現在位置は です

本文です

井伊直弼 実像しのぶ生地 滋賀・彦根(ひこね)

沖合6キロ、琵琶湖の西日に映える多景島。いくつかの伝説に彩られている
彦根城の格調高い天守閣は姫路、松本、犬山城と並ぶ国宝4城の一つ。城跡一帯が国の特別史跡に指定されている
城下町の景観を現代によみがえらせた「夢京橋キャッスルロード」の街並み

 その島は琵琶湖上、彦根の沖6キロの所に浮かんでいる。国宝や重文で有名な竹生島(ちくぶしま)ではない。周囲わずか600メートルの「多景島(たけしま)」は、見る方向次第でさまざまに姿を変えるので、この名がある。1日1便が往復する観光船は今月限りで冬は運休するという。乗った。

 島全体が日蓮宗・見塔寺(けんとうじ)の境内で、住民はいない。島の頂に、尖塔(せんとう)がそびえ立つ。五角形の柱に「五か条のご誓文」を刻んだ「(ちかい)御柱(みはしら)」は大正末に建った。「当時、今で言う県警本部長の呼びかけで……」と教えてくれたのは、住職夫人の勝見勢津子さん。

 湖上に突き出た岩に元禄年間、命綱にぶら下がって何百日もかけ南無妙法蓮華経と刻んだ高僧がいた。現存する「題目岩」は1860年の3月3日、岩肌に鮮血をにじませたと伝えられる。江戸で桜田門外の変が起きた日である。

 大老・井伊直弼(なおすけ)に対する一般のイメージは従来、あまり芳しくなかった。幕府の最高実力者となった彦根藩主は将軍継嗣(けいし)や開国をめぐって国政の(かじ)を取るが、安政の大獄で尊皇攘夷(じょうい)派を弾圧し吉田松陰らを処刑。反発が強まって、最後は桜田門外の露と消えた。が、それを自業自得などとする見方は一面的だろう。

 <世の中をよそに見つつも埋木(うもれぎ)の埋もれておらむ心なき身は>

 第11代藩主の十四男に生まれた直弼の青年時代は、不遇だった。17歳から32歳まで300俵の捨て扶持(ぶち)で暮らした小さな屋敷を自ら「埋木舎(うもれぎのや)」と名付ける。しかし先祖伝来の数寄と風雅の資質をここで磨き上げ、特に茶道では「一期一会」の境地を極めた。

 藩の表御殿(政庁)を復元した彦根城博物館には能舞台や茶室もある。「井伊の赤備(あかぞな)え」で知られる朱塗りの具足、能面、茶道具、琵琶など、収蔵品は6万5000点にのぼる。直弼と幕末群像をテーマにした特別企画展(今月29日まで)のおかげで、彼の像をとらえ直すことができた。

 国の名勝で池泉回遊式大名庭園の「玄宮園」。切り妻屋根と白壁、格子戸の町家が続く城下町の街並みを再現した「夢京橋キャッスルロード」。大正ロマンを演出したレストラン街「四番町スクエア」……来年3月まで「井伊直弼と開国150年祭」を開催中の彦根の人気スポットは、どこも観光客でにぎやかだ。

 彦根城の天守閣では、入り口に行列ができていた。50代も半ば過ぎると急な階段を上り下りするのはいささか難儀だが、さすがは国宝。400年以上前の巧みな築城技術を内側からじっくり観察させてもらえる。

 「かわいい!」「こっちも向いて〜!」

 外へ出ると、だれかの周りに何十人も群がってフラッシュを浴びせていた。市のマスコットキャラクター「ひこにゃん」は、今や日本中の人気者。長い“角”を生やしたかぶとの形が、音に聞こえた「井伊の赤備え」の象徴である。(永井一顕、写真も)(次回は愛媛・今治)

 ●あし 東京からJR米原駅まで、新幹線で2時間20分。東海道線に乗り換えて彦根まで5分。

 ●問い合わせ 彦根観光協会=(電)0749・23・0001。

2009年11月26日  読売新聞)


現在位置は です