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福島 : 震災6年 旅立ちの春

東日本大震災のとき小学校6年生だった被災地の子供たちがこの春、高校を卒業した。福島県では、東京電力福島第一原発事故の影響で、一部の県立高校が避難指示区域外に校舎を間借りする「サテライト方式」で授業を続けてきた。このうち双葉翔陽、浪江、浪江高津島校、富岡、双葉の5校は、生徒の減少による休校前最後の卒業式となった。3月1日に行われた卒業式から、卒業生と校長の言葉を集めた。

少人数サテライト校の一体感

双葉翔陽高山田勇樹
双葉翔陽高 生徒会長 山田勇樹

休校へのカウントダウンの日々

 柔らかな日差しや吹く風に、春の訪れが感じられる季節となりました。本日は、私たち第18期生のためにこのような盛大な卒業式を挙行していただき、ありがとうございます。また、ご多忙のなかご出席くださいましたご来賓の皆様、校長先生を始めとする諸先生方に、卒業生一同、心より感謝申し上げます。

 3年前、私たちは、期待と不安を胸に秘めながら入学式を迎えました。自分たちが休校前最後の学年となることは、入学前から分かっていました。入学と同時に、休校への時間が進み始めました。

 入学当初、同級生の少なさや教室の狭さに驚いた人も多かったはずです。サテライト校での高校生活は、人数や設備の面から部活動が制限されたり、生徒一人一人に与えられる役割や責任が大きかったりするなど、戸惑うこともありました。

いわき明星大学内に間借りして授業を行った(2013年4月、双葉翔陽高提供)
いわき明星大学内に間借りして授業を行った(2013年4月、双葉翔陽高提供)

 しかし、そのような戸惑いは時と共に解消されていき、少人数ならではの良さを感じるようになりました。また、さまざまなご支援のおかげで、たくさんの良き思い出を作ることができました。1年生の遠足では、バーベキューをしながら少しずつクラスメートとの距離が近づきました。東京研修旅行では上級学校や企業を見学し、将来についての考えを深めることができました。2年生になると、6号国道の清掃活動や植樹など、校外へ出て活動することも多くなりました。

心に刻まれた縄文杉の思い出

 この頃から、「双葉翔陽生」としての自覚が芽生えはじめたような気がします。関西への修学旅行では、4日間同じ時間を共に過ごすことで、クラスの一体感を感じるようになりました。またこの年は、3日間のインターンシップも経験し、働くことの楽しさ、大変さをより具体的に実感することができました。そして今年度、首相官邸訪問に始まり、屋久島や東京への研修旅行、高文祭への参加など、3年間の集大成ともいえる行事がたくさんありました。どれも、他の高校では経験できないような貴重な時間でした。

 そんな中でも、一番思い出に残っているのは、屋久島への研修旅行です。みんな、未知の場所に行くことへの不安と期待が交錯していました。往復12時間という道のりは、誰もが初めての経験でした。しかし、誰一人欠けることなく縄文杉までたどり着くことができました。全員で見た縄文杉と、歩ききったという達成感は忘れることができません。これから何かつらいことがあっても、縄文杉にたどり着いた時の気持ちを思い出せばがんばれる、そんな強い心を持たせてくれました。

見守ってくれた先生や家族

 3年間、このような有意義な高校生活を送ることができ、こうして成長することができたのは、栄順先生を始めとする先生方のおかげです。いつも全員で私たちを見守り、困っている時や悩んでいる時は一緒に悩み、的確なアドバイスをしてくださいました。先生方の温かい思いを常に感じながら、私たちは悩みや問題と向き合い、多くのことに気付き、解決策を見つけることができました。3年生になって進路活動が本格化した時も、先生方は私たち一人一人と丁寧に向き合い、何度も相談に乗ってくださいました。先生方のおかげで私たちは何度も救われ、頑張ろうという気持ちになりました。本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

 また、こんなに幸せで最高の高校生活は、家族の助けと理解がなくては成り立ちませんでした。時に生意気なことを言って困らせたり、進路について心が揺れ、心配をかけたりすることもありましたが、いつも大きな心で受け止め、最後まで私たちを信じて見守り続けてくれました。18年間ずっと支えてくれて、本当にありがとうございました。

 正直に言うと、今、この場に立っても、卒業したくないという思いがあります。あの教室で、もっとみんなと授業を受けたり、楽しく笑って話をしていたりしたいです。しかし、時間は待ってはくれません。ここまで成長を続けてきた私たちですが、この双葉翔陽高校を旅立つ今日の日が、一番の成長の時なのかもしれません。

「人は一人では生きてはいけない」

2011年3月11日の震災で止まった時計(2015年9月、双葉翔陽高提供)
2011年3月11日の震災で止まった時計(2015年9月、双葉翔陽高提供)

