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岩手 : 震災6年 旅立ちの春

東日本大震災のとき小学校6年生だった被災地の子供たちがこの春、高校を卒業した。岩手県の多くの高校では3月1日に卒業式が行われ、困難や悲しみを乗り越えた卒業生が、感謝を胸に巣立った。卒業生の新たな決意と校長の言葉を集めた。

社会に飛び立ち、恩返しを

釜石高 佐々木希
釜石高 生徒会長 佐々木希

創立100周年の年に入学して

 冬の寒さも日ごとに和らぎ、春の便りがうれしい季節となりました。今日という日が近づくごとに、私は、この3年間で学んだことや思い出を振り返り、釜石高校での生活がかけがえのない宝物になっていたことを実感していました。

 私たちが入学したのは、釜石高校が創立100周年を迎えた年で、さまざまな記念行事に参加し、貴重な体験をさせていただきました。そのような記念すべき年に入学でき、光栄に思ったことを覚えています。

センバツ出場が決まり、喜ぶ釜石高野球部の選手ら(2016年1月)
センバツ出場が決まり、喜ぶ釜石高野球部の選手ら(2016年1月)

 また、2年生の時には、野球部が春の選抜高校野球大会に出場し、全校生徒で甲子園球場へ行くという夢のような体験もさせていただきました。釜石高校での生活は私たちにとって特別な思い出を与えてくれました。

後輩の笑顔に励まされた

 この3年間、私たちはたくさんの人に支えられ、多くのことを学びました。

 まず、いつもそばにいて、互いにわかり合えた友達。176人という人数の中でそれぞれが大切な友と出会い、今まで共に歩んで来たことをうれしく思います。

 部活動は私たちにとって本当に大切な思い出となりました。3年間を振り返り、私が一番好きだった時間は、笑顔あふれる部活動の時間でした。仲間と共に、決して少なくはなかった困難や悔しさを乗り越え、分かり合うことの大切さを学びました。

 学年が上がるごとに、後輩たちに出会いました。先輩としてのあり方に悩むこともありましたが、後輩たちの笑顔と一生懸命な姿に励まされていました。受験勉強に追われる日々にも、皆さんの部活動に取り組む姿や言葉を交わすわずかな時間から、私たちはいつも元気をもらって過ごしていました。在校生の皆さん、私たちの高校生活は皆さんに出会って笑顔が増えました。時に、頼りない姿を見せたり、厳しいことも言ってしまったりしましたが、最後までついてきてくれたことに、心から感謝しています。

 これから釜石高校を築いていく皆さんにはどうか、たくさんのことにチャレンジしてほしいと思います。仲間と一緒なら、きっと大丈夫です。皆さんならなんでもできると私たちは信じています。毎日を大切に、満足できる高校生活を送ることを願っています。

たくさんの支援に恩返しを

釜石高(2013年12月、釜石高提供)
釜石高(2013年12月、釜石高提供)

 日々、私たちを見守り、たくさんの優しさを下さった先生方、今まで本当にお世話になりました。入学当初の私たちは、未熟すぎて気づくことに時間がかかってしまいましたが、先生方は、いつも私たちと本気で向き合って下さいました。釜石高校で出会った先生方のように、私も、誰かにたくさんの優しさを与えられる人になりたいです。

 東日本大震災から6年がたとうとしている今、私たちは社会に飛び立とうとしています。たくさんの支援をして下さった方々の気持ちを忘れず、恩返しができるよう努力していきます。

 思い出のつまったこの学びともお別れの時を迎えました。寂しさと不安もありますが、3年間で得た宝物を胸に、私たちは希望の道を歩みます。本当にありがとうございました。

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自分の花を咲かせてほしい

釜石高校長佐藤一也
釜石高校長 佐藤一也

いただいた恩を忘れないで

 ただいま卒業証書を授与された176人の卒業生の皆さん、卒業おめでとうございます。

 また、保護者の皆様には、日々深い愛情をもって大切に養育なされ、いろいろな喜びを味わい、またさまざまなご苦労を乗り越えつつ今日という日を迎えられたものと拝察し、心からお祝い申し上げます。特に、東日本大震災津波の年、深い悲しみや混乱の中で中学校に入学され、以来、6年もの間、厳しく、困難な環境の中で懸命に養育され、こうして立派な青年に育てあげられましたことに、心から敬意と感謝を申し上げます。

