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【前編】ワインの里に住んで中央自動車道の勝沼インターチェンジで降りると、ブドウ園や有名ワインの工場に交じり、小規模なワイナリーも点在する。ブドウ、リンゴ、モモの畑は、温泉地として知られる塩山周辺、さらには雁坂トンネルに続く国道140号沿いの牧丘、三富地区まで続く。 「地ワイン」のノボリを掲げた「花かげの郷・道の駅まきおか」に車を止めて“地のもの”を物色していると、「ヤマ・ソービニオンワイン 雁坂の夢」という赤ワインを見つけた。旧三富村(現在は合併し山梨市)の有志がブドウ栽培を始め、平成14年に商品化されたワインだ。有志のひとりが、東京から20年前に移住した川田雅文さんだった。 村おこしに参加し、ブドウ栽培川田さんが7年前に三富村に建てた家は、集落の周囲に広がるブドウ畑のさらに上部に位置する。ダイニングの大きな窓からの景色は雄大だ。右手には「日本二百名山」に選ばれた乾徳山の雄姿。正面に目を移せば眼下にブドウ、リンゴ畑が広がる。左に目を移せば盆地の向こうに、雪に覆われて輝く南アルプスが見える。購入した敷地300坪(約990平方メートル)の横には、年間1万円ほどで借りている300坪のブドウ畑があった。 「元はリンゴ畑でした。しかし、私たちが借りた時は、何も作っていませんでした。そこで、ブドウ畑に変えました」と、雅文さんが言った。 3日前に降った雪が残る冬のブドウ畑でも、剪定(せんてい)という大事な仕事が待っている。きちんと剪定しておかないと、初秋の豊かな収穫は望めない。 「旧三富村の有志が“村おこし”目的でワイン造りに目を付け、ブドウ栽培から始めました。山梨大学が成功させたヤマブドウとカベルネ・ソービニオンの交配種“ヤマ・ソービニオン”を育てることにしたのです。小粒で味が濃く、日本の気候に合う。6年前からワイン販売を行っていますが、味もいいと自負しています」 ブドウを育てることができても、醸造はできない。育てたブドウを醸造所に持ち込んでワインにしてもらった。醸造所に製造費を支払い、商品は買い取って自分たちで売る。1本当たりの製造費に1000円以上掛かり、販売価格が2500円だから、肥料代や手間を考えると割の良い仕事ではない。 しかし、地元の夢を乗せた商品は三富、牧丘の二か所の道の駅などで販売されるまでになった。「趣味みたいなもので利益は出ません」と、奥様の愛子さんが苦笑いしても、「いずれ採算がとれれば……」と雅文さんは言う。昨秋は200キロのブドウを納めた。この夏、それが200本のワインになる。 子どもたちに最善の贈り物探し自宅を建てた7年前、雅文さんは55歳だった。しかし、三富に移住したのは平成元年、雅文さんが42歳の時である。 「きっかけは子どもの健康問題です」と、夫婦が声をそろえた。 雅文さんは東京の大井町に生まれ、中学3年で川崎に移って以来、長い歳月を川崎で暮らした。父親は終戦後に創業した川田製作所を営んでいた。高い真空技術がある工場で、大手魔法瓶会社の製品や豆電球などを製作していた。雅文さん自身は学生生活を終えてから、すぐには父親の会社に就職していない。運送業、映画撮影の照明係、はく製会社勤務など、複数の仕事を転々とした。 「いろいろな仕事をしましたが、農業経験はありません。今回のブドウ栽培が初めての農作業になりました。父の会社で働き始めたのは26歳のころで、人手がないから手伝うように兄に言われたためです」 その後、川崎の病院で看護師として働いていた岡山県出身の愛子さんと結婚。二男一女をもうけた。 「当時、川崎の公害問題は徐々に解決していましたが、風向きによっては借りていた住まいまで煙が流れて来ることもありました。それと関係があるのかどうかはわかりませんが、子どもたちはぜんそくやアトピーに悩まされていました。発作が起きるのも珍しくありませんでした」 子どもたちに何をしてやれるのだろう、川田さん夫婦は考え始めていた。 「財産は残せなくても、健康にしてやるのが最善の贈り物だと考えるようになりました。そのためには環境を変えることが必要でした。また、そのすばらしい環境は、将来の自分たちも守ってくれるに違いありません」 川田さん夫婦の心の中に、田舎への移住という気持ちが芽生えた。 移住者プロフィル川田 雅文さん(62) 愛子さん(60) 東京・品川に生まれた雅文さんは、26歳の時に、父親が創業した製作所に就職。27歳で岡山県出身の看護師、愛子さんと結婚して3人の子どもを授かる。川崎で暮らしていたが、子どもにぜんそく、アトピーといった現代病の症状が出た。「子どもにしてあげられるのは、良い環境を提供すること」と思った川田さん夫婦は、長男の高校が決まったあとでは遅いと、その前の移住を決意。平成元年、山梨県の三富村に移住し、村営住宅暮らしを経て、7年前に住居を新築した。 (2008年2月15日 読売新聞)
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