 この3年間で最も強く感じたのは、「人は一人では生きてはいけない」ということです。学校全体で助け合い、そして、全国の方々からたくさんのご支援をいただき、励まされてきました。人生において、高校3年間はほんの一瞬かもしれません。しかし、日々全力投球した高校生活を忘れることはないと思います。双葉翔陽高校での思い出とたくさんの人の思いを力にして、それぞれが一歩ずつ新しい道を作っていきます。

 双葉翔陽高校は間もなく休校となります。しかし、私たちの心に双葉翔陽高校は生き続けます。いつか、大熊町の本校舎が再開され、後輩たちが元気に活躍できるようになることを強く願い、卒業生代表の言葉といたします。

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感謝と目標を忘れずに

双葉翔陽高校長菅野利彦
双葉翔陽高 校長 菅野利彦

本校を選んでくれてありがとう

いわき明星大学内サテライト校の桜と菅野校長(2016年4月、双葉翔陽高提供)
いわき明星大学内サテライト校の桜と菅野校長(2016年4月、双葉翔陽高提供)

 冬の寒さも和らぎ、目にふれる木々もそのつぼみを膨らませ、新たな生命を生み出す春の躍動が感じられます。

 ただ今、卒業証書を授与いたしました12名の卒業生の皆さん、卒業おめでとうございます。

 皆さんは、本校舎のある大熊町ではなく、ここいわき市のいわき明星大学のサテライト校で3年間を過ごしました。皆さんが入学した3年前、まだあどけない表情と緊張した面持ちをした皆さんと校長1年生の私は入学式で出会いました。3年後に休校になること、最後は1学年になってしまうことをわかって入学してきたみなさんに式辞の中で「入学おめでとう。そして本校を選んでくれてありがとう」と話をしました。

 入学式では皆さんに二つのお願いをしました。一つは目標をもって高校生活を送ること、二つ目は常に感謝の気持ちを忘れないでほしいというお願いです。皆さんはそれをしっかり守り、限られた学習環境の中、努力を重ね、友人と支え合いながら、充実した高校生活を送ってくれました。毎日の授業を中心とする学習活動はもとより、資格取得への挑戦や様々な学校行事、部活動、生徒会活動、研修旅行、ボランティア活動、他県の高校との交流事業など、多種多彩な活動に積極的に取り組んできました。

「サテライト校に入学したことを後悔させない」

 先生方も「サテライト校に入学したことを後悔させない」の合言葉のもと、陰になり日なたになり、皆さんとできる限り一緒に活動してきました。新入生が募集停止になり、学年が2学年、1学年と減少していくことも先生方には初めての経験でした。皆さんが動揺しないように、寂しさを感じないように会議の中で話し合い、考える私たちを横目に皆さんは私たちの想像を超えるパワーとエネルギーで活動を続けてくれました。12人だけで分担して行うクラス活動、生徒会活動、ボランティア活動等は、地域だけでなく全国にも発信し、他のどの高校にも負けない密度の濃い高校生活を送れたと思います。

 一生懸命頑張っている皆さんを近くで見て、一緒に活動できて、私も先生方も毎日が本当に充実した日々でした。みなさんと保護者の皆様方、先生方と頑張ってきたこの1年は学校がひとつの家族になったように感じました。そして心の中に新しい宝物がまたひとつ増えました。

 今日皆さんの輝く笑顔をみて、これほどうれしく、また、誇らしいことはありません。

18年間で社会環境が変化、想像すらできない事態も

被災した時のままだった大熊町本校舎の図書館(2014年9月、双葉翔陽高提供)
被災した時のままだった大熊町本校舎の図書館(2014年9月、双葉翔陽高提供)

 さて、皆さんが生きてきた18年間は、少子・高齢化や産業構造の変化、急速な情報化等、驚く速さで社会環境が変化して来ました。

 人と人とのつながり、家族との関係、地域との関わり、社会構造が大きく変化し、価値観の多様化やモラルの低下、社会規範の希薄化が問題視されました。また、地球環境の問題も引きつづき起こっています。東日本大震災や原発事故等、想像すらできない事態もおきました。

「感謝の気持ち」「新しい出会いと支え合う心」「目標を持ち、努力を」

 これからも皆さんは、様々な出来事に遭遇していきます。生きる力を強化し、力強く自分の人生を切り開いてください。その基本となる心がけの話をしたいと思います。

 一つ目は「感謝の気持ちを忘れない」ということです。この言葉は入学時からずっと話してきたことです。当たり前の日常が当たり前でなくなったとき、周りの方々の行動や励ましの言葉でどれだけ心をおちつかせることができたか、皆さんなら十分理解ができると思います。感謝の気持ちは自分が助けてもらったときだけではありません。日々安心安全な生活ができること、快適で便利な生活ができることも多くの人たちが自分の置かれた場所で働いてくれているからこそです。感謝の気持ちがあれば自分も何か人のためになろうとする気持ちがわいて来ると思います。