 卒業生の皆さんも、今日この日を迎えるに当たって、逆境の中でもがんばってきた自分自身をほめてあげるとともに、ご家族、地域の方々、友人、先生はもとより、国内外の多くの方々からご恩をいただいてきたことを、決して忘れることなく、新たな出発をしてください。

地域の復興と創生を担う

東日本大震災の際、釜石高の体育館は避難所となった
東日本大震災の際、釜石高の体育館は避難所となった

 さて、100年あまりの歴史を刻む本校は、「文礼一如」の教育理念の下、「広い視野を持ち、社会に貢献する人材の育成」を使命として、有為な人材を多数輩出して参りました。特に先の震災以後、地域の復興・創生を担い、リードする人材として、皆さんに対する期待は、いっそう大きく、切実になったと言えましょう。皆さんは、文字通り、地域の、日本の「宝物」なのです。

 この3年間、皆さんは、かけがえのない仲間と友情を育みながら、日々、学習や部活動、学校行事などで切磋琢磨せっさたくましてきました。特に、スーパーサイエンスハイスクールとして学習を深め、課題研究、国際交流等貴重な経験をし、大きな成果をあげてきました。部活動では、国体や全国大会等での活躍も目立ちました。中でも全校一丸となって勝ち取った第88回選抜高校野球大会での初勝利は、地域に大きな希望と勇気をもたらしました。

 こうしたさまざまな感動や思い出を胸に、皆さんは今日、新たなステージに旅立つのです。

乗り越えられない困難はない

 この晴れの門出にあたり、はなむけとして、次の言葉を贈ります。

 それは、「艱難かんなん、汝を玉にす」という言葉です。艱難、すなわち苦労や困難に出会い、悩みや苦しみを経験することで、人は磨かれ、立派な人間になるというのです。そのためには、「なぜ自分だけが苦しいのか」「なぜ自分だけが不幸なのか」と艱難を拒否するのではなく、困難や失敗、挫折を「自分を磨いてくれるもの」と受け入れ、「うまくいかなかったのは、何が足りなかったのか」と考えたり、「どうすればあと一歩前に進めるのか」と自らに語りかけ、艱難にしっかりと向き合うことです。前に進もうとするから艱難に出会うのです。

 艱難に出会うことには意味があります。先哲の言葉に、「天何の故にか我が身を生み出し、我をして果たして何の用にか供せしむる。必ず天の役あり」とあります。天は私をこの世に生みだし、私に何をさせようとしているのか、必ず天から役割が与えられているはずだということです。その役割に貴賤上下大小はありません。

 皆さんが経験する艱難は、天からの役割を果たすことと必然で結ばれているのではないでしょうか。乗り越えられない艱難は与えられないとも言われます。艱難を経験し乗り越えつつ、人生のステージを高めていってください。もちろん人生は艱難ばかりではなく、たくさんの経験にあふれています。

置かれた場所で咲きなさい

 「あなたの置かれた場所で咲きなさい」という言葉があります。この言葉は、ノートルダム清心学園理事長であった渡辺和子氏の著書にあるものです。この本の中で、氏は、「置かれた場所に不平不満を持ち、他人の出方で幸せになったり不幸せになったりしては、環境の奴隷でしかない。人間と生まれたからには、どんなところに置かれても、そこで環境の主人となり、自分の花を咲かせよう」と述べています。

 「咲く」とはどういうことか。「咲く」とは、そこでの生活の中で、喜び、悲しみ、苦しみ、笑い、泣き、感動し、楽しむこと、時に失敗や後悔を重ねながらも、そこからいろいろなことを学び、一歩一歩成長すること、と考えます。

 皆さんには、人生において自分に与えられた役割を見つけ果たすため、4月から新たな環境の中、自分なりの色や形を大切にしつつ、自分の花を咲かせてほしいと切に願います。

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晴れやかな門出に深い喜び

宮古高 菅原咲弥
宮古高 菅原咲弥

輝く思い出がたくさんできた

 新しい制服に身を包み、期待と不安を胸に宮古高校の校門をくぐったあの日から3年。時にはくじけそうになりつつも歯を食いしばって励んだ勉強や部活動。両立に悩み苦しむこともありましたが、努力の成果がインターハイや全国選抜大会などでの活躍につながったと思います。

