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小説「月とかがり火」の舞台(伊・ピエモンテ州=ランゲ地方)

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丘の斜面にぶどう畑が連なるランゲ地方

故郷に「永遠の何か」あり

 住んでいたころは、郷里は檻(おり)のように見えた。祖父に命じられ、農地を守るだけの父。生まれた村と嫁ぎ先以外に外の世界を知らない母。そんな閉鎖社会から逃げ出したくて東京へ、そして海外に出た。だが、人生の秋を迎えた今、自問することがある。外の世界を知ることに何の意味があったのか――。

 「月とかがり火」に惹(ひ)かれたのは、作者自身も同じような疑問を抱いていたのではないか、と勝手な憶測をしたからだ。作者が生まれた村で作品の舞台でもあるサント・ステファノ・ベルボで、「パヴェーゼ文学館」を切り盛りしてきたフランコ・バッカネオ氏(50)は、そんな思いこみに少し肩入れしてくれた。

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ポー川東岸の丘から見たトリノ市街。パヴェーゼはこの丘によく足を運んだという

 「近代性の象徴としての都会と、前近代性から抜け出せない田舎を対照的に描いてきたパヴェーゼは、最後のこの作品で、自分のルーツの田舎に永遠の何かを見たようだ」

 物語は、丘の斜面にぶどう畑が広がる谷あいの村を出て一旗揚げ、20年ぶりに帰郷した「わたし」の見聞・回想録。第2次大戦直後で、村には貧困ゆえの暴力や無知、不平等がまだ支配しているが、米国など外の世界を見てきた「わたし」は、福音を伝えるわけでも、村人を覚醒(かくせい)させるわけでもない。子供のころの思い出をたどって“自分探し”をする放浪者に過ぎない。最後には、その淡い思い出も、現実に破壊される。

 「永遠の何か」を告げるのは、「わたし」の友人で、村に住み続けるヌートなのだ。ヌートは言う。

 『ここはひどい暮らしだ。それでも、だれも出て行かない。つまり、そういう運命があるからなのさ。きみはジェノヴァやアメリカのどこかで、何かしらをして来なければならなかったのさ。何かしら、きみのめぐり合わせになっていたことを……』(白水社版、米川良夫訳)

 「わたし」を無用の者にし、ヌートに運命論者のような台詞(せりふ)を吐かせた作者は、作品が完成した翌年の夏、トリノのホテルで自ら命を絶った。

 「パヴェーゼには、(『薔薇の名前』で知られる作家)ウンベルト・エーコのような遊びがない。自身の現実と作品を切り離せないのだ」と、バッカネオ館長は言う。そんな生まじめさや不器用さは、アウシュビッツ強制収容所から生還し、証言者として生きながら、最後には自殺したトリノの作家、プリーモ・レーヴィにも共通する。

 「トリノの人は取っ付きにくいというか、冷静沈着で内省的。陽気な南イタリア人とは随分違う」。ナポリからトリノに移り住んだ知人の解説である。

 「それに、ピエモンテ人はブジャネン(方言で「動かない」の意)。故郷を離れない」と、バッカネオ館長は語る。「私も郷里に戻って30年近く。図書館もなかった村にこの文学館ができることになり、トリノ大学卒業の年に、お袋に応募しろと懇願されて……」

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 文学館を出て、「わたし」とヌートが何度も登ったはずの丘の上に立った。稜線(りょうせん)が折れ曲がりながら、どこまでも続き、ぶどう畑が波打つ海のように見える。戦後60年が過ぎ、そこには戦争の傷跡も、貧困も、たき火の跡もない。「永遠の何か」も、私には見えない。

 草いきれを深く吸い込みながら、代わりに思い出したのは、30年以上前の母の口癖だった。

 「あんた、家から通える大学に行って、関西で就職しいな。人間、生まれた土地で暮らすのが一番やで」(文と写真 宮明 敬)

 「月とかがり火」 詩人、英米文学翻訳者でもあったイタリア人作家チェーザレ・パヴェーゼ(1908〜1950)の代表的長編小説。トリノとジェノバの中ほどにあるランゲ地方を舞台に、それまでの作品でも追求した「故郷からの脱出と帰還」というテーマの総決算を試みた。戦争直後の農村の現実や反ファシズム闘争の傷跡を伝える同時代証言にもなっている。

2005年7月25日  読売新聞)
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