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医介輔 最後の一人
「若い先生より上等さー」「上等だよ。心配ないさー」。畳の診察台や恩師からもらった古い薬棚が並ぶ簡素な診察室で、世間話をしながら血圧を測る宮里善昌(みやざとぜんしょう)さん(84)=沖縄県うるま市=は、いわゆる「医師」ではない。医介輔(いかいほ)という、沖縄県だけに存在する医療従事者で、しかも「最後のひとり」にあたる。 太平洋戦争時、医師助手をしていた時に召集され、ソロモン諸島のブーゲンビル島で輸送部隊に従軍した。補給が少なく、ジャングルを開墾してサツマイモなどを作っていたが、戦況が悪化するにつれ、食べるものも少なくなり、トカゲやカエルを捕まえ、飢えをしのいだ。 玉砕命令が出て自爆するための爆弾を用意している時に、敵の飛行機の胴体に書かれた「日本軍降伏」の文字を見て「死ななくて済んだ」と同僚たちと喜んだ。地元の集落からも16人が出征したが、帰ってきたのは宮里さんだけだった。 沖縄の終戦直後の医師はわずか60人余りで、戦前の3分の1に激減した。伝染病や栄養失調で苦しむ人が多い中、1951年、苦肉の策として琉球列島米国民政府が医師助手や衛生兵経験者を対象に医学講習会を実施し、126人の医介輔が誕生、離島の医療を支えてきた。本土復帰の際にも特別措置で存続が認められたが、「一代限り」、「現地開業」などの条件と医介輔自身の高齢化などから年々数は減ってきていた。 現在1日の患者数は約30人に減ったが、宮里さんは「近くに病院があるのに、介輔の自分のところに診察を受けに来てくれる。感謝してます。トーカチ(米寿)までがんばりますよ」と人なつっこい笑顔で話した。 カメラとペン 大久保忠司 (2005年6月29日 読売新聞)
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