 いわて国体では、宮古市で開催されたヨット競技での目覚ましい活躍をはじめとして、ボートやラグビー、バスケットなどで、岩手の代表に選抜された皆さんが、それぞれ素晴らしい結果を出してくれました。文化部もひたむきな取り組みの成果が、全国大会での数多くの入賞などに表れています。

 そして、クラスが団結して臨んだオリンピアや宮高祭などの行事、友人と語り合った日々。この3年間で得た数え切れないほどの輝く思い出は、友人や後輩、先生方や家族の存在があったからこそ、手に入れることができた、かけがえのないものです。

理想を求め、日々奮闘

いわて国体で入場行進を行った岩手県選手団(2016年10月)
いわて国体で入場行進を行った岩手県選手団(2016年10月)

 宮古高校のスクールカラーである臙脂えんじ色には、向上心という意味があるそうです。宮古高校の校章の由来となったエマーソンの「なんじが希望を星にかけよ」という言葉には、「真の理想を追求せよ」との教訓があります。そして宮高生がめざす姿を象徴する「天行健」。私たちはそのような力強い言葉に囲まれ、その言葉を自分たちのものにすべく、日々、奮闘してきました。

 そうしてここまで成長できたのは、先生方が常に私たちを見守ってくださったからです。生徒一人ひとりに向き合い、進むべき道を私たちが自分で切り開けるよう、ご指導してくださいました。今、ここで私たちが堂々と卒業証書を受け取ることができたのも、先生方のお力があったからです。本当にありがとうございました。

 在校生の皆さん、私たちは本日で宮古高校を卒業しますが、皆さんには校訓や校歌などから宮高生としてのあるべき姿をもう一度確認し、その理想に少しでも近づいた姿で来年、再来年この場所に立ってほしいと願っています。いろいろな場面で私たちを支え、盛り立ててくれたことに感謝しています。宮古高校で皆さんと出会い、すばらしい後輩を持つことができたのは私たちの誇りです。皆さんの今後の更なる活躍を期待しています。

ふるさとの復興に貢献したい

 6年前、東日本大震災によって正式な卒業式を行えないまま小学校を卒業した仲間もいる私たちが、今、この晴れやかな門出の舞台に立つことができたことに深い喜びを感じております。これまで苦楽をともにした仲間たち、導いてくださった先生方、私たちを見守ってくださった地域の方々、そして何よりも、18年間、どんな時でも親身になって私たちを支え、育ててくれた家族の応援があったおかげで、私たちは今日を迎えることができました。

 今後はその方々への恩返しができるよう、そして復興を遂げようと歩みを進めるふるさとや社会に貢献できる人材になれるよう、日々精進してまいります。

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広い視野と本物の教養を

宮古高校長佐藤尚
宮古高校長 佐藤尚

 ただ今一人一人卒業証書を手にした238人の皆さん、卒業おめでとう。

 本校において、高等学校普通科の全ての課程を修了できたことを、卒業式に参列しておられる全ての方々と共に、喜び合いたいと思います。

視野を広げ、多角的に考えて

 全日制の卒業生の皆さんは、宮古高校に入学して間もなくの校長講話で、ラサ工業の煙突の本数の話をしたことを覚えていますか? その際、見る方角によって1本から4本まで本数が変わる千住火力発電所のお化け煙突の話をしましたね。

 自分一人の一方的な考え方だけで判断するのではなく、いろいろな見方をしたり、いろいろな立場の人の意見を聞いたりして、視野を広げ多角的な考え方をするように話したと思います。この3年間の高校生活で、実行できたでしょうか?

 さて、卒業生諸君、今、盛んにグローバル化が叫ばれています。それは、ただ単に「英語を話せるようになりましょう」とか「外国との交流を盛んにしましょう」といった単純な話ではありません。日本だけでは、食料を自給することも、全てのエネルギーをまかなうこともできません。地球の温暖化や大気汚染などの環境問題も、一つの国だけで解決できるような簡単な問題ではないのです。

 私たちは、日本国民である以前に、「宇宙船地球号」の乗組員なのです。国境を越えて、人や物やお金が自由に行き来できるようになって、確かに経済的発展を遂げることができました。しかし、貧富の格差はますます広がり、いまだに至る所で紛争も続いています。

