検証戦争責任

読売新聞社

なぜ『検証 戦争責任』を再公開するのか

 読売新聞社は2005年、渡辺恒雄グループ本社会長・主筆の提唱により、社内に「戦争責任検証委員会」を設置した。検証委員会は、満州事変から日中戦争、太平洋戦争に至る原因や経過、さらには当時の政治・軍事指導者たちの責任の所在について検証作業を行い、約1年かけて本紙紙面に特集記事の形で掲載した。紙面に掲載された内容は、06年に中央公論新社から『検証 戦争責任』と題して書籍化され、その後、英語版と中国語版も刊行されている。

 『検証 戦争責任』の再公開によって、歴史問題に関する議論が深まり、実りあるものとなることを期待する。

戦争責任を検証する

読売新聞グループ本社会長・主筆 渡邉恒雄

2006年10月中央公論新社刊『検証 戦争責任Ⅱ』のあとがきより

  • 東京裁判の法廷

 あのまったく勝ち味のない戦争に、なぜ突入し、何百万人という犠牲者を出しながら継戦し、かつ降伏をためらって、原爆投下やソ連参戦で悲惨な被害を一層、広げたのか。

 その戦争責任は、戦勝国のみによる「東京裁判」(極東国際軍事裁判)で裁かれたまま今日に至っている。その内容を再検証してみると、量刑の過重な被告がいる一方で、日本国民や関係国民に苛酷な犠牲を強いた罪のある、政府、軍首脳や幕僚たちのうちで、被告にすらならなかった人物も少なくない。

  • 靖国神社

 私は東京裁判が完全無欠なものだったとは思わない。日本国民自身による昭和戦争の責任検証は、少なくとも国や公的機関では行われることなく、サンフランシスコ講和条約十一条で、東京裁判の判決を受諾し、刑の執行を約束して完結したことになっている。

 一方、戦没者を祀る靖国神社には、多数の青年たちを死地に追いやった責任者―開戦から終戦に至る作戦で失敗し、無謀な計画を立案実行した者で、戦死者から見れば加害者である人々―が、頑迷な宮司によって、犠牲となった戦没者の霊と合祀された。そこを国の最高権力者が公式参拝することが、近隣国との大きな外交摩擦の因となっている。

  • 日中戦争の上海市街戦
  • 連載「検証 戦争責任」の読売新聞紙面
  • 「検証 戦争責任」の単行本

 読売新聞社は、社内に戦争責任検証委員会を設置し、一九二八年(昭和三年)から四五年(昭和二十年)に至る、日本の引き起こした戦争の原因、経過、結末を検証し、その個々の局面の指導者、権力者の責任の有無、軽重について判断した。日本国民が、自らの手で、昭和戦争の責任をどう認識するかの材料を提供するためだ。過去一年間の検証作業の前半を『検証 戦争責任Ⅰ』として出版したが、このたび一応その全体を総括する結論をまとめ、第二巻として刊行することになった。

  • 柳条湖事件を機に関東軍は奉天を占領した
  • 石原莞爾
  • 満州事変のきっかけとなった柳条湖事件の現場

 一九二八年、第一次大戦にいたる帝国主義戦争に疲弊した先進諸国を中心に「ケロッグ・ブリアン条約」とも呼ばれるパリ不戦条約(戦争放棄に関する条約)が調印された。日本も調印し、翌年これを批准した。

 ところが日本はその後、間もなく満州侵略を始めた。一九三一年九月十八日の柳条湖事件を発端とし、満州事変、日中戦争、日米戦争へと、破滅への戦争を拡大させ、四五年の敗戦に至った。

  • 空母を飛び立つ艦載機

 それ以前の期間には、日英同盟時代があり、一九二一~二二年のワシントン軍縮会議で米、英、日、仏、伊の海軍主力艦の比率を決定するなど、束の間の世界平和へ一縷の望みが出ていた。それをぶち壊したのが、ヒトラーのナチズムであり、ヒトラーのドイツと結んだ日本軍国主義である。日本は日独伊三国同盟(一九四〇年)を経て、第二次世界大戦に突入した。

  • 柳条湖事件の現場を調査するリットン調査団

 満州事変以来の約十四年間にわたる戦争に対しては、日本政府は「大東亜戦争」と呼び、戦後、占領軍が「太平洋戦争」と名づけた。その後、日本の左翼学者の一人は、「十五年戦争」と呼び、その呼称は一部で使われたが、普及していない。最近は、歴史家の一部で、「アジア・太平洋戦争」と呼ぶ人々もいるが、一般に歴史家を含め、どの呼称も不適切だとして便宜的に「あの戦争」とか「先の大戦」と呼んでいる。そうした呼び方では、将来にわたる恒久性がない。

  • ベルリンで調印された日独伊三国同盟

 読売新聞社は、日本の過去の国内戦争が、年号で呼ばれていることが多いこと、また、昭和時代に起こった一連の戦争であったことを考え、満州事変、日中戦争、日米戦争にいたる一連の戦争を一応「昭和戦争」と呼ぶこととした。人間としての昭和天皇を連想した呼称ではない。

 一九二八年以前の日本の戦争をなぜ、検証の対象にしなかったか。日清、日露、第一次大戦参戦は、日本側に一方的に戦争責任があったとはいえない。あの時代は、世界の列強が、帝国主義的覇権を争っていた時代だった。

  • 東京大空襲後の都内を視察する昭和天皇

 古来、戦争による民族間の怨恨は、長い年月とともに風化して歴史上の物語となってしまうものだ。そうでなければ、各国間の宥和と世界の平和は成り立たない。

 世界史を少しひもといてみよう。

 第一次大戦は、セルビア人テロリストの一発の凶弾が、オーストリア・ハンガリー帝国のフェルディナント皇太子を殺害したことに発し、世界史上初の先進国間の総力戦となってしまったのだが、今日、ドイツのヴィルヘルム二世と、英国のロイド・ジョージ首相のどちらが悪で、戦争犯罪者であったかなどということが論争されることはない。

  • 横浜空襲で焼夷弾を落とすB29(東京大空襲・戦災資料センター提供)

 一八三九年に起こったアヘン戦争は、インド産アヘンで中国産茶を買い、英国産綿製品をインドに売る、という三角貿易で利益を得ていた英国に対する清朝の大臣林則徐のとったアヘン禁止措置に始まる。英国はただちに出兵し、清国軍に圧勝する。歴史を検証すれば、非は英国にあることは明白だ。しかし、今日、中国は英国に抗議し、賠償請求などしていない。

 ナポレオン・ボナパルトは、欧州各国に対する侵略者であり、最後は欧州各国の同盟軍に敗北して、セントヘレナに流されたいわば「戦争犯罪人」であったが、今はパリの豪華な墓に祀られ、歴史上の英雄となっている。

  • 真珠湾への攻撃を報じる1942年1月1日付の読売新聞

 アレキサンダー大王、チンギスハーン、始皇帝など、何人もの歴史的“英雄”は、大規模侵略戦争と残虐行為をしたが、今や歴史物語として伝承され、その罪を問う者はいない。

 歴史というものは、通常このように認識させるものであるが、昭和戦争は今日でも「先の大戦」とか「あの戦争」と呼ばれるように、いまだ、過去の歴史事件として風化してはいない。

  • 広島市に投下された原爆(1945年8月6日)

 昭和戦争の責任者で現存する者はいないし、戦争体験者もきわめて少なくなった。現存しない、つまり死没した人物の責任を問うのは、本来東洋道徳、特に日本人の道徳観になじまない。とはいえまだ、歴史としては生々しい記憶が、日本国内はもとより、アジア近隣諸国には鮮明に残っているのも事実である。

 関係国間の戦争のそれぞれの悲惨な記憶は忘却されていないし、「靖国」はその象徴的な問題として、現時点で生々しい国際関係上の大きな争点となっている。

  • 東京裁判の被告席
  • 「玉音放送」で敗戦を知った国民(1945年8月15日、靖国神社で)
  • 岐阜県の航空機工場が爆破された瞬間(東京大空襲・戦災資料センター提供)

 読売新聞主筆たる私自身は今年八十歳であるが、あの戦争の最後の陸軍二等兵として、残酷な軍隊体験は忘れられないし、被害を受けた隣国の怨念も理解できる。

 戦後六十年を経て、加害者、被害者はほとんど存在しなくなったとはいえ、まず我が国が、戦争責任の所在を究明、検証し、その政治的、道徳的責任を明らかにしなければ、関係国との歴史的和解が長期にわたって困難となり、相互に得るところ少なく、失うことが多くなるのみだろう。

  • ソ連から帰国した抑留者

 国際法上の戦後処理は、北朝鮮を除き、終結している。北朝鮮のような、かつてのナチや日本軍国主義を思わせる独裁体制の国家と国交正常化することは、当面無理である。が、この国を除く、近隣諸国との精神的次元での恒久的な友好関係を構築するためには、「東京裁判」とは別に、詳細で適切な日本国民自身による戦争責任検証が不可欠である。

  • 東京大空襲で焦土と化した現在の江東区・墨田区周辺(東京大空襲・戦災資料センター提供)

 ソ連の一方的な中立条約破棄と対日宣戦布告、そして大規模な侵略と六十万人の日本人を拉致して五万数千人を死に至らしめたこと、日本固有の領土を一方的侵略で奪取し未だに返還していないことも、立派な戦争犯罪であって、歴史物語として風化してはおらず、今日、未解決の二国間の大きな争点として残り、平和条約も結べずにいる。「スターリンのソ連」と「プーチンのロシア」とは別の存在だとしても、現に北方領土占領というスターリンの侵略の傷跡を「ロシア国」は無視している。そもそも旧ソ連には東京裁判の判検事たる資格はなかったのだ。

  • 1945年8月15日付の読売新聞

 また、トルーマン、スターリン間の日本占領の先陣争いの駆け引きもあったとはいえ、日本占領を急ぐために、原爆を投下し、東京大空襲にみられるような非戦闘員の大量殺戮をしたことも、未だ歴史物語になってはいない。右の行為はハーグ陸戦条約違反であるが、少なくともニュルンベルク裁判、東京裁判での犯罪として新設された「人道に対する罪」という概念に相当するものがなかったといえるか否かについては、国際法上もしくは道徳哲学的な解釈と歴史認識の確定が必要だ。

 戦争責任の政治的、道徳的判断を下すに当たっては、このような困難な課題をも提起せざるを得ない。今回の読売新聞の検証委員会では、そこまで調査研究の対象を広げなかった。何よりも先に、日本人自身による日本の戦争指導者の政治的、道徳的戦争責任を検証すべきだと思ったからである。

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