 二つ目は「新しい出会いと支え合う心」です。人間はひとりでは生きられません。社会も支え合って成り立っています。皆さんはこれから多くの人たちとの新しい出会いがあります。素晴らしい刺激をもらうこともあるでしょう。もちろん逆の場合もあります。でも新しい出会いは皆さんの心に必ずプラスをもたらすと思います。皆さんは決してひとりではありません。自分一人で大きな課題を抱え込み自分自身の心を責めてはいけません。自分が支えてほしいときは支えてもらう、逆に支えてほしい人がいれば支えてあげる、それでいいのだと思います。

 三つ目は「目標を持ち続け、努力を続ける」ことです。震災から6年が経過しようとしています。地域社会の復興や皆さんを含め被災された方々それぞれの心に残った思いを和らげていくことはこれからも続いていきます。

 だからこそ自分自身でしっかり目標を持つこと、将来の自分へのビジョンを持つことが、これから何十年も社会の一員として生きていく皆さんにとって、何よりも重要で必要なことです。

 そしてそれに向かって努力を続けることが大切なのです。

しっかり顔をあげて胸をはって、一歩一歩歩いて

 本当は、もう少しみなさんのそばにいて、もっといろいろなことを教えたかったというのが正直な所です。でも進路が決定し、校長室に合格の報告をしにきてくれた一人一人の笑顔と自信に満ちた表情を見たとき、みなさんを次のステージに旅立たせる時が来たのだと感じました。

 これからも健康な心身で、それぞれの目標に向かって挑戦を続けてください。迷ったり困ったりしたら一度立ち止まり、考えて、そしてまた足を一歩前に出してください。サテライト校で様々な経験をした皆さんなら必ずできると思います。

 いつも言っているようにしっかり顔をあげて胸をはって、一歩一歩歩いて行きましょう。

 サテライト校での3年間は皆さんの心にも先生方の心にも素晴らしい記憶として残ると思います。これからうれしいことがあった時、苦しい時、迷った時、皆さんが帰ってくる校舎がないことを本当に心苦しく申し訳なく思っています。でも先生方は皆さんに何かあった時、福島県内のどこからでもかけつけます。だから安心して、前に向かって、日々前進してください。

 結びに、本日ご臨席の皆様のご多幸をご祈念申し上げ、卒業生に対しての温かいご支援と今後も引き続き見守っていただきますことをお願い申し上げ、12名の輝かしい未来に心からの祝福を送り式辞といたします。

いわき明星大学内サテライト校の桜並木(2013年4月、双葉翔陽高提供)
いわき明星大学内サテライト校の桜並木(2013年4月、双葉翔陽高提供)
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笑顔でまた、浪江の町で

浪江高 菊池あすみ
浪江高 菊池あすみ

仮設の学び舎、人数が少なく後輩もいなかったけれど…

 入学式から3年がたちました。

本宮高校の運動場に設置された仮設校舎(2012年10月、浪江高提供)
本宮高校の運動場に設置された仮設校舎(2012年10月、浪江高提供)

 最初の登校時、本宮高校を過ぎて(同校敷地内に設置された仮設校舎の)浪江高校へと続く道が、どこまでも長く感じました。入学者14名を迎え入れてくれた体育館が、とても広く感じました。

 あの時はまだ、今日の私たちを想像出来ませんでした。

 仮設校舎での学校生活は、授業のために本宮高校との校舎を行き来することや、部活動で校外の施設に行くなど大変な面もありました。人数が少なく、後輩もなく、1人ずつの役割が多くて忙しいこともありました。でも、私は仮設校舎でこの仲間と学んだことをうれしく思います。

人生観を磨く経験

 浪江高校は行事が豊富で、様々な体験をしました。

 1年では、(被災地の復興を支援する)ファーストリテイリング本社へ行き、仮設住宅の方に、少しでも暖かい服を着ていただくという案をプレゼンテーションし、私たちが考えた移動販売を実施する事ができました。この体験は人生観を磨く経験になりました。

 2年では、関西方面の修学旅行で、初日は全員着物に着替え京都市内を観光しました。

 3年では、14人でおこなった青浪祭に、予想以上のお客さまが来てくださり、充実感でいっぱいでした。

 また、多くの方に支援を頂いて、各方面へ研修旅行にも行きました。

 県外の高校と交流もしました。交流を通して私たちは、何か出来ることがあったら助け合うということを学びました。

 昨年12月、卒業目前のイベントとして、今回合同で卒業式を行っている津島校と、球技大会を開催しました。城山体育館を会場に、先生方の参加もあり、寒さを吹き飛ばして汗を流しました。皆楽しく、本気で挑んでいたと思います。

浪江高校を、あとの世代に伝える

 授業中、黒板に向かう時、窓には美しい景色がありました。

 この教室で、先輩方もそれぞれに過ごしてきたことを、四季の景色が語ってくれました。今後、この学び舎は解体されますが、私たちの心にしっかり刻み込まれます。

 これまで、多くの地域の方々に浪江高校を応援していただき、とても感謝しています。それによって故郷浪江について考える機会が多く、ますます故郷を大切に思いました。

 これからは私たちが、故郷を、また、浪江高校を、あとの世代に伝えていく番になります。

何事にも負けない、くじけない人に

 クラスのみんなへ。

 思い出は語り尽くせません。冗談を言い合ったり、ふざけたり、笑って、本当に楽しかった。私たちは、仲間です。社会に出れば、今までよりも大変なことが多いでしょう。何事にも負けない、くじけない人でいてください。つらいことを乗り越えたらいいことがあります。これからのスタートを頑張っていきましょう。