 それぞれの国や地域は、それぞれが置かれている状況も異なれば、言葉はもちろんのこと、宗教や伝統、衣食住の慣習も異なります。私たちが当然正しいと思い込んでいることでさえ、他の国では非常識なこともあれば、その逆のことも、数多く存在します。

広い知識と本物の教養を

桜の季節の宮古高校
桜の季節の宮古高校

 先日、東京大学の教養教育で実際に行われた「異分野交流・多分野協力論」の講義を基に書かれた東大出版の『大人になるためのリベラルアーツ』という本を読みました。本書では、「絶対に人を殺してはいけないか」「真理は一つか」など、簡単に答えの出ない問題と格闘し、異なる専門や価値観を持つ他者との対話を通して、真の大人になるための思考力を鍛える試みが紹介されています。

 「人を殺してはいけない」ということでさえ、良く考えもせずに「そんなの当たり前だろう!」と単純に結論を出すのではなく、正当防衛や死刑制度に始まり、戦争や安楽死などのさまざまな状況において、いろいろな立場や考え方について、論じたり考察したりすることによって、改めて命の大切さに気づくことの重要性を説いています。

 これから進学や就職をして社会に出て行くにあたり、君たちに、お願いがあります。自分だけの考えに固執することなく、また、ネットの情報だけを鵜呑うのみにすることなく、できるだけたくさんの本を読み、なるべく多くの人と意見を交換し、広い知識と本物の教養を身につけて、社会に貢献できる人物になってほしいと、心から願っています。

自分の足元を見つめ直して

 視野を広げる話ばかりしましたが、思考には、マクロ的に全体をとらえる「巨視的思考」と、ミクロ的に細部まで観る「微視的思考」があると言われています。どちらも大切な視点であり、特にも科学的な研究をする際には、いずれも欠かせない思考方法です。

 例えば、森林を研究する際、「巨視的」に、森林全体を捉えて、その植生や近隣の砂漠・海などの環境との関連を研究する。逆に、「微視的」に、森林を構成するそれぞれの木々、あるいは下草の様子、ひいてはそれぞれの植物の細胞レベルまで研究する。いずれも、森林を研究するためには、必要かつ重要な思考方法です。

 しかしながら、「木を見て森を見ず」や「森を見て木を見ず」になってしまっては、元も子もありません。視野を広げると同時に、自分の足元をしっかりと見つめ直すことも、決して忘れないでください。

今こそ人生のスタートライン

 結びになりますが、皆さんは6年前に心に傷を負う大変な経験をしました。その後、小学校の卒業式や中学校の入学式を始め、いろいろな悲しい思いをしたり、つらい学校生活を送ってこられたことと思います。「みんな、良く頑張った!」だからこそ、それと同時に人の痛みを理解する感性や、支援に対する感謝の気持ちを育み、絆の大切さなどを学んだのではないでしょうか。

 今まさに、本当の意味での人生のスタートラインに立ったばかりです。言うまでもなく人生は長い。その道は決して平坦へいたんではなく、遠く険しいものかもしれませんが、『大き理想に燃えたちて 尊き使命果すべく』精進し続けることを願ってやみません。

 終わりに、私事で大変申し訳ございませんが、教員生活の最後の3年間を、皆さんと共にここ宮古高校で送ることができたことをとても光栄に思い、心から感謝いたします。決して忘れません。

 これからの諸君の健康と輝かしい前途を祈念して式辞といたします。

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弱い自分と向き合って

岩泉高三上るあ
岩泉高 三上るあ

 春の光に心誘われる時が来ました。希望の光が降り注ぐ今日のこのよき日に、私たち38人は無事に卒業式を迎えることができました。

 岩泉高校創設以来、最も少ない人数で入学した私たちは、さまざまな行事を通じて、成長してきました。時間を見つけ、みんなで口ずさんで練習した応援歌から始まり、本気で作戦を練り勝利を競った体育祭。友人と教え合いながら臨んだ定期考査。長い距離を励まし合いながら清掃して歩いた20キロの道のり。意見がまとまらず、時にぶつかり合いながらも、最後は楽しかったと肩を抱き合った泉高祭。学校行事を通じて、少ない人数だからこそ、協力し取り組むことの難しさや、意見を出し合うことの大切さを学びました。3年間、この同級生と共に学んできたことは、それぞれが歩む人生の中で必ず生きてくると確信しています。

