(12)「代償」に苦しんだ1年熱心なぶんだけ、さみしさが漂った。 21日の本拠地最終戦へ向け、カウントダウンを始めたヤンキースタジアム。試合前練習では連日、左翼に陣取った。左ひざは手術間近。守備練習への参加は許可が出ない。だから球拾いとして、同僚が打つフリー打撃を待ち構えたのだ。 「もう最後だから。名残惜しくて」としんみり。左翼の位置は故障で、完全に手放した。今は別の選手がそこでノックを受ける。邪魔にならぬよう、左翼線方向に位置をずらし、ぽつんと立った。そうして届く範囲で時に猛然と打球を追い、つかみ、ホームの左翼に別れの儀式を続けた――。 昨オフに手術した右ひざでなく、左に不安があった。開幕後まだ2週間の4月中旬には、こう漏らした。「左は(軟骨に)傷が入ってる。その範囲が広い。はがれたら、右と同じようにならないとも限らない」 左は1998年の巨人時代からの古傷だ。約10年、トレーニングと慎重なケアで持ちこたえてきた。しかし昨オフ、右と一緒にやったMRI(磁気共鳴画像法)検査で状態を再確認したのに続き、6月23日の検査で危うさへの認識は増していた。「昨年の右は1か所だけ、局部的に大きく削れてたけど、傷ついてる部分は左の方が多い。削れて関節内に浮いてる大きさは、左の方が大きいかもしれない」 不安は現実に。10年耐えた左が限界を超えた。痛みと腫れで約2か月、戦列を離れた。復帰してもDH専門、打順も下位に。現ヤンキースタジアム最終年は皮肉にも、踏ん張ってきた代償を支払う1年となった。ベーブ・ルースと同じ左打席に入り、満塁弾で本拠地デビューを飾った03年4月8日から5年半。本拠地最後の21日は9戦ぶりの出場だった。打順は開幕時同様、8番だった。 その翌日に内視鏡手術を受け、今はリハビリ中だ。単調な毎日だがそれは98年から初めて、打撃の“間”やパワー伝達を支える左ひざに、不安をなくす過程でもある。「10年前と同じ体になるわけじゃないけど、精神的に違う。トレーニングもできるようになる」 新球場で迎える09年は躍動の1年となるか。中軸、左翼、ワールドシリーズ。松井秀喜は全部を取りに戻って来る。(小金沢智)(おわり) (2008年9月30日 読売新聞)
|
今週のPICK UPPR
|
| ▲この画面の上へ |
|
会社案内|
サイトポリシー|
個人情報|
著作権|
リンクポリシー|
お問い合わせ| YOMIURI ONLINE広告ガイド| 新聞広告ガイド| 気流・時事川柳(東京本社版)への投稿| 見出し、記事、写真の無断転載を禁じます Copyright © The Yomiuri Shimbun. |