新幹線の高速走行を可能にした団子鼻の先頭車両を開発したのは、旧海軍で軍用機の機体設計を担当していた三木忠直だ。
三木は不世出の名機と言われる高速爆撃機「銀河」の設計担当主務を務めた。だが、終戦直前に開発した特攻専用機「桜花」によって多くの若い命が散ったことを悔い、戦後、自らの技術は平和のみに使う、と誓った。
設計思想は単純明快。「美しい形をしたものは速い」。250キロを出すには先頭形状の流線形化と軽量化以外に方法はない。そう考えた三木は、飛行機開発の技術を応用し、何度も実験をくり返した。空気抵抗が従来の車両の半分になった時、あの団子鼻の「0系」になっていた。
三木は後に、技術への熱い思いを語っている。「技術は本来的に人を幸せにするものだ。絶対にそうでなくてはならない」
参考記事・写真:2000年9月30日、10月4日 読売新聞大阪版朝刊 新幹線物語