 ここで見守っていただいている私たちの家族へ、卒業生を代表して伝えます。

 私たちがここに立っているのは家族の支えがあったからです。大切に育ててくれてありがとうございました。明日からも、これまで通り温かく見守っていてください。

悩んだ時期、見捨てず相談に応じてくれた

(担任の)朝田先生へ、メッセージです。

 先生は優しく、いつも笑顔で、私たちを温かく励ましてくださる存在でした。

 先生はいつも親身になってアドバイスをくださり、本気で私たちを支えてくださいました。

 私は入学してから学校になじめず、悩んだ時期がありました。そんな私を先生は見捨てず、毎日連絡をして心配してくださり、相談に応じてくれました。そして励みになる言葉をいただき自信が付き、今日卒業を迎え、また卒業生代表として挨拶できるようにもなりました。

 平成26年に入学した14人全員がそろって卒業できるのは朝田先生が担任だったからです。これまでたくさん迷惑をかけました。先生、今までありがとうございました。

 最後のひとことです。

 14人ひとりひとり成長し、笑顔でまた、私たちの故郷である、浪江の町で会いましょう。

 卒業生を代表して、わかれのことばといたします。

震災前の浪江高の桜景色(2008年4月、浪江高提供)
震災前の浪江高の桜景色(2008年4月、浪江高提供)
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誠実に謙虚にひたむきに

浪江高校長佐藤京治
浪江高校長 佐藤京治
卒業式の様子(2017年3月、浪江高提供)
卒業式の様子(2017年3月、浪江高提供)

 皆さんは平成26年4月に、サテライト校という環境と知りつつ門をたたいてくれました。肩身の狭い思いをさせてしまったこともあったことかと思いますが、校長として大変申し訳なく思っています。

 しかしながら、皆さんはそれぞれの目標を定め、それぞれの学びで学業、行事、部活動などを全力でやり抜き、充実した学校生活を送ってくれました。

新聞紙上をにぎわせた学校

 浪江本校での公開文化祭、仮設住宅訪問、浪江津島校での新聞活用授業、モラルエッセイコンテスト入賞など、これだけの人数でこれほど新聞紙上をにぎわせた学校が他にあるでしょうか。改めて誇りに思います。

 さて、昨年の卒業式では、浪江津島校の卒業生が、『福島のもも』を世界に広めるため福島大学夜間主コースで学んでいることをお話ししました。平成27年5月3日の新聞記事には、浪江高校の卒業生が震災を機に、ふるさとのために警察官となり、会津若松で一歩を踏み出したという掲載がありました。

地震で崩れた校舎内(2011年3月11日、浪江高提供)
地震で崩れた校舎内(2011年3月11日、浪江高提供)

 どうか皆さん、浪江本校、浪江津島校の立派な卒業生を見習い、福島のために汗を流して下さい。卒業生の皆さんが、それぞれの職場で、中心となっている20年後、30年後は、ますますIT化が進むことでしょう。しかし、いくらIT化が進んでも、社会で本当の意味で生き残るのは、誠実に、謙虚に、そしてひたむきに生きた人間です。この厳しい学習環境を乗り越えた自信と誇りを持ち、ひたむきに精一杯、生きて下さい。

 名残は尽きませんが、いよいよお別れの時が来ました。卒業生と共に過ごした学校生活と皆さんの笑顔は一生忘れません。

 結びに、この日を迎えることができましたのは、ひとえに保護者の皆様、地域の方々、そして学校を支えて下さった多くの方々のご理解とご協力のたまものと心より感謝申し上げ、卒業生の皆さんの幸多からんことを祈念し式辞と致します。

震災前の浪江高周辺の景色(2008年6月、浪江高提供)
震災前の浪江高周辺の景色(2008年6月、浪江高提供)
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休校しても消えない強い絆

浪江高津島校柴田結美
浪江高津島校 柴田結美

 3年前の春、まだまだあどけなさが残る私たちでしたが、津島校での3年間、先生方の厳しくも温かいご指導や、級友の頼もしい支えを受け、無事に卒業の日を迎えることができました。私たち卒業生のために晴れやかな卒業式を挙行していただき、心より感謝いたします。また、ご多忙の中、ご出席くださいましたご来賓の皆様、校長先生をはじめ諸先生方、並びに保護者の皆様に、卒業生一同、心からお礼申し上げます。

自然の力にも勝る「人の力」

震災直後、道路に亀裂がはいっていた(2011年3月11日、浪江高津島校提供)
震災直後、道路に亀裂がはいっていた(2011年3月11日、浪江高津島校提供)