認めてもらえる充実感

 この3年間で、私自身、岩泉高校に入学したからこそできた大きな成長をしました。

 私は入学した当初、どこか環境や自分に対して諦めがあり、充実しない毎日を周りのせいにしていました。そんな甘い考えを根本から変えてくれたのは郷土芸能です。郷土芸能は少ない人数で、しかも兼部というハンデを抱えながら勝ち抜いてきた同好会でした。

 環境のせいにして勝てない自分から逃げてきた私にとって、郷土芸能の成績は「異例」ともいえるものでした。大きな興味と憧れを抱いて入部しましたが、華やかな舞とは裏腹に、憧れだけでは簡単に舞台に上がらせてはもらえない厳しい練習の日々。先輩の求める舞ができず、同じところを何度も何度も直されました。

 入学してわずか3か月で迎えた初めての全国大会。気を抜けばのみ込まれてしまいそうな大きな会場で上位入賞し、初めて自分が認めてもらえた気がしました。私は今まで、一輪車の全国大会に出場できても上位にはなれず、下から数えた方が早い自分の順位をみじめな気持ちで眺めてきたからです。初めて手に入れた全国大会での上位入賞。人に認めてもらえることに大きな充実感を覚え「もっとさまざまなところで認めてもらいたい」と思うようになりました。そしてそれを達成するには環境のせいにして逃げてはいけないということを痛感しました。

京都府で開かれた「第5回記念大会全国高校生伝統文化フェスティバル」で中野七頭舞を披露する岩泉高の生徒たち(2016年12月)
京都府で開かれた「第5回記念大会全国高校生伝統文化フェスティバル」で中野七頭舞を披露する岩泉高の生徒たち(2016年12月)

台風で試された心の強さ

 3年生になり、進路活動も正念場にさしかかった頃、突然、台風10号が岩泉町を襲いました。道路が遮断されて学校に行けず、焦りが募る日々。泥をかき出し、物資を運んで歩くことしか私たちにはできませんでした。「泉高生が手伝ってくれて助かった」。そんな地域の方々の感謝の言葉に毎日支えられていた気がします。

 あの時ほど普段の生活にありがたみを感じた日はありません。それぞれの生活もままならない中、学校に行けないことへの焦りを押さえ込み、復興に向けて自分たちの役割を果たすのは、決して簡単なことではありませんでした。台風を通じて、大変な時こそ心の強さが試されるということを身に染みて感じ、この経験が私たちを強くしてくれたような気がします。

何もできない自分と向き合った大学受験

 そして迎えた大学受験。私にとって受験勉強は、「何もできない自分と正面から向き合ったもの」でした。今まで何となくやってきた勉強。第一志望に落ちてから、勉強不足が浮き彫りになり、何もできない自分に絶望した日のことは一生忘れないと思います。

 あせりは募るばかりで、両親とも何度か衝突しました。そのときは、何を言われても自分の進学を否定されている気がして、冷静に自分のことを考えることができませんでした。もっと頭がよかったなら、私一人の志望校のことで先生方を悩ませたり、お金のことで両親に心配をかけたりすることはなかったのにと、何度も思いました。全国の受験生に差をつけられていることを思い知らされ、一から勉強し直したのは11月からでした。中学校の教科書を引っ張り出し基礎の基礎から勉強し直すのは、残された時間的にも無謀だということはわかっていましたが、今までのごまかしを補うにはこれしかありませんでした。最後は続けてきた一輪車と郷土芸能の経験が実を結び、一般試験で無事合格を手にすることができました。

 もし、あの時本気で自分と向き合っていなかったならこの喜びは味わえていなかったと思います。そして、もし、あの時、両親から自分の志望校を簡単に許してもらっていたなら、やはり、合格の喜びはここまでではなかったと思います。大学に行けることを心の底から感謝できるのも、両親との衝突で自分自身を見つめ直し、精神的に成長できたからだと感じています。まだまだ知らないことも多くあり、勉強しなければいけないことだらけですが、受験勉強を乗り越えた経験はこれから何年先にも生きてくるはずです。何もできない自分から目をそらさず、逃げ出さず、向き合ってきて本当によかったと思います。

