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※掲載の肩書は取材当時のものです。

歴史から読み解く 世界の中の日本
―歴史を見る多角的な視点

井上 寿一 (学習院大学長)

 11月9日に学習院大学・国際研究教育機構の主催でロンドン大学連携シンポジウム「日本はなぜ戦争へとむかったのか―1930年代の外交、国際情勢から考える」が開催された。ロンドン大学スクール・オブ・エコノミクスのアントニー・ベスト先生のご報告と早稲田大学の篠原初枝先生のコメントがあり、私も討論に参加させていただいた。

 おふたりの先生と通訳の労をお執りくださった名古屋市立大学の松本佐保先生、明治大学のシーダー・チェルシー・センディ先生、参加者の皆様と関係各位にこの場を借りてお礼を申し上げたい。

 才気あふれる先生方との知的刺激に満ちたシンポジウムになると確信していたものの、このようなテーマ設定で参加してくださる方はどれほどいらっしゃるだろうか、心配でなかったわけではない。始まってみると、これは杞憂だった。予想を上回る100名以上の参加者を得て、議論は白熱した。フロアとの間では英語で質問が飛び交った。国際学会のようだった。

 来年は戦後70年を迎える。近現代史に対する関心が呼び起こされるだろう。なかでもこのシンポジウムのテーマ「日本はなぜ戦争へとむかったのか」は、誰もが一度は抱く疑問だと思う。

 このシンポジウムで学んだことを3つにまとめてみたい。

 第一は「真珠湾への道」を複数の二国間関係で考えることの重要性である。日米の二国間関係だけでは不十分にちがいなく、日米戦争は日英戦争の側面があった。あるいは日中戦争の延長との見方もある。議論のなかでとくに知的刺激を受けたのは、日ソの代理戦争としての日中戦争がひいては日米戦争を招いたとの指摘だった。どれか一つの二国間関係ではなく、いくつかの二国間関係の複雑な連鎖が日本の対米開戦をもたらしたようである。

 第二にアジアの構造変容に注目する必要がある。日米戦争はアジア太平洋戦争の一側面だった。この戦争は日本と欧米との戦争というだけでなく、脱植民地化に向かうアジアの力学のなかで始まった。戦争は軍事史や外交史、さらには経済史の知見も動員しなければ、なぜ起きたのかがわからないのである。

 第三に民間の国際交流、文化外交からも戦争の原因を追究しなくてはならない。1930年代の日本は必ずしも国際的孤立に陥っていたのではなかった。国際連盟脱退通告後も日本で赤十字の国際会議が開催されている。協調外交の修復の可能性と政党内閣復活の可能性が連動していた。日米戦争はこのような可能性が失われた結果だった。

 以上要するに、「真珠湾への道」は単一要因では説明できず、戦争の社会的・文化的側面にも注意を払いながら、多角的に全体像を描くことの重要性を学ぶことができた。

 戦後70年の来年に向けて、歴史を見る多角的な視点を身につけたいと思う。

[2014.11.14]
プロフィール

井上 寿一 (学習院大学長)

井上 寿一 (学習院大学長)
1956年東京都出身。81年一橋大学社会学部卒業。86年一橋大学大学院法学研究科博士課程単位取得。89年・法学博士(一橋大学)、同年学習院大学法学部助教授。93年より同教授。研究テーマは近現代日本政治外交史。95年『危機のなかの協調外交』(山川出版社)で吉田茂賞、政治研究櫻田会奨励賞受賞。近著に『第一次世界大戦と日本』(講談社現代新書)がある。2014年4月に学習院大学長に就任。

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