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(2)病気の母、家族の生活支え「金」挑むフィギュアスケート イリーナ・スルツカヤ(ロシア)26優勝候補だった前回ソルトレーク五輪では、16歳の新星サラ・ヒューズ(米)に屈する銀。満を持すトリノ五輪では、ミスさえなければ、金メダルは不動のように見える。だが、そこに至るまでの道のりは平たんではなかった。 ハングリー、という言葉を思い出す。女王の華麗な姿の下に隠されているのは壮絶な現実との闘いだ。 地元ロシアで開かれた2003年2、3月のグランプリ(GP)ファイナル。観戦に来ていた母の体調が、突然悪化した。腎臓病だった。その日に限って同じ部屋に泊まっていたスルツカヤが、チームの医師に救いを求めた。看病を優先し、直後の世界選手権の出場を取りやめた。「スポーツは数年。でも、家族は一生」との思いがあった。 その年、今度はスルツカヤを、原因不明の症状が悩ます。突然の発熱。手足のむくみ。痛み。内出血。練習を再開しては、体調を崩した。何人もの医師と病院を渡り歩いた末、免疫システムが自分自身を攻撃する「自己免疫疾患」という難病だと分かったのは、翌年のことだ。 治療は今も続いている。炎症がひどくなると、薬を増やす。副作用のめまいなどを抱えながら、歯を食いしばってジャンプを跳ぶ。並大抵の気力ではない。 自分と、母の医療費。夫との生活、両親の生活費。スルツカヤの肩には、多くがかかる。五輪の金メダルは、プロに転向した時の「肩書」にもなる。競技への情熱と女王のプライドだけでなく、自分と自分をはぐくんでくれた人々のために、金メダルを取りたい理由がある。 先月のGPファイナルで浅田真央(グランプリ東海)に敗れた。「浅田が年齢制限で五輪に出られないことをどう思う」と聞かれた時、スルツカヤは「それが人生よ」と突き放した。病気も、規則も、すべてを受け入れながら闘い続ける。よく繰り返すこの言葉は、彼女の哲学なのかもしれない。(結城和香子) 1979年2月9日生まれ。2002年ソルトレーク五輪銀、直後の世界選手権で優勝。05年の世界選手権で女王に返り咲いた。 (2006年1月18日 読売新聞)
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