 必死になって練習してきたことを認めてくれる人がいたことに大きな喜びと充実感を感じて以来、町の事業であるデルズ市を中心とした短期留学や、国際的に通用するコミュニケーション能力を身につけるため全国の高校生と勉強合宿をしたリーダー養成塾、一輪車の舞台演技など、あらゆる可能性に挑戦してきた3年間。どれも一度は自分のレベルの低さを痛感させられ、挫折しかけたことがほとんどでした。

 でも、とても充実していました。経験したこと、出会った人たちは私たちにとって一生の宝物です。大きなことに挑戦し、自分と向き合ってきたからこそ、今の私たちがあります。

置かれた場所で最大限の努力を

 後輩の皆さん。次は皆さんがこの岩泉高校を作っていく番です。より良い学校を作っていくために、皆さんにお願いしたいことがあります。それは、置かれた環境に不満を言うのではなく、その中で自分にできる最大限の努力をしてほしいということです。

 私は郷土芸能に出会うまで環境のせいで自分は変われないと思ってきましたが、実際はその諦めが自分自身の成長を妨げていることに気がつきました。立ち止まって足元を見れば、自分が輝けるチャンスがたくさん転がっています。必死になって頑張れば手を差し伸べてくれる人が皆さんの周りにはいます。だから、何をやるにしても、原点は自分だと思ってください。原点はいつも自分にあって、プラスに転がるのも、マイナスに転がるのも自分次第。今つらいことを乗り越え、たくさんの経験をしておけば、将来役に立つのは「絶対」だと私は信じています。

 でも、挑戦するか否かを決めるのは私たちにしかできないことです。もし自分で夢を見つけて努力したならば、達成したときに感じる充実感は人一倍大きなものになるということを、後輩である皆さんに伝えたいです。大きな決定をすればするほど、弱い自分と向き合う回数は増えます。つらいです。嫌になることもたくさんあります。でも、そこから逃げないことで、初めて応援してくれる人がたくさんいること、支えられてきたことに気づくことができます。そんな充実した高校生活を送ってください。

 最後に、私たちの夢を本気で応援し、背中を押してくださった校長先生をはじめとする先生方。絶大な支援だけでなく、泉高生の意見にも親身に耳を傾けて下さった岩泉町議会の皆様。温かい挨拶で見守って下さった地域の方々。それから、18年間私たちのことを一番に考え、ここまで育てて下さった両親。たくさんの方々から支えられてきたからこそ、今の私たちがあります。未熟な私たちに一人の人間として接してくださったこと、気持ちよく社会に送り出して下さること、そのすべてに感謝します。本当にありがとうございました。

 今日、大きな希望を胸に旅立つ日を迎えた私たち。不安もありますが、それ以上に待ち構える新たな世界に対し、大きな期待であふれています。岩泉高校で学んだことを生かし、私たちが高校生活の中で頂いてきたものをいつか地域や社会に返せるよう、「学ぶ姿勢」を忘れずに、今後も日々精進していきたいと思います。

 お別れにあたって皆様のご健康とご活躍、そして後輩たちの更なる飛躍を祈念いたしまして答辞とさせていただきます。

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2度の災害をこえての卒業

岩泉高校長茂庭隆彦
岩泉高校長 茂庭隆彦

 ただ今、卒業生38人に卒業証書を授与いたしました。親愛なる卒業生諸君、卒業おめでとう。在校生並びに教職員一同、心からお祝いを申し上げます。また、ご自身のことのように喜んでいらっしゃる保護者の皆様、お子様のご卒業、本当におめでとうございます。

甚大な被害、深い悲しみ

震台風10号の被害を受けた岩泉町(2016年8月)
台風10号の被害を受けた岩泉町(2016年8月)

 諸君が小学校卒業を目前にした6年前、津波が一瞬にして跡形もなく住みかを破壊し、多数の人命を奪った東日本大震災が発生しました。甚大な被害を目の当たりにして言葉を失い、大切な人、物を失った深い悲しみと絶望感は忘れることはできません。まして、肉親を亡くした12歳にとっての喪失感と底なしの闇に投げ出された不安感は、計り知れなかったと推察します。

 諸君の記憶の中には、グラウンドで遊んでいて、「避難しろ」という呼び掛けに驚いて高台まで走った小本小学校、卒業式歌の練習をしていて慌てて避難した田老第一小学校などの光景が浮かぶかもしれません。いずれも卒業式の会場は、急きょ被害のなかった岩泉町民会館や避難所となった体育館から教室等に変更され、在校生の送る姿がないおごそかな式が行われました。

