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    スキージャンプ

    葛西紀明(かさい・のりあき)

    <プロフィル>

    • 8大会連続の五輪出場を見据える葛西紀明(2017年11月17日、ポーランド・ビスワで)=増田剛士撮影
      8大会連続の五輪出場を見据える葛西紀明(2017年11月17日、ポーランド・ビスワで)=増田剛士撮影

     2014年ソチ五輪の男子個人ラージヒル(LH)で銀メダルに輝き、団体LHでも銅メダルを獲得。1994年リレハンメル五輪でも団体銀メダル。42歳5か月のワールドカップ(W杯)最年長優勝記録を持ち、W杯通算17勝は日本男子歴代最多。五輪7大会連続出場はギネス記録。45歳の今も現役の第一線で活躍を続け、ジャンプ界の「レジェンド(伝説)」と呼ばれる。
     1972年6月6日、北海道下川町生まれ。小学3年生で競技を始め、下川ジャンプ少年団で成長した。東海大四高―地崎工業―マイカル―土屋ホーム。1992年アルベールビル大会で五輪初出場、間もなく世界の一流ジャンパーになった。しかし、1994~95年には2度鎖骨を折って調子を落とした。1998年長野五輪では日本が金メダルを獲得した団体メンバーから漏れる悔しさも味わった。
     2009年から土屋ホームの監督を兼務。日本選手団の主将を務めたソチ五輪でついに個人種目の五輪メダル獲得を果たす。2014年に結婚し、2016年には長女が誕生。2018年平昌(ピョンチャン)五輪で悲願の金メダルを狙う。1メートル76、59キロ。

    NHK杯 葛西らしく 逆転V(2017年11月5日)

     NHK杯(5日・札幌市大倉山ジャンプ競技場=HS134メートル、K点120メートル)――全日本選手権ラージヒル(LH)を兼ねて行われた男子は、1回目に2位につけた葛西紀明(土屋ホーム)が2回目に最長不倒の134メートルをマーク、合計276.1点で優勝した。1回目首位の小林潤志郎(雪印メグミルク)が2位に入った。女子は伊藤有希(土屋ホーム)が2回目に最長不倒の133メートルを飛び、合計256.8点で初優勝。

    体投げ出し最長不倒 教え子のフォーム参考

    • 最長不倒134メートルを記録した葛西紀明のジャンプ(2017年11月5日、札幌市大倉山ジャンプ競技場で)=上甲鉄撮影
      最長不倒134メートルを記録した葛西紀明のジャンプ(2017年11月5日、札幌市大倉山ジャンプ競技場で)=上甲鉄撮影

     ワールドカップ(W杯)前、最後の国内3連戦を勝利で締めくくったのは、葛西。「3戦目でようやく最高のジャンプができた。気持ちいいですね」。よく日焼けした顔をほころばせた。

     1回目で2位につけ、逆転を懸けて臨んだ2回目。鋭い飛び出しから、上体を前に投げ出す葛西らしい空中姿勢で前へと突き進んだ。テレマーク姿勢もきっちり入れ、ヒルサイズの134メートルで着地。国内試合では珍しく、右拳を握るガッツポーズも飛び出した。1回目首位の小林潤をかわし、日本一の称号を手に入れた。

     サマージャンプから、氷の助走路への移行期に入っても、調子が上向かなかった。だが、女子の伊藤有希のジャンプがヒントになった。「いい助走姿勢が組めているし、踏み切りから上半身も起きてない。俺もああいうふうに飛びたいな」と、教え子の飛び方を参考にしたという。

     ここ2試合で1、2位を独占した小林兄弟の勢いをはね返し、第一人者の貫禄を示した45歳は「W杯では最年長優勝もしたいし、平昌五輪では自身持っていない金メダルを目指して頑張ります」。舌も滑らかに、ファンの前で力強く宣言した。(増田剛士)

    葛西 笑顔の帰国 W杯最年長V(2014年12月9日)

    • W杯最年長優勝記録を塗り替え、笑顔で帰国した葛西紀明(2017年12月9日、成田空港で)=前田剛撮影
      W杯最年長優勝記録を塗り替え、笑顔で帰国した葛西紀明(2017年12月9日、成田空港で)=前田剛撮影

     11月29日にフィンランド・ルカで行われたノルディックスキーのワールドカップ(W杯)ジャンプ男子で、自身の持つ最年長優勝記録を42歳5か月に更新した葛西紀明(土屋ホーム)が9日、帰国した。成田空港で報道陣に囲まれた葛西は「勝ててうれしかったし、(帰国して)こんな大騒ぎになってびっくりした」と語った。