 私たちが3年間を過ごした津島校は、仮設校舎でした。部室と見間違うような校舎。日差しがまぶしい真夏日は40度を超え、凍るような真冬日は氷点下にもなります。雨音で先生の声が遮られるたびに授業が中断し、強い風が吹くと校舎が吹き飛ばされるのではと不安になることもありました。

 しかし、そんな少し不便な環境でも、充実した高校生活を送ることができました。それは、自然の力にも勝る「人の力」を実感することができたからです。私たちは、この「人の力」を様々な場面で感じながら高校生活を送ってきました。全国の方々の支援で実現したたくさんの行事は、津島校の厳しい環境さえも忘れさせてくれました。この場をお借りして、全国の皆様に感謝を申し上げます。

行事のたび成長、「クラスの絆」結ぶ

 3年前、入学したての私たちはクラスメートと積極的に関わることができず、学校行事や生徒会行事の盛り上がりもいまひとつでした。しかし、そんな私たちも、同じ環境で日々を共有し、行事を重ねるごとに成長し、「クラスの絆」を結ぶことができました。

 肩を組み大きな声援を送ったスポーツ大会。常に最前列で見ることができた芸術鑑賞教室。慣れない手つきで火おこしや調理に苦戦した野外炊飯。ぎこちないナイフさばきに苦笑いしたテーブルマナー講習会。日本史を直接感じることができた歴史探究学習。

 これらは、先にも述べた全国の方々のご支援のおかげで経験することができました。そのご支援が、私たちが絆を結ぶ、多くのきっかけを与えて下さいました。

「がんばってこい」…先生の励ましに感謝

 そして、私たちのすべてを受け止めてくださった先生方のご指導がありました。生徒数たったの12名の学校は、担任の先生をはじめ、すべての先生方の毎日の温かいお言葉と支えによって成り立っていたように思います。津島校の先生方は、いつでも私たち生徒に寄り添い、時には厳しく、時には優しく見守りながら、私たちの成長を喜んでくれました。

震災直後の職員室(2011年3月11日、浪江高津島校提供)
震災直後の職員室(2011年3月11日、浪江高津島校提供)

 会話が苦手な私たちのために、積極的に声をかけ、コミュニケーションの大切さを教えて下さいました。特に進路活動では、時間を割いて、何度も何度も面接練習を引き受けて下さいました。入学試験や就職試験の前日の、「がんばってこい」という力強い励ましに、どれだけ勇気をもらったことでしょう。感謝の気持ちでいっぱいです。

命とは、家族とは、故郷とは、絆とは

 今まで一番近くで見守ってくれた家族。高校生となり、自分の意見や価値観を持つようになって、反抗したり、素直になれなかったりした時がありました。それでも私たちを信じ、変わらない愛情を注いでくれました。私たちは家族なしにここまで大きくなれませんでした。まだまだ未熟ですが、少しでも親孝行できるように、それぞれの道で頑張っていきます。いつまでも元気でいて下さい。

 6年前、あの大震災は多くの悲しみをもたらしました。しかし、同時に、「命とは何か。家族とは何か。故郷とは何か。絆とは何か」をもう一度見つめさせてもくれました。生まれ育った場所は離れたけれど、家族という宝物、津島校での3年間という宝物は、私たちの心に寄り添っています。津島校で過ごした3年間。たとえ人生のうちのわずか3年間であっても、ここで結ばれた絆は、母校が休校しても決して消えることのない、強い絆です。人生に迷っても、この絆が道を、未来を、照らしてくれると信じています。

 最後になりましたが、津島校の再開と福島県の復興に関わる全ての方々のご健勝とご多幸をお祈りいたしまして、別れのことばとさせていただきます。本当にありがとうございました。

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果敢に挑戦する精神を継承

富岡高本田大空たく
富岡高 本田大空(たく)

あの時のこと

震災前、小学6年の秋のサッカー大会で記念撮影(2010年11月、本田大空さん提供)
震災前、小学6年の秋のサッカー大会で記念撮影(2010年11月、本田大空さん提供)

 肌寒い風が吹きつつも、暖かい日差しが私たちを照らしています。本日ここに、私たちのために盛大で、晴れやかな卒業証書授与式を挙行していただき、心より感謝いたします。

 2011年3月11日、東日本大震災が東北地方を襲いました。地震・津波に加え、原発事故が福島県に大きな被害をもたらし、私たちの日常は奪われました。あの時のことは今でもはっきりと覚えています。

「富高はひとつ」の合言葉の下、深めた絆

 この大震災の影響により、富岡高校は、福島県内外の四つに分かれての生活を送ってきました。一つの学校の中にもう一つの学校が入るという特殊な状況に、戸惑うことも多くありましたが、サテライト協力校の方々は私たちを温かく迎えてくださり、日々の生活はもちろん、文化祭や球技大会にも参加させていただきました。また、「富高はひとつ」の合言葉の下、全校生が一堂に会する夏と冬の富高の集いでは、仲間との絆が生まれ、深まり、集いを心待ちにするようになりました。

