいエネルギーで大きな力が出せる特殊な性質を持ち、長時間にわたって収縮し殻を閉じることが可能だ。

     ナマコもエネルギーをほとんどかけないで長時間にわたって収縮することができる。ナマコを水から取り出すとかたくなるが、だんだんと垂れてくる(図2)。実は、特殊な結合組織を使ってゆっくりと動いている。これも立派な運動。エネルギーはあまり使わないでかたくなったり、やわらかくなったりする。ただし二枚貝の閉殻筋に比べて、スピードは出ない。

    • 図2-1
      図2-1
    • 図2-2
      図2-2

     ウニはとげを触られるとかたくなるが、これも、とげの根元にナマコと同じような結合組織があるからだ。またウニなどの棘皮(きょくひ)動物を特徴付けているのが、「穿孔板(せんこうばん)」という器官。外の海水と通じていて、内部に「繊毛(せんもう)」と呼ばれる長さ数十マイクロ・メートル(マイクロは100万分の1)の毛が生えており、これが水の流れを起こして「管足(かんそく)」を動かしている(図3)。この一連の動作で、棘皮動物は移動することができる。

    • 図3
      図3

     大雑把にいって、我々の目に見えない、1ミリよりも小さな世界では、慣性による作用がほとんどなくなる。粘性力(抵抗)の作用で動くことになる。たとえば、サメは泳ぐのをやめても慣性力のために止まることができないが、精子は動きを止めたらすぐさま止まる。粘性力が極めて大きい世界では、多くの場合、繊毛を運動器官として用いている。

     精子などの「鞭毛(べんもう)」と、繊毛は基本的に同じ。数が少なく長いものを鞭毛と呼ぶ。昆布の精子(図4)は2本の鞭毛を波打つことで動いている。サンゴに共生する単細胞の「褐虫藻(かっちゅうそう)」(図5)も鞭毛を使って水中を泳ぐが、サンゴの中に入ると鞭毛をなくしてしまう。

    • 図4
      図4
    • 図5
      図5

     鞭毛、繊毛の中には、力を発生する分子モーターがある。10ナノ・メートル(ナノは10億分の1)ぐらいの大きさで、「ダイニン」という名前がついている。ダイニンは細胞内の「微小管」にたくさんついており、ダイニンが力を出すことで微小管が滑り、屈曲運動の大本になっている。

     単細胞だけでなく、多細胞生物も鞭毛や繊毛を使っている。カイメン(図6)は体の穴から海水を取り入れて、栄養分を得る。体の空洞部に繊毛があり、水の流れを起こしている。ホヤ(図7)も無数の繊毛を使って効率良く海水を取り入れることができ、プランクトンを食べて生きている。カキの濾過(ろか)能力もすごい。藻でにごった水の中にカキを入れると、きれいに澄んでくる。大量の水を繊毛の力で体の中に取り込んで浄化しているからだ。

    • 図6
      図6
    • 図7
      図7

     繊毛は、アンテナのように外部の刺激を受け取ることもできる。付着生活を送るイガイや岩の上にいるウニは、卵と精子が体外で受精すると、しばらくは幼生としてプランクトン生活を送るが、最終的に変態・着底し、再び付着生活、底生生活を送るようになる(図8)。着底する場所へは繊毛の運動によりたどりつく。

     海の桟橋などに行くと、生物が帯状に分布している。幼生がうまくその場所を選んで着底している。重力や光、あるいは化学物質などを繊毛で感じ取って、幼生がその場所に向かって泳いでいることがわかってきた。

    • 図8
      図8
    • 図9
      図9

     繊毛で動く最大の生き物がクシクラゲ(図9)だ。人などを刺すクラゲとはまったく異なる原始的な動物で、何千もの繊毛が規則正しく並ぶ「櫛板(くしいた)」を持つ。将棋倒しのようにぱたぱたと動き、きれいに光る。実は、運動の効率はあまり良くなく、大きな推進力は得られないので、なにか進化的に有利な点が櫛板にあったと考えられている。

     繊毛は、哺乳類の中にもある。精子は鞭毛を持ち、気管支の中の繊毛はいつもはげしく動いていて、異物を外に出している。卵管での卵の輸送や、脳髄液の攪拌(かくはん)に繊毛は欠かすことができないし、網膜や耳などの感覚器にも繊毛が使われている。いかに繊毛が重要であるかがわかると思う。

     内臓の位置が左右逆になる症例があり、その患者は、不妊や慢性の気管支炎を患うことが多いと昔から知られていたが、その因果関係がよくわかっていなかった。実は繊毛の異常によって起きていた。

     発生の初期段階で、通常は繊毛による流れが右から左になることで心臓を左につくりなさいというシグナルを出す。繊毛が動かないためシグナルがない場合には、心臓が左右ランダムにできてしまう。繊毛は非常に小さいけれど、とても重要な働きをしている。

     魚が群れをつくる際にも(図10)、繊毛が登場する。魚の両脇に「側線」という感覚器があり、繊毛が水の流れを感知する。まわりの魚がつくる流れや水圧を感じ、群れとなって泳ぐ。

    • 図10
      図10
    • 図11
      図11

     生殖における鞭毛、繊毛の話をしたい。精子は精巣の中でつくられ、精巣から外に出ると鞭毛を使って動き始める。しかし「数打てば当たる」で精子は動いているわけでない。卵から放出される物質によって鞭毛の運動が活性化され、卵に向かって泳いでいる(図11)。

     精子の中のカルシウム濃度を測ると、精子がまっすぐ進むときのカルシウム濃度は低いが、卵からの物質を受け取ったときにカルシウム濃度が一時的に高くなって運動の方向が変わり、卵に近づいていくことがわかった。我々は数年前、このメカニズムをつかさどっているたんぱく質を発見している。

     我々は今、カレイの研究を行っている。カレイの精子を研究する過程で、フランスの研究グループは、顕微鏡で精子を観察しているときに、とても興味深い現象を見つけた。呼気を吹きかけると精子が止まるのである。呼気中の二酸化炭素が関係しているのではと思い、二酸化炭素のみを精子に吹きかけると、息よりも効果的に動きが止まった。

     しかも多くの種類の魚で調べた結果、この現象はカレイでしか見られないことがわかった。一方、我々はカレイの精子にのみ多量に存在する酵素を発見した。この酵素は二酸化炭素の代謝に関係している。この存在により精子が運動を停止するのではないかと考えている。

     なぜカレイだけにこのような現象が起こるのかはまだわかっていない。カレイがたどってきた歴史に関係があるのではないかと想像しながら研究を進めている。

    稲葉一男(いなば・かずお)
     1985年静岡大理学部卒。東京大大学院理学系研究科修了。理学博士。同大理学部付属臨海実験所助手、東北大理学部付属臨海実験所助教授などを経て、2004年から現職。

    【質疑応答】

      繊毛は髪の毛みたいに抜けたり、生えかわったりするのか。

      ちゃんと生えかわる。たとえば、濃い海水にウニの幼生を入れると、繊毛はあっという間に抜けてしまうが、普通の海水に戻すと、1時間ぐらいで生えてくる。

     ◇知の拠点セミナー 全国の国立大学が共同で利用する研究拠点の成果を一般向けに紹介する連続講座。毎月1回、東京・品川で開いている。日程や参加申し込みは、セミナーのホームページへ。

    2015年10月29日 Copyright © The Yomiuri Shimbun
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