    ソチ五輪 ジャンプ団体「銅」 メダル「長野」以来(2014年2月17日)

    • ソチ五輪で銅メダルに輝いた日本ジャンプ陣。左から清水礼留飛、竹内択、伊東大貴、葛西紀明(2014年2月17日、小林武仁撮影)
      ソチ五輪で銅メダルに輝いた日本ジャンプ陣。左から清水礼留飛、竹内択、伊東大貴、葛西紀明(2014年2月17日、小林武仁撮影)

     ソチ五輪は17日、スキージャンプの男子団体ラージヒル(LH)で日本が銅メダルを獲得した。日本は個人LH銀メダルの葛西紀明(41)(土屋ホーム)、伊東大貴(28)、清水礼留飛(れるひ)(20)(ともに雪印メグミルク)、竹内択(26)(北野建設)の4人で臨み、金メダルだった長野大会以来16年ぶりのメダルに輝いた。

    ジャンプLH 41歳 葛西「銀」 冬季日本最年長(2014年2月15日)

    • ソチ五輪の銀メダルを手に記念撮影する葛西紀明選手(2014年2月16日、高橋はるか撮影)
      ソチ五輪の銀メダルを手に記念撮影する葛西紀明選手(2014年2月16日、高橋はるか撮影)

     ソチ五輪は15日、スキージャンプ男子個人ラージヒル(LH)で葛西紀明(土屋ホーム)が2位となり、7度目の五輪で個人種目初のメダルに輝いた。41歳254日でのメダル獲得は、冬季五輪の日本勢では最年長記録で、バンクーバー大会スピードスケート女子団体追い抜きで銀メダルだった田畑真紀の35歳を大幅に更新した。冬季の個人種目では史上4番目、ジャンプでは五輪最年長。

    「涙が出るくらいうれしい」

     飛び終えたばかりで、スキー板を履いたままの葛西に、伊東が、竹内が、清水が抱きついた。「涙が出るくらいうれしかった」と葛西。スキーの本場欧州で「レジェンド(伝説)」と呼ばれる41歳が、7度目の五輪で、ついに個人種目でのメダルを手にした。

    • ソチオリンピック・スキージャンプ男子個人ラージヒルの葛西紀明選手のジャンプ。7度目のオリンピックで個人種目初のメダル(銀)に輝いた(2014年2月15日、高橋はるか撮影)
      ソチオリンピック・スキージャンプ男子個人ラージヒルの葛西紀明選手のジャンプ。7度目のオリンピックで個人種目初のメダル(銀)に輝いた(2014年2月15日、高橋はるか撮影)

     「金メダルを取りに来た」。そう公言してつかみ取ったメダルだ。めまぐるしく変わる風の中、1回目最長の139メートルで2位につけると、2回目も133メートル50を飛び、順位を保った。「2回とも、いいジャンプだった」。飛型点で劣ったわずか1.3点の僅差で金メダルは逃したが、表情は晴れやかだった。

     1992年アルベールビル大会で最初に五輪に出てから22年。ここまでメダルにこだわってきたのは、長野五輪の悔しさが原点にある。大会直前に足首を捻挫した影響もあり、出場は個人ノーマルヒルだけ。金メダルを獲得した団体のメンバーから外された。列島を熱狂の渦に巻き込んだ平成の「日の丸飛行隊」の活躍は、葛西にとって、「今までの人生で一番悔しい思い出」だった。

     94年リレハンメル大会の団体銀メダルこそ持っていたが、それからは、五輪で個人のメダルを取ることが最大の目標になった。この日の朝も、宿舎でのイメージトレーニングで、金メダルを取る自分を思い浮かべたという。「金メダル取った、と思ったら、1人で泣いていた」。それほど欲しかったメダルだった。

     試合直後に花束を手渡して祝福するフラワーセレモニーでは、観客に向かって両手でVサインを作り、ガッツポーズで表彰台に飛び乗った。「今までやってきたこと、つらかったことも含め、うれしさを表現したかった」。年相応のしわが刻まれた顔で無邪気な少年のように笑い、喜びを爆発させた。

     「もっと完璧なジャンプをして次は金メダルを取りたい。45歳、49歳でも、体力と技術はもっと向上すると思っている」。早くも4年後、8年後の五輪への挑戦を宣言した。伝説は、まだまだ終わらない。(三室学)

    火事で母死亡 失意の長野 悲運乗り越え

    • ソチ五輪のセレモニーで、飛び上がって喜ぶ葛西選手(2014年2月15日、小林武仁撮影)
      ソチ五輪のセレモニーで、飛び上がって喜ぶ葛西選手(2014年2月15日、小林武仁撮影)

