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多様性を尊重することは類別することではなく
一人ひとりのなかにある多様なものに気づくこと

「性同一性障害」の苦しさと生きた学生時代

田中 上川さんは現在、世田谷区議会議員として多様な社会的少数者の環境改善に力を入れていらっしゃいます。ご自身の体験を綴った著書『変えてゆく勇気——「性同一性障害」の私から——』(岩波新書)も出版されています。実は、法政大学第二中学高等学校の今年の入学式で校長がこの本を紹介し、個性を認め合うことの大切さを話しました。私は当日、校長の後ろでこの話を伺い、感銘を受け、まさに法政大学が目指すべき方向性そのものであると感じました。

上川 私は法政大学第二高等学校の出身ですので、大変うれしく思います。二高は、私の在学当時から生徒も先生もお互いの個性を尊重する自由な雰囲気でした。管理教育が徹底していた公立中学校から二高に入った時、「なんて自由な校風なんだろう!」と感激したのを覚えています。学校の成績は相対評価ではなく、絶対評価。こうした点にも個人を見てくれていると感じることができました。

田中 同級生は上川さんが「性同一性障害」であることを知っていましたか。

上川 特にカミングアウトはしませんでしたが、「ああゆう奴だから」という感じで認めてくれたので居心地がよかったです。二高の生徒はみんな伸びやかな性格で、仲がいい。夏休みに入っても早く学校が再開しないかなと思うくらい、高校生活は楽しかったです。

田中 大学は法政大学経営学部に進学されました。

上川 本当は社会学に興味があったのに、付属校内での人気と自宅からの通いやすさに釣られ経営学部を選んでしまいました。自分が本当に学びたいことを優先すべきだったと少し後悔しています。とはいえ、経営学部の学びのなかに社会学的な部分もありました。特に、広岡治哉先生の「交通経済学」のゼミは、学問としても面白かったですし、先生や先輩の人間性から学ぶことが多かった。法政大学は二高以上に自由で、存分に学べる場所が提供されていました。ここで学ぶなかで、良い意味で自分の軸足を考えさせてもらえたと思っています。
 一方、「性同一性障害」の苦しさはずっと抱えたままでした。これから大学という自由な空間を出た後は、完全に封印しなければいけないという思いが頭から離れず、アイデンティティーの核の部分については誰にも打ち明けられませんでした。何よりも自分自身が受容できておらず、向き合うことすら怖かった。大学の友人達は、私が抱える葛藤には気づいていなかったと思います。こざっぱりとした見た目だったのでジャニーズ系と言われ、「こういう人もいるよね」と受け入れられていました。時々つっこまれることもありましたが、上手にはぐらかしていました。

田中 そんな精神状態のなかで、四年間過ごすことは大変だったのでは。

上川 大変ではありましたが、母や幼なじみが私のことを受け入れてくれたことが大きな支えになりました。この頃、母に自分のなかの違和感について話をしたのですが、「なぜか驚かないわ」と言って受け入れてくれた。幼なじみは生まれつき体に色素がなく視覚障害者でもあって感性が近く、彼には本当のことが何でも言えました。こうした存在がいたからこそ、頑張ることができました。

法律を変えることによって人の意識は変わる

田中 卒業後はどうされたんですか。

上川 社会的に意義のあるような仕事に身を投じたら、自分が生きている意味を見つけられるかなと思い、ある財団法人に就職しました。ところが、入ってみたら完全な男社会。女性は昇進もなく、会議にも呼ばれない。会議では男なら「意見の一つも言えないのか」という空気。キャバレーやストリップに誘われれば、喜んだふりをしなければおかしく思われる雰囲気で、とても息苦しく、ストレスから心身症になりました。何年間か悩んだ末、これまで目を背けようとしていた苦しみの原因に向き合おうと決心したのが、27歳の時。この時から、自分らしい性を模索し、女性として生きる道に進みました。

田中 男性と女性の両方の社会を経験されたわけですね。

上川 サラリーマン生活、OL生活の両方を経験してわかったことは、多くの人は性という物差しで人を測るという現実でした。多様性を認めるということは類別することではなく、それぞれの人のなかに多様なものがあることに気づくことなのだと実感しました。

田中 本来は「性同一性障害」などと、名前をつけること自体が問題なのかもしれません。

上川 困難を個の問題にとどめず、社会全体の問題として対応する際にはグルーピングして名付けることも必要かもしれません。でも、一度一定のイメージが広がると、それが全てではないことに思いが至らなくなってしまう。類別することには功罪があると思います。

田中 法政大学は「ダイバーシティ宣言」を出すことにしています。しかし多様性を認めようという宣言はできても、そこから先が難しい。突き詰めて行くと、どうしても法律の問題にぶつかる。そこをクリアしようとすると、コンセンサスが取れない。皆の発想を変えればいいということでは立ち行かないことがたくさんあります。

上川 確かにコンセンサス形成は難しいですが、これまでの議員としての経験から、法律を変えることによって人の意識は変わると感じています。
 2003年、私が初当選した後に最高裁でも認められなかった戸籍の性別の変更が認められました。法律が通った後の行政側の対応には驚くほどの変化がありました。国会は国権の最高機関。国民的コンセンサスがあるとされた。そのことが社会に与えたインパクトの大きさは相当なものでした。

私たちは「普通」という思い込みを抱えている

田中 区議会議員は何年目になりますか。

上川 今年で13年、四期目に入りました。ずっと無所属ですが、それでも変えられることはたくさんありました。例えば、世田谷区では、耳の不自由な区民が手話通訳を依頼する際には、回数と時間数に制限がありました。都内の半数の区に、そもそもそのような利用制限はありません。これをこの春、撤廃してもらうことができました。また、目の不自由な人の安全を保つ設備に「点字ブロック」がありますが、その発明は1965年。止まれと進めの安全の規格がようやく作られたのは2001年です。この間、色も形もバラバラの点字ブロックが全国で敷かれ続けてきた。これでは安全は保てません。世田谷区では私の提案で10年計画で、区道上の不適切な点字ブロックが一掃されました。

田中 当事者の実態とはかけ離れたことが行われていることが多く、本当に必要とされていることはまだまだ見えにくいようですね。

上川 そうなんです。私たちは皆「普通」という思い込みを抱えている。そのことに、私自身が一人の困っている当事者になった時に気づかされました。日本では、マジョリティー、多数派から外れた時に「普通」ではなくなります。本当の自分を表明することが難しい同調圧力の高い社会で、困っている人が困っていると表明できるのだろうか。また、私自身も安易に植え付けられた社会常識のなかの嘘にまみれていないか。こうしたことを常に問い続けていくことが、私の議員としてのテーマです。

田中 何が「普通」かという意識の変化も少しずつ進みつつあります。

上川 昨年、渋谷区と世田谷区で同じ日に同性カップルの公的承認がスタートし、自治体レベルでは意識の変化が広がりつつあります。その一方で、国家レベルでは同性カップルは承認されていない。そういう国は先進国7か国では日本だけです。日本では、同性をