事故後30年 記者が見たチェルノブイリ
チェルノブイリ原発地図

 1986年4月26日未明、旧ソ連邦だったウクライナ北部にあるチェルノブイリ原子力発電所で起こった未曽有の大事故から、今年で30年を迎える。
読売新聞社では、現在のウクライナ政府に許可を取り、今年初めに国際部、科学部、写真部記者が現地取材を行った。
 チェルノブイリ周辺は、現在も原発から30キロ圏内は立ち入り禁止になっている。取材班は、チェルノブイリ原子力発電所ほか、ゴーストタウンになっている当時の原子炉関係者の居住地「プリピャチ」などで関係者や住民の声を聞き、現況のルポ取材を行った。30年が経過しようとしているチェルノブイリ原発事故の現況をお伝えする。
(写真部・園田寛志郎)

デジタルストーリー事故後30年の叫び

ドローン動画廃虚プリピャチの現状

 「プリピャチ」という街は、同原発が建設される前の1970年に、関係者の居住地としてプリピャチ川沿いに造られた。原発から約3キロ西方にあり、最盛期には約5万人が生活していた団地だ。学校、遊園地、プールもあり、当時としては恵まれた環境で、ソ連時代のエリートらが原発事業に携わっていた。
 1986年4月に発生した事故後は、原発から一番近い街として、緊急避難を余儀なくされた。残されたアパート群には、家財道具が残されたままで、住民が慌ただしく退避したであろう状況が偲ばれる。整然と居並ぶ住宅群では、樹木が伸び放題で、ゴーストタウンを覆い始めていた。
 近年、放射線レベルの低下もあり、世界中から原発見学ツアーの観光客が訪れるようになった。参加者は事前に登録し、被曝の危険性があるためか、自己責任でツアーに参加するという念書を書く。制限された見学時間の中、放射線測定器などを手に、ゴーストタウンを普段着のままで散策している。教室に教科書や文房具が散乱したままの廃校も、見学ツアーの人気スポットになっている。
 チェルノブイリ原発のために造られて、その事故が原因で廃虚になった「プリピャチ」。街が生きていた歴史は、20年にも満たない。

プリピャチの入り口看板

プリピャチの入り口看板

廃虚にたたずむ観覧車

廃虚にたたずむ観覧車

事故前の住人の様子

事故前の住人の様子

廃校となった学校の教室

廃校となった学校の教室

360度動画制御室と博物館

 チェルノブイリ原子力発電所で、事故を起こした4号機の制御室とほぼ同じ構造である1、2号機の制御室見学を許された。チェルノブイリ原発は、あれほどの大事故の後も発電を続け、最後の3号機が停止したのは2000年になってからだった。制御室の計器類は古く、アナログ的な機材が多く目についた。廃炉に向け、管理者が中心の机で監視を続けていて、「所持品を床に置いたり、壁に付けたりしないように」と注意された。
 ウクライナの首都キエフからチェルノブイリ原発へは、途中30キロ、10キロ手前の検問所で止められ、車で2時間半程度かかるが、意外に大都市から近いと思った。キエフ市内には、消防署を改築して造られた国立チェルノブイリ博物館があり、国内外から見学者が訪れている。事故現場で使われた車両も除染されて建物前に並び、館内には当時の現場消防隊員が使っていた防火服や、事故による多くの犠牲者の写真が、粛々と展示されていた。

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