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「ドン」が聞こえなかった ヒロシマろう者の記憶

 また、あの日が近づいて来る。61年前の8月6日、史上初めてヒロシマに投下された原子爆弾は、瞬時に新兵器の威力と悲惨さを世界に広めた。しかしその時、「ドン」が聞こえず、終戦後も情報から遮断されて、長い間、原爆とは何かを理解できなかった人たちがいた。被爆ろう者たちだ。正確な実態は把握されていないが、県立広島ろう学校の卒業生らの調べでは、総数は125人に上る。沈黙の光景ゆえに一層、鮮明に刻まれた記憶。手話通訳者の仲川文江さんとともに、存命の9人を訪ね歩いた。「いま話さないと、もう機会はない」。そのうち6人が、当初は重かった手を雄弁に動かしてくれた。

 カメラとペン 尾崎孝

「放射能」手話になく 吉上巌さん(72)

 爆心から約45キロ離れた疎開先の吉田町(現安芸高田市)で農作業中、せん光とキノコ雲を目撃した。迎えに来た姉に連れられて8月12日に広島市に入り、被爆。投下時、市内にいた父母や姉ら家族は戦後、次々と死んだ。全身に紫の斑点を浮かび上がらせて……。そのうち自分もと思ったが、生き永らえた。

 大惨事の元凶が新型爆弾なのは早い時期に知ったが、当時、手話には「放射能」を説明する言葉がなく、実態を漠然と理解できたのは、かなり後のことだった。

 何がそうさせたのかも知らず、無念のうちに被爆死したろう者を慰霊する「原爆死没ろう者を偲(しの)ぶ碑」を県立広島ろう学校(広島市中区)の校庭に建立したのは、3年前の8月。毎年8月6日に卒業生らと碑の前に集まり、めい福を祈る。

 同じ場所で、子どもたちに記憶をひもとくことがある。そばには移植された被爆アオギリ。青々とした葉が、こちらも静けさのうちに、命の尊さを語りかける=先月14日撮影(左手前から2人目が吉上さん)。

友人捜し回り被爆 山岡猛志さん(85)

 大竹市でキノコ雲を目撃。地響きも感じた。8月9日に広島市に入り、自転車で行方不明の友人を捜し回るうちに被爆。長期間にわたり髪が束になって抜けたが、回復した。かつてはマラソンが得意、今は愛犬と散歩の日々。妻や友人に先立たれ寂しいが、「今でも元気だよ。ほら」と腹筋運動をした=昨年9月18日撮影。


校庭に白骨の山 岡本祐輔さん(76)

 疎開先の吉田町で、教師から新型爆弾が落とされたと聞かされたが、理解できなかった。8月17日、教師に引率されて国民服の配給のため広島市に入り、被爆した。遠足で絵の展覧会を見に行った産業奨励館(原爆ドーム)の屋根が骨組みだけになり、学校の校庭にうずたかく犠牲者の白骨が積まれていたのが、まぶたに焼き付いている。理容店を営んでいたこともあり顔が広い。自宅には訪問者を知らせるためのライトがあった=一昨年2月7日撮影。


体内にまだガラス 村田ヨシエさん(78)

 広島市西区の自宅で、かまどに火を入れて食事の支度中に被爆した。母に助け出された時、見渡す限りの火事が自分のかまどの火の不始末のせいだと思いこみ、驚いた。逃げまどううちに黒い雨が降ってきた。灰や雨が、一番のお気に入りだった白地に赤いしま模様のブラウスにしみを作って、悲しかった。

 刺さったガラスは体内に残ったまま。髪は4分の1ほど抜け、下痢は冬まで続いた。今でも、夏には体全体に力が入らない事があり、これが原爆症なのかと思う。

 戦後、プロテスタントに入信。日曜礼拝に足を運ぶ。かつて自宅があった路上で、よみがえった確かな記憶に手をたたいて喜んだ。「思い出せた、思い出せた」=一昨年11月14日撮影。


勤めに出た兄が骨に 伊藤黎子さん(79)

 自宅の茶の間で、青白いせん光とキノコ雲を目撃した。全壊した家の下敷きになった母は重傷。額は裂け、姉の背中で血を吐き続けた。勤めに出ていた兄は、骨となって見つかった。近所の人が作ってくれたバラックに避難し、畑の野菜を煮て食べたが、全員激しい下痢に襲われた。10年後、健康を取り戻した母と姉で東京へ引っ越し、女3人で仲良く暮らしてきた。

 ときどき、頼まれて被爆体験の語り部をする。そのたびに、絵でしか残っていない兄の面影が胸をよぎる=今年4月12日撮影。


壁に押しつけられた 高夫勝己さん(75)

 広島市東区の宅付近で子犬と遊んでいたら、いきなり10メートルほど吹き飛ばされ、壁に押しつけられて気絶した。気付くと、防火水槽に何人もが頭を突っ込んで死んでいた。つぶれた顔から目玉が飛び出している。

 戦後、被爆者手帳をもらったが、あの地獄絵が特殊な爆弾によるものだとは、1955年に作られた広島平和記念資料館で悲惨な実態の説明を受けるまで知らなかった。

 そんなことを話しながら、かつての被爆地まで歩いて行った。建物の壁を見ると、ぐっと顔を押しつけた。あの時と同じように=昨年2月18日撮影。


2006年8月2日  読売新聞)


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