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町工場発究極ボール、公式球に採用…夢を支える(上)前夜までの雨も上がり、晴天が戻ったドイツ・ボン郊外の競技場。28日、合宿2日目の日本代表は紅白戦で汗を流した。中村俊輔(27)の左足から繰り出されたボールは、鋭く、正確な軌道を描いてゴール前へと運ばれていった――。 サッカー・ワールドカップ(W杯)ドイツ大会の開幕を待つ公式球。斬新なのはデザインだけではない。シュートやパスの精度はかつてないほどに高まり、「サッカー革命をもたらす」とも言われる。 生み出したのは、日本のボールメーカー「モルテン」(本社・広島市)だ。 ドイツの大手メーカー・アディダス社との共同開発は、2002年の日韓大会の1年も前から、極秘裏に始められた。プロジェクトチームのリーダーは、知的財産モノ作り本部長の永尾幸則(50)、技術者の中心となったのが、沖村芳久(36)だ。 W杯の公式球は、1970年のメキシコ大会以来、五角形と六角形の計32枚の皮革パネルを手縫いで仕上げたものだった。しかし、手縫いのボールは表面にむらができやすく、雨天時には縫い目から水が入る。わずかなボールの変化が、プレーに影響する。永尾らが目指したのは、凹凸がなく、天候にも左右されない「究極の球体」だった。 しかし、平面図をボールの曲面にあわせると、すき間ができたり、楕円(だえん)になったりして、「最初は、いびつなジャガイモばかりだった」。100分の1ミリ単位でカーブを微調整し、何十回となく試作を繰り返した。 公式球の開発は、世界中の主要メーカーがしのぎを削る。情報が漏れないよう、工場内の試作室は、一部の社員を除き、立ち入り禁止にした。失敗作の破片も捨てず、倉庫に保管した。 そしてようやくたどりついたのが、2枚羽根のプロペラ型のパネル。「接合部を極限まで切りつめたら、この形状になった」。パネルの枚数は14枚。特殊な接着剤で張り合わせた結果、縫い目も消えた。 試作品は完全密封され、海を渡った。ベッカム(31)(イングランド代表)やジダン(33)(フランス代表)ら一流選手に、けり心地を試してもらうためだ。 「狙い通りに球筋を描ける」と、絶賛の声が返ってきた。ゴールキーパーのカーン(36)(ドイツ代表)だけが、そのシュートの速さと正確さに驚き、「困ったことになった」と漏らした。戦前から、軍用長靴などのゴム製品の生産が盛んだった広島の町工場の技術が、世界のスーパースターをうならせた。 国際サッカー連盟(FIFA)から公式球の採用内定の連絡が入り、量産の見込みがたった昨年夏、スタッフは、広島市内の居酒屋でひそかに祝杯をあげた。永尾が家族に打ち明けたのは、正式発表された昨年12月になってからだった。 「W杯は、ボールの行方に世界中が一喜一憂する、最高の晴れ舞台。試合ではなく、ボールの動きばかり追ってしまいそう」。永尾は、手塩にかけた公式球を我が子のようになでた。 次世代ボールの開発に向け、永尾らの挑戦は続く。 (敬称略) ■公式球 70年大会から■ W杯で最初に公式球が使われたのは70年メキシコ大会。天然牛革製で、雨で水を含むと重くなった。人工皮革が採用されたのは86年メキシコ大会から。雨に強く、均一なボールの量産を可能にした。今大会の公式球は今季からJリーグ1部でも採用され、第12節までのゴール数は324。昨年同期より約1割増えた。 ◇ W杯の開幕が来月9日に迫った。ジーコ・ジャパンはどんな感動を与えてくれるのだろう。「夢」を支える、それぞれのW杯を紹介する。 (2006年5月29日16時43分 読売新聞)
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