「当たり前の日常」は決して当たり前ではない

 このような中で気づかされたこと。それは、当たり前の日常は決して当たり前ではないということ。たくさんの方々の支えがあって私たちは生活ができている、ということです。そのことを忘れないように、支えられるばかりではなく、少しでも恩返しができるように今できる精一杯のことをしてきました。今年度、本校生は様々な舞台で活躍してきました。そのことで、これまでお世話になった静岡県、猪苗代町、富岡町、福島県、そして東北、日本に勇気や感動、元気を与えることができたなら幸いです。

校舎が分かれても仲間、共に学んだ仲間こそ「一生の友」

高校3年の夏、サッカー場で(2016年7月、本田大空さん提供)
高校3年の夏、サッカー場で(2016年7月、本田大空さん提供)

 サテライトごとに分かれてしまっていても、富岡高校の仲間は私に勇気と向上心をもって何事にも尽力しようという気持ちにさせてくれました。

 福島北サテライトの仲間は、同じサッカーファミリーとして良きライバルでもあり、いつも応援していました。富高の集いなどでは、いつも生活面から礼儀正しく、朝練にもしっかり取り組む姿勢から、全国に行くという強い気持ちがひしひしと伝わってきました。全国高校サッカー選手権福島県大会での活躍は同じ富高生として本当にうれしかったです。

福島市の福島北高内の仮設校舎、富岡高福島北サテライト校(2012年4月、富岡高提供)
福島市の福島北高内の仮設校舎、富岡高福島北サテライト校(2012年4月、富岡高提供)

 猪苗代サテライトの仲間は、バドミントンにおいて、全国大会や世界大会の舞台で大いに活躍されました。その活躍により、富高生はいつも良い刺激を受けました。

 (静岡県の)三島長陵サテライトで共に学んだ仲間は私の一生の友です。私の良いところも悪いところも理解してくれて、本気でぶつかってきてくれる仲間と出会えました。悔しい思いもたくさんしたけれど、それもすべて私を成長させてくれました。同じ目標に向かって日々努力したこと、ずっと忘れません。

 私はこの3年間を富岡高校生として学ぶことができたことを誇りに思います。厳しい環境だとわかっていても、夢をかなえるためにあえて険しい道を選び、強い覚悟で入学してきたのがこの富岡高校生。どんな困難にも屈することなく、私たちは充実した3年間を送ることができました。

高く困難な壁 乗り越えていく

 今年度をもって、富岡高校は休校を迎えます。私たちが3年間を過ごした母校を思うと、とても悲しい気持ちが募ります。富岡高校の先輩方は様々な伝統を残してくださいました。私たちは、休校前最後の卒業生として、先輩方が示してくださったいかなることにも果敢に挑戦する精神を継承し、これからも富岡の誇りを胸に、様々なことにチャレンジしていくことを誓います。

 私たちは、富岡高校を卒業し、それぞれ新たなステージに進みます。どのような状況になっても、満足のいく結果が出なくても、ひたむきに前を向き続けた私たちは、富岡高校で培った力で、不可能を可能に変え、どんなに高く困難な壁でもきっと乗り越えていくことができると確信しています。私たちは3年間、富岡高校生として過ごした日々を胸に、未来に向けて一歩一歩進んでまいります。

 最後になりましたが、校長先生をはじめ、諸先生方、保護者の皆様、関係各位の皆様、3年間本当にありがとうございました。

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無限の可能性大きく花開け

富岡高校長山崎雅弘
富岡高校長 山崎雅弘

62名の卒業生に「おめでとう」

 日差しの暖かさに、春近しを思わせる、今日のき日に、平成28年度福島県立富岡高等学校卒業式を、かくも盛大に挙行できますことは、卒業生はもとより私たち教職員にとりましても、大きな喜びであり、心より感謝申し上げます。

 そして何より、本校の全ての教育課程を修了し、光栄はえある卒業を迎えた62名の卒業生の皆さんに、「おめでとう」と申し上げます。

深い愛情に報いる生き方を

 福島北サテライトの皆さんは、休校となることを知りながら富岡高校を選択し、入学後も広野町へ移る話題に不安を募らせていたことでしょう。後輩がいないという状況においても、日々、ここにいる仲間たちと支え合い、喜びも悲しみも苦しみも分かち合う中で自分という存在を確かめてきたはずです。時には葛藤もあったかもしれません。しかし皆さんのひたむきに打ち込む姿は感動を呼びました。また、日課となったゴミ拾いや雪片付けなどの取り組みは福島北高の生徒にも波及し、奉仕の精神は確実に育まれ受け継がれました。これからの社会生活においても、継続して下さい。

震災後の富岡高本校舎内(2013年7月、富岡高提供)
震災後の富岡高本校舎内(2013年7月、富岡高提供)