     「レジェンド」の序章は、小学3年の時に始まる。実家のすぐそばにあったジャンプ台を遊びで飛ぶ姿が、地元の指導者の目に留まり、スカウトされた。ジャンプ少年団に入団後は、元旦の初飛びを自らに課し、高校生まで欠かさず続けた。姉の浜谷紀子さん(44)は「誰よりも真っ先に飛ぶことにこだわっていた」と思い返す。

     両親と姉妹2人の家族の中でも、母の幸子さんとの関係は強かった。中学卒業後、実家を出て札幌市の高校に進学。葛西選手が帰省から札幌に戻る際、幸子さんは列車の外で手を振って別れを惜しんだ。紀子さんは「弟は昔から体が弱く、手のかかる子だった。母は弟が大好きで、弟も母を大事にしていた」と振り返る。

     最愛の母を火事が原因で亡くしたのは、長野五輪を翌年に控えた97年。五輪出場が決まった際、「何で五輪があるのに見てくれなかったんだ」と涙を流した。

     それからは、母の命日とお盆、ワールドカップ(W杯)への遠征前は必ず墓参してきた。闘病中の妹、久美子さん(36)を気遣い、時間を作って見舞いに訪れた。

     92年のアルベールビル五輪以来、7大会連続出場中の五輪の中で、悔しい思いをしたのが長野五輪だ。直前のけがもあり、金メダルの団体メンバーから外れた。紀子さんは「駄目だったと連絡を受けた時は、泣いているのかと思うほど、ショックを受けていた」と話す。

     メダル獲得後、葛西選手はインタビューにこう答えた。「金メダルを取って、本当に『レジェンド』と呼ばれたかったけど、また目標ができました」

     紀子さんは以前、葛西選手からこんな言葉を聞いたことがある。「ジャンプ選手が毎年行う体力測定で、俺を抜かすやつが出たら、引退の時期かな」。紀子さんは「やめる理由がないから、たとえ金メダルを取っても絶対にやめないと思います」と笑みを浮かべた。

    リレハンメル五輪 日本、ジャンプ団体で「銀」(1994年2月22日)

    • メダルを手にするリレハンメル五輪の日本ジャンプ陣。左から岡部孝信、原田雅彦、葛西紀明、西方仁也(1994年2月、鈴木竜三撮影)
      メダルを手にするリレハンメル五輪の日本ジャンプ陣。左から岡部孝信、原田雅彦、葛西紀明、西方仁也(1994年2月、鈴木竜三撮影)

     第十七回冬季五輪リレハンメル大会第十一日の二十二日、スキーのジャンプ団体(ラージヒル)で、日本(原田雅彦=雪印、葛西紀明=地崎工業、岡部孝信=たくぎん、西方仁也=雪印)が銀メダルを獲得した。

     日本のジャンプでのメダルは、一九七二年札幌大会70メートル級の笠谷幸生らの金銀銅独占と、八〇年レークプラシッド大会70メートル級銀の八木弘和と合わせて通算五個。

     一回目の日本は、岡部、葛西、原田の三人がK点(120メートル)越えの豪快なジャンプを見せて、ドイツにわずか0.8点差の二位につけた。二回目、日本は西方の135メートルの大ジャンプなどでドイツを逆転。三人目までで55.2点の大差をつけ、金メダルは確実に思われた。

     しかし、最後の原田が97メートル50の失敗ジャンプ。ドイツは、個人ラージヒル金メダルのイエンス・バイスフロクが135メートル50を飛んだため、再逆転された。

    フォトギャラリー

    • 土屋ホームで指導する伊藤有希(左)とアベック優勝を飾ってガッツポーズ(2017年11月5日、上甲鉄撮影)
      土屋ホームで指導する伊藤有希(左)とアベック優勝を飾ってガッツポーズ(2017年11月5日、上甲鉄撮影)
    • サイン会で子どもたちと交流する葛西紀明選手(2014年8月2日、札幌市で。上甲鉄撮影)
      サイン会で子どもたちと交流する葛西紀明選手(2014年8月2日、札幌市で。上甲鉄撮影)
    • ソチ五輪、団体の銅メダル獲得で、喜びの涙をぬぐう葛西(2014年2月17日、杉本昌大撮影)
      ソチ五輪、団体の銅メダル獲得で、喜びの涙をぬぐう葛西(2014年2月17日、杉本昌大撮影)
    2017年11月24日 19時00分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
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