年を重ねると誰にでも起こり得る「もの忘れ」。本当に年のせいでしょうか。もしかしたら、アルツハイマー病の初期症状かもしれません。2022年に65歳以上の認知症の当事者が443.2万人を超え、そのうちアルツハイマー病は7割を占め、決して特別な病気ではありません。近年では、早期に対応することで進行を抑制できるようになってきました。
製薬会社の日本イーライリリーは、4月下旬から6月上旬にかけて、全国約50か所で「年のせいじゃない“もの忘れ”展」(以下、「もの忘れ展」)を開催。一部会場では、アルツハイマー病の初期症状のもの忘れ等を疑似体験できる展示や専門医によるトークショーが行われ、多くの来場者が集まりました。トークショーにも登壇した京都大学大学院医学研究科教授の木下彩栄先生に、アルツハイマー病について聞きました。
アルツハイマー病はどんな病気? 見逃したくないサインとは?
――アルツハイマー病とは、どのような病気ですか。脳の中に「アミロイドβ(ベータ)」と「タウ」という2種類のたんぱく質が異常に蓄積することで起こる病気です。アミロイドβは通常は分解・排出されますが、もの忘れなどの症状が出る10年から20年以上前からゆっくりと大脳全体に溜(た)まり始めます。原因物質のアミロイドβが溜まっているだけの段階では自覚症状がほとんどなく、「病前臨床期(プレクリニカル期)」と呼ばれています。
その後、記憶をつかさどる海馬にタウが蓄積すると神経細胞がダメージを受け、もの忘れがあらわれます。大脳に溜まっているアミロイドβに誘発される形でタウはゆっくりと大脳全般に広がり、広がるにつれて言語・判断・行動など脳の各領域の機能が失われていきます。アミロイドβが蓄積しはじめてから認知症の症状が顕在化するまで20年近くかかることもあり、非常に長い時間をかけて進行する病気です。
「令和6年版高齢社会白書」によると、2030年には日本国内に認知症当事者数が約500万人いると推定され、約7割(約350万人)がアルツハイマー病だといわれています。認知症の手前の段階であるMCI(軽度認知障害)も含めると、アルツハイマー病由来の方は、600〜700万人に上るとみられています。
加齢によるもの忘れは「再生の障害」といわれています。年を取ると、記憶は脳にきちんと蓄えられているけれど、取り出すのに時間がかかるようになります。例えば、有名人の名前や行ったレストランの店名がパッと出てこなくても、後からふと思い出せるというようなことです。これが加齢によるもの忘れの特徴です。
ところがアルツハイマー病では、海馬がダメージを受けているため、新しい記憶を蓄えることができません。「もの忘れ展」でも、3つの単語を覚えて10分後に思い出すという簡単なチェックをしましたが、アルツハイマー病の方はこれが難しくなります。
「先日行ったあのレストランの名前何だったっけ?」は加齢によるもの忘れですが、アルツハイマー病では「レストランなんて行ったっけ?」というように、出来事そのものが記憶に残りません。これを「エピソード記憶の障害」といいます。同じ話を繰り返したり、同じものを何度も買ってきたりするのはそのためです。
「もの忘れ展」では、参加者が、絵を見ながら3つの言葉を覚えていられるかをチェックした。
また、アルツハイマー病の初期では、昔の記憶は通常保たれています。心配しなければいけないのは、昔の記憶ではなく、直近の記憶を忘れてしまうことです。例えば、冷蔵庫の中に同じものがいくつも入っている、同じメモが何枚も貼ってあるというのは、見逃したくないサインです。
アルツハイマー病の早期発見・早期対応が大切な理由とは?
――アルツハイマー病ではないかと心配になった時は、まずどの医療機関に相談したらよいでしょうか。本人が受診を嫌がる場合、どのように話せばよいですか。
まずはかかりつけ医に相談し、症状によっては専門医を紹介してもらいましょう。「認知症サポート医」の資格を持っているかかりつけ医の先生も増えていますので、こうした先生に相談するのもよいですね。地域の「認知症疾患医療センター」や「もの忘れ外来」に直接相談してもよいでしょう。脳神経内科は、新しい治療法や薬の情報を持っていることも多いので、もし近くにあれば相談してみてください。
ご本人を医療機関につなげるのは難しく、ほとんどの方が受診を嫌がります。「認知症」という言葉への抵抗感も強いのだと思います。ただ、様子見をしていると、その間に進行してしまい、治療の機会を逸することにもなりかねません。
体の検診には抵抗なく行ける方も多いので、認知症の検査とは言わずに、「脳梗塞(こうそく)があるといけないから、脳の検査もしてみようか」「最近は脳も定期的に調べるらしいよ」と促したり、「あの病院なら安心だよね」と信頼感に訴えたりするのも一つの手です。あの手この手でなんとか医療機関につなげてほしいと思います。
以前は「早期に発見しても、できることはほとんどない」という状況でしたが、今は変わりました。新しい抗アミロイドβ抗体薬が登場し、認知症になる一歩手前のMCI(軽度認知障害)の段階から治療が可能になっています。しかも、症状が軽いほど治療効果が高いといわれています。この抗アミロイドβ抗体薬は、認知症が進行した中等度以上の方には使えません。ですから、治療の機会を逃さないためにも早期発見が重要になっています。
診断には頭部MRIや神経心理検査に加え、アミロイドPET検査などが用いられます。早期に診断がつけば進行を抑制できるだけでなく、ご家族も余裕をもって今後のことを考え、備えることができます。医療の早期介入は非常に重要だと考えています。
アルツハイマー病の予防対策と、社会に広めたい正しい理解
――薬物療法以外に、進行を緩やかにする方法はありますか。そもそもアルツハイマー病を予防することはできるのでしょうか。現時点で進行を緩やかにできるとエビデンスをもって言えるのは、抗アミロイドβ抗体薬のみです。ただ、生活習慣の改善も有効な手段として推奨されています。
アルツハイマー病およびその他の認知症のリスク因子は、現在14項目が報告されています。中高年期の高血圧・糖尿病・高脂血症、肥満、運動不足、過度の飲酒、頭部外傷、難聴のほか、老齢期の視力障害や社会的孤立などです。予防という観点から言いますと、日ごろの健康管理が非常に重要であり、運動・睡眠・食事習慣の見直しも有効性が認められつつあります。
――木下先生は、アルツハイマー病の啓発活動にも積極的に取り組まれています。今後どのような進展を期待していますか。
アルツハイマー病というと、今なお「ああ、もう家族の顔も分からないんだ」といった、かなり進行した症状のイメージを持っている方が多いように思います。ですが、実際には非常に長い経過をたどる病気であり、初期にはほとんど症状がありません。早期であれば、脳内に溜まったアミロイドβを除去して進行を抑えることもできます。こうした正しい理解が社会に広まり、アルツハイマー病への向き合い方が変わっていくことを期待しています。
「もの忘れ展」での展示や簡単な認知機能チェックを体験された来場者の中には、「この程度の軽い症状でアルツハイマー病を疑ったほうがいいの?」と驚かれる方もいらっしゃいました。こうした気づきが広がることで、早期発見・早期診断への意識が高まっていくといいなと願っています。「まだ大丈夫」と思っているうちに治療の最適な時期を逃してしまうことがあります。そのことを、ぜひ多くの方に知っていただきたいと思っています。