 そして、高校生最後の昨年夏、8月30日、台風10号が岩手県に上陸し、記録的な大雨による河川の氾濫、土石流等を発生させ、甚大な豪雨災害をもたらしました。ライフラインが途絶え、通信手段も限られた中で、先生方は、安否確認のため避難所や保護者の職場に足を運んで情報収集するなどあらゆる手掛かりを求めて奔走しました。

 生徒諸君の無事を祈り続けた発災3日後の9月2日11時過ぎ、諸君全員の生存を確認できました。その瞬間、安堵感とともに全身の力が抜けていったのを覚えています。

 しかし、親を亡くした生徒、住宅全壊で制服や教科書を流失した生徒などその深刻な状況は学校生活どころではありませんでした。9日間の臨時休業を決断し、町民の生活再建に向け、学校としてできることに心を配りました。その間諸君がどのような日々を送っていたのかは、全く不明でした。

舞から学んだ人間性

 その1か月前、郷土芸能同好会は全国高等学校総合文化祭郷土芸能部門の県代表として広島大会に出場し、中野七頭舞を披露し優良賞を受賞しました。

 中野七頭舞はこの6年間で2度も激甚災害に見舞われた小本地区に伝わる勇壮で華麗な舞です。先輩方の思いを受け継ぎ、全ての人を感動させる舞を披露して全国の頂点に輝くことを皆で誓った部員には、成績発表の直後、下を向いて泣きじゃくる姿しかありませんでした。会場で観覧していた私も、正直悔しさで一杯でした。総勢34人での演舞に挑戦し、今までで一番の出来、何よりも観衆を魅了し観衆と一体化した最高の演舞だったからです。副部長は、表彰式では後悔ばかりだったと吐露しています。

 しかし、演舞を見てくださった方から「感動した。胸を張って帰ってほしい」と言われ、頂点に届かなかったものの自身の考えたスローガン「琴線を奏でるが如し」を達成できたのではと思ったそうです。部長は、「伝承芸能で受け継がれるのは、踊りの型や節だけではなく、その芸能に関わる人々の思いも受け継がれる」と言う本質を知り、全国大会のステージで堂々と演舞できた後輩に、自分たちの目標を託そうと決めたと言います。

 荒野を耕す開拓の苦しみ、作物を育てる過程での自然災害や動物・人から作物を守る厳しさと勇敢さ、それらを乗り越えた収穫の喜びが中野七頭舞には表現されています。小本在住の部長宅は豪雨により1階が浸水し、小本津波防災センターでの避難生活を強いられました。被災しながらも、町役場職員を手伝い支援物資の管理や各避難所への配給、避難した子供の面倒を見るなど昼夜を通し避難所運営に当たっていたと後に聴きました。私どもは、生徒のその崇高な生き方から人間性とは何かを教えられます。被災していても町民の役に立とうとするその思いこそ生徒諸君がこの災害で学んだ最も大きな宝物です。

大事なものに気づく心の準備「ありがとう」

住民に水や食料など支援物資を配る町職員と自衛隊員ら(2016年9月)
住民に水や食料など支援物資を配る町職員と自衛隊員ら(2016年9月)

 多くの方々から、諸君の災害発生前後の行動に対し賛辞の言葉をいただきました。避難所運営に当たったのは、小川地区でも同様だったと伺いました。隣家の1人暮らしの高齢者に避難の声を掛け、翌日から浸水した家の泥出しや家具の洗浄・片付けに全身全霊で手伝った生徒もおりました。SNSで孤立集落の状況を確認するとともに土石流などの二次災害に対する備えを発信してくれた生徒もおりました。

 学校が再開した1週間は、午後ほとんどの者が被災した部員の家などの手伝いや町の支援ボランティアに参加しました。台風10号豪雨災害における涙、嘆きを、「新たな可能性」「未来への輝き」に変えていく一歩を既に諸君は踏み出しました。内外からの多くの支援を受け、改めて人と人との絆や地域での支え合いの重要性を教訓として学びました。私は、周囲に感謝する心、地域への思いを実感した卒業生諸君を復興の担い手として自信を持って社会に送り出せます。