 次に、猪苗代サテライトの皆さんは、インターハイ・国体での優勝をはじめとしての国内はもとより、世界に富岡高校の名をとどろかせてくれました。まさに国際・スポーツ科として「国際人として社会をリードする人材の育成」という富岡高校の基本目標を体現してくれた素晴らしい活躍でした。しかし、その裏には皆さんが小学校6年生の時、富岡というチームで夢を追う生活の直前に発生した震災と原子力発電所事故。その最中さなか、福島の地に子供を送り出してくれたご家族のお気持ちは察して余りある、葛藤の中での決断であったことだろうと思います。これからもその深い愛情に報いる生きかたをしてください。

グローバルな活躍に期待

静岡県三島市の三島長陵サテライト校の校舎(2016年2月撮影、富岡高提供)
静岡県三島市の三島長陵サテライト校の校舎(2016年2月、富岡高提供)

 三島長陵で学んだ皆さん、「世界のトップ10を目指した個の育成」というJFAアカデミー福島に身を置きながら静岡県での6年間でした。世界基準の人材育成、真の意味でのエリート教育など素晴らしいプログラムを終えての卒業です。アカデミーの教育の成果は在学中ではありません。身につけた資質の実践はこれからです。プレーヤーとしてもそうですが、サッカーを通した社会貢献の方法はいろいろあると思います。個性を生かし、グローバルに活躍することを期待します。そして、チャンスを見つけてJヴィレッジでプレーするところを見せてください。福島県民が切望しています。

恩返しの一歩はここから

 3か所に分かれてのサテライト校でした。特色ある教育課程を実践するための環境を求めてのやむを得ない選択でした。すべてが借りての生活でした。不自由はあったかと思います。

 しかしながら、不自由であったからこそ、支援を受けての学校生活であったからこそ芽生えた感謝の念や故郷への貢献意欲は、君たちだからこそ強く芽生えた感情であります。社会に出ても、生かしてほしいと思います。

 「生きていることは、誰かに借りをつくること。生きていくということは、その借りを返すこと」という言葉があります。この人生の節目に当たり、お世話なった方々へ素直に感謝の気持ちを伝えると同時に、恩返しの一歩を踏み始めてください。

 皆さんの、決して平坦へいたんでは無かったこの3年間の高校生活。成し遂げた時の喜び、思い通り行かなかった挫折感、けがとの戦い、厳しい練習のつらさや乗り越えたときの感動、様々な想い出が胸の中を去来していることと思います。

 それらの一つ一つが、今の皆さんを作り、3年前とは比べものにならない大きな人間に成長していることを確信してください。そして、この富岡高校での経験が、苦しい時にも勇気を与え、皆さんをきっと支えてくれる、そのことを私は信じています。

 さあ、胸を張り、顔を上げて、この富岡高校を巣立って行ってください。富高生が見つめるのは、そう、3歩先の夢です。

 富高生、3歩先へ。

 最後に、多くの感動と勇気を与えてくれた皆さんとの出会いに感謝し、皆さんの無限の可能性が大きく花開くことを信じて式辞といたします。

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11人の笑いと叫びの日々

双葉高菊池歩実
双葉高 菊池歩実

小さな部屋での入学式

 本日、皆様に見守られ、私たち生徒11名は、この双葉高校を卒業します。

 私たちが入学してから、いつの間にか3年もの月日が流れていました。今、思い返すと、さまざまなことがありました。こんな日々が待っているとは、入学したばかりの頃の私たちは、思いもしませんでした。

いわき明星大学内に設置されたサテライト校舎(2016年6月、双葉高提供)
いわき明星大学内に設置されたサテライト校舎(2016年6月、双葉高提供)

 私たちの高校生活は、入学式から始まりました。体育館ではなく、いわき明星大学内の施設で、会議室のような小さい部屋で入学式が行われました。あの部屋で入学式ができてしまう程の新入生の人数。人数が少ないことに驚きもしましたが、不思議とすぐに受け入れられました。

ケンカと仲直りの繰り返し

 最初は、お互いのことを分からなくて、しばらく距離がありました。でも、次第に打ち解け合って、距離が縮んでいきました。しかし、この人数の少なさは、いい方にも悪い方にもことを運んでいきました。人数が少ないからこそ、ずっと一緒だからこその困難もありました。クラス全体の空気が悪くなり、男女間だけでなく、同性間でも問題が起こりもしました。ケンカして、仲直りして、またケンカして、仲直りする。その繰り返しでした。あまり、ものごとに協力的ではないクラスの仲間たち。だけれども、変なところで団結している。それが、私たちでした。人数が少ないから、1人でも学校を休むと、クラスが寂しくなりました。教科別の授業では、さらにそのことを感じました。

被災高校生としての苦しみ

 高校生活では、私たちは双葉高校の生徒であるということを、何度も何度も確認させられる機会がありました。それは、双葉高校が、被災して避難している高校だから。双葉高校が、休校するから。たくさんの人が双葉高校に注目してくださいました。たくさんのメディアが、双葉高校を取り上げてくださいました。そのすべてを、私たち11名で受け止めるのは、苦しかったです。

