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荒川静香、脱「お人形」へ恩師から自立「今、必要なことを優先させたい。ニコライのもとへ行く」。これまでに見せたことのない強い意思。それは、「お人形さん」からの卒業試験でもあった。 昨年12月、ソルトレーク五輪のアレクセイ・ヤグディン(ロシア)ら多くの五輪金メダリストを育ててきたタチアナ・タラソワコーチとの3シーズンにわたるコンビを解消した。 実際に滑って教えてくれる若いニコライ・モロゾフコーチからも指導を受けたかったのだが、ダブル体制案をタラソワコーチが認めなかった。さらに指導法を巡っても意見が食い違った。 苦手な英語に四苦八苦しながら国際電話、手紙で話し合った。コンビ解消に礼を尽くし、そして、モロゾフコーチの元へ走った。 意思で動く――。2年前にはできなかった。2004年世界選手権の直前、指導を受けていたリチャード・キャラハンコーチからタラソワコーチの元へ移籍した。すべて日本連盟が事を運んだ。「手続きは気にしなくていい」という連盟に任せきり。ところが、手違いからキャラハンコーチに連絡が届かなかった。不義理で激怒させたことを後に知った。だから、今回の移籍に際しては、連盟に伝えたという。「私がやるから、連絡は任せてほしい」と。 毎年夏、連盟は長野・野辺山合宿に全国の子供たちを集めて優秀な子を発掘する。国際大会で頭角を現せば海外の有力コーチの元へ送る。荒川はそんな「野辺山組」の申し子だ。 この合宿は1992年に始まった。初年は異例の年2度開催。すべては、「宮城の天才少女」と評判だった、当時10歳の荒川を選抜するためだった。「育成工場」「旧ソ連式」とも呼ばれる日本連盟の“エリート主義”。それがここ数年で開花してきた。 日本女子は国際スケート連合(ISU)の世界ランクのトップ10では常時、4、5人が占める。だが、連盟の強化策が軌道に乗れば乗るほど、選手は連盟の方針に沿うことになる。荒川もまた、そんな「お人形選手」の一人だった。 荒川が自立を強く意識し始めたのは、2004年3月に日本で3人目の世界女王となったころからだ。 「ドングリの背比べから抜け出せたと思った。今までは連盟の意向に背くことにびびっていたけど、気持ちの強さが出てきた」 昨年の世界選手権で日本は5位が最高だった。野辺山を主導してきた城田憲子強化部長は思った。「指示には従ってほしい。しかし、自分の意見は持ってほしい。リンクの上では結局一人。自立しなければトリノで勝てない」。徹底した管理下に置きつつ、意思を持たせる。それが育成システムの最終段階でもある。 最後の五輪となるトリノの舞台。荒川は演技に意思を込める。それはイナバウアーという技。頭が氷につくほど上体を反り返らせて滑る美技。現行の採点ルールでは直接、得点にはつながらない。だが、これだけは譲れない。 演技構成を変えてでも、リンクの端から端まで、このお気に入りを見せたい。荒川静香であるために。(竹内誠一郎) (2006年1月6日22時20分 読売新聞)
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