 とはいえ、卒業生一人ひとりにとって本日を迎えるまで数々の試練がありました。感謝の言葉の陰には、このように苦しみにもがいた日、悲しみに嘆いた日、何事もうまくいかず泣いた日、挫折しそうになってその矛先を親に向け衝突した日もあったと思います。「ありがとう」は苦難を乗り越えないと発することのできない言葉です。「有り難い」は困難が有ると書きます。志を抱き、艱難かんなん辛苦を味わい、努力して越えることができて初めて発するすてきな言葉、それが「ありがとう」です。本当に大事なものはなかなか見えません。それに気付くための心の準備こそが「ありがとう」という感謝の気持ちだと思います。

出来事の一つひとつが未来につながる

 本校は第2次世界大戦の最中さなか、1943年に創立されました。70年あまりの間に、時代は大きく変わりました。グローバル化が進む一方、我が国は、いまだ経験したことのない人口減少・超高齢化社会へと向かっています。日本が抱えるこの課題の最先端が岩泉・田野畑地域にあります。見方を変えれば、日本の各地で抱える問題に真っ先に立ち向かえるまたとない機会に直面していると言えます。好機と捉えこの地からイノベーションを起こしてほしいと期待します。

 そのために、常に問題を掘り起こす意識を持ってその解決のために必要な次の三つの力を育ててください。一つ目が、言語スキル、情報処理など身体や道具を使える基礎力です。二つ目が、クリティカルシンキング、問題解決、メタ認知などの思考力です。三つ目が、自立的活動、人間関係形成、つまりコミュニケーションなど世界のどこでも生きられる実践力です。

 卒業生諸君、この基礎力、思考力、実践力を育てるためにこれから社会に出るに当たって心に留めておきたい言葉を贈ります。いつも諸君に話していた言葉です。ご列席の皆様は、門出に際しふさわしくない言葉と誤解しないで聴いてください。それは、「あくま、おい」です。「あせるな」「くさるな」「負けるな」そして「おごるな」「いばるな」の頭文字を並べたものです。

 新しい職場、学校にて、夢や努力が必ず報われるとは限りません。しかし、夢や努力がなければかなえられません。なげやりになりそうになるそのとき、「あくま」つまり「あせるな」「くさるな」「負けるな」と心の中でつぶやいて、地道な努力を続けてください。努力していれば、その姿をだれかが必ず見てくれています。挑戦を恐れず、失敗をたくさんしてください。一見、回り道に見えますが、人生には無駄はありません。

 そして、仕事や研究が軌道に乗り大きな成果となって花が開くときこそ、「おい」とつぶやいてください。「おごるな」「いばるな」です。物事を成し遂げたとき、事業が順調なときこそ陰で支えてくれた皆様に「ありがとう」と言える人間に成長してほしいと願います。身に起きる出来事の一つひとつが、未来へとつながっています。

子は親を選んで生まれてきた

 卒業を前にしたある生徒の保護者に対する感謝の気持ちを代読します。

 「特に両親にはとても感謝しています。私はあまり自分の事を話さないので、急に落ち込んだり、体調を崩したりして、とても心配を掛けてしまったと思います。それでも気を遣ってLINEをしてくれるお父さん、とりあえず笑ってくれるお母さんがいて、私は安心することができました」

 この世における親と子、お互いの学びのために、子は親を選んで生まれてきたと私は考えております。親として子を育てるに当たり、できる限りの愛情を注ぐと決心し、我が子を守ってきたのでしょう。人生の先輩としてさまざまな困難に立ち向かい、葛藤を乗り越え、卒業生と一緒に泣き、喜び、本日を迎えているとご拝察します。

 保護者の皆様には、3年間本校の教育活動に絶大なご理解とご協力を賜りました。ご労苦に敬意を払うとともに、心から感謝申し上げます。

 岩泉町には、大学進学支援補助金や通学費・寮費補助、ウィスコンシン・デルズ市への海外短期留学など生徒を未来へつなぐ七つの支援事業等の実効性のある政策で支えていただきました。地域住民である岩泉町、田野畑村の皆様には、20キロ清掃などの行事の際はもちろん、日常の登下校時等、卒業生の日々の生活を支えていただきました。地域の支援に心から感謝申し上げます。

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東日本大震災〜再生の歩み 航空写真と360度動画で知る東日本大震災からの6年間と現在 東日本大震災〜再生の歩み 航空写真と360度動画で知る東日本大震災からの6年間と現在
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