 先生方はよく、何かにつけ休校前最後の生徒だからという言葉を口にしていました。その言葉の重みは、日を重ねるごとに感じてきました。時には、その言葉を聞きたくなくなることもありました。

後輩がいない

 入学したとき、2年生、3年生がいました。あの時が、休校前最後にすべての学年が埋まっていた年でした。私たちが2年生のとき、後輩がいなくなりました。3年生の先輩方がいるだけでした。そして、3年生の今、双葉高校には、私たちだけがいます。通常ならば、卒業生に後輩がいて、卒業を見守ってくれます。しかし、私たちには後輩がいません。2年生の頃からすでに後輩がいないので、慣れていましたが、すこし寂しく感じます。

 代々の先輩方が、後輩に残していったもの。それを、私たちだけが、引き継いでいます。そして、本来であれば、このバトンを後輩に渡すところですが、私たちは、渡す相手がいません。残念ですが、代々引き継がれてきたこのバトンは、ここで途切れてしまいます。

「CLOSE」は先生と生徒の距離

 今の双葉高校を、英単語で表現するなら、ということを考える機会がありました。そうして発案されたのが、CLOSEでした。この単語には二つの意味があります。

 動詞としては閉じるという意味で、双葉高校の休校を表します。二つ目は、形容詞としての近いという意味です。何が近いのか。それは、先生方と生徒の距離です。

 今の双葉高校は、生徒だけでなく、先生方の人数も少ないのです。その分、先生と生徒一人一人が関わる機会がたくさんありました。楽しいことは、先生方とも共有しました。本気のバレーボールを先生対生徒でやったこともありました。おそらく、他の高校では、あまり手をかけてはもらえないところを、最後まで手をかけてくださいました。分からないところは分かるまで、丁寧に教えてくださいました。先生方から見れば、手のかかるめんどうな生徒たちだったでしょう。しかし、生徒一人一人を見ていてくださいました。最後の最後まで指導してくださいました。ありがとうございました。

見守ってくれた親に感謝

 ここまで、育つことができたのも、私たちの親のおかげでもあります。仕事をしながら、家事をこなしながら、私たちを育ててくれました。11人のなかには、親元を離れて寮生活をしている生徒もいました。しかし、そんな生徒でも、毎回仕送りをしてくれ、何かあったときには、学校まで寮まで様子を見に来てくれることもあったのです。

 普段一緒に生活していてもいなくても、親の助力がなければ、ここまで育つことができませんでした。私たちがしたいように自由にさせてくれ、優しく、時には厳しく、見守ってくれました。

 高校を卒業すれば、大半の生徒が実家を離れて生活を始めます。親も不安かと思いますが、私たちも不安です。どうか、お願いします。私たちが実家に帰省したときは、温かく迎えてください。ここまで、育ててくれてありがとうございました。これからも、よろしくお願いします。

 感謝を伝えるべき相手は、もっといます。当たり前ですが、この休校前の双葉高校を支えてきたのは、私たちだけではありません。双葉高校の教職員、PTAの皆様、同窓会、いわき明星大学、そして、外部の企業、団体の皆様からの御支援がありました。また、他校との交流も、励みとなりました。震災後、サテライト校になってから、双葉高校はたくさんの支援をいただきました。その御恩を胸に、これからも頑張っていきたいと思います。ありがとうございました。

忘れるのがもったいない日々

 教室に入れば、11人全員を見渡せます。一人一人がよく見えました。面白いことで笑って。ドッキリをしかけてみたり、誰かにブームがきたらそれを他の誰かと共有したりしました。静かな廊下、教室。そこに響き渡る笑い声、叫び声。

 テスト直前に徹夜して勉強する生徒。いつもは静かだけれど、時には的を射た面白いことを言う生徒。とんでもないことをして周りを困惑させる生徒。めんどうくさがりで、めんどう事があると一目散に逃げる生徒。休み時間になるとよくお菓子を食べる生徒。ダイエット中と言いつつ誘惑に負けてしまう女子。おっさんのような女子。筋トレに励み、毎日プロテインを飲む男子たち。スポーツになるとすごい集中力を発揮する男子。

 そんな生徒がいる日々を、私たちはつまらないと感じたこともありました。けれども、今振り返ると、目まぐるしい日々を、過ごしていました。忘れるのにはもったいない日々でした。

サテライト校周辺の桜(2012年4月、双葉高提供)
サテライト校周辺の桜(2012年4月、双葉高提供)

 私たちは、たくさんの困難を乗り越えて、今、ここにいます。きっとこの先にも、たくさんの困難が待ち構えています。しかし、それを乗り越えられるように頑張ります。

 最後に、改めて、私たちを支えてくれた方々に、感謝します。ありがとうございました。そして、私たちの卒業とともに休校となる双葉高校へ。3年間、お世話になりました。いろんな思い出をつくることができました。ありがとうございました。さようなら。

震災前に撮影された双葉高の本校舎と桜(2007年4月、双葉高提供)
震災前に撮影された双葉高の本校舎と桜(2007年4月、双葉高提供)
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