戦後70年に学ぶ

ちゅら海に沈む特攻機

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制作・著作 読売新聞

沖縄県今帰仁村の古宇利島沖。太平洋戦争末期の1945年4月6日、旧日本軍による大規模特攻で米海軍掃海艇エモンズが沈没した。傍らには2008年、特攻機と見られる機体の一部が発見された。陸軍誠36、37、38隊の機体の可能性が浮上し、遺族と関係者の交流が始まった。海軍279名(161機)、陸軍61名(61機)計340人が戻らなかった。

海底45メートルに沈むエモンズ。6日の特攻で米軍も多数が損傷をうけ、4隻が沈没した

エモンズは2000年に発見され、2008年に地元ダイバーによって特攻機の一部が見つかり調査が行われた

特攻を受け倒壊した艦橋部

特攻機が突入したと見られる艦橋があった部分

沈没した米海軍掃海艇エモンズのそばには幾つものヘルメットが見つかっている

誠隊が使用した機体のエンジンと見られる部分。地元ダイバーが花を手向けた

エモンズ後部右舷近くに残る特攻機の主脚部分。甲板に機体が突き刺さり操縦席に操縦士の遺体があったという

誠隊が使用した98式直接協同偵察機

軍事機密のため、家族に任務を告げぬまま出撃した誠隊員ら。今も亡くなるまでの消息を探している遺族は多い。エンジン発見の報道を知った誠37隊隊長の小林敏男少尉の遺族で妹の和仁喜和子さんがダイバーに連絡。小林さんの消息を追う和仁さんら遺族と関係者の交流が始まった。高崎高等女学校時代、前橋飛行場で訓練中だった誠隊員を訪れ親しくした三上登喜子さんは戦後、別の遺族と交流し、当時の様子を手記にまとめ毎年慰霊参拝を続けていた。

4月6日に宮崎県の新田原基地から出撃した誠隊員は飛行学校の教官助教で編成された

東京都世田谷区の世田谷山観音寺にある特攻観音堂で隊員を弔い読経する三上登喜子さん

隊員の書いた寄せ書き。「新聞で発表されたらよくやったと笑ってください」と言い残した隊員もいた

「何で死ななければならなかったのか。誠隊の事を語り続ける事がせめてもの供養になれば」

特攻機の前で写真に納まる小林少尉。穏やかで部下から人望があった

額装された小林敏男少尉の辞世の歌を見つめる妹の和仁喜和子さん(左)とめいの広瀬佐智子さん

「大君の勅(みこと)かしこみ賤が男の生命捧げむ秋(とき)ぞ此の時」と書かれた辞世の歌

「悔しい、生きていてもらいたかった」。広瀬さんは唇をかんだ

「誠隊を歴史に残すため尽力した人たちに応えようと、海底で眠っていた機体が姿を見せてくれたのかもしれません」と和仁さんは言う

若くして亡くなった命を忘れてはいけない

提供写真は、エモンズアソシエーション、防衛省防衛研究所刊戦史叢書第36巻「沖縄・台湾・硫黄島方面 陸軍航空作戦」、和仁喜和子さんから
【取材・撮影】読売新聞大阪本社写真部 米山要 読売新聞東京本社写真部 川口正峰【制作】東京本社メディア局企画開発部 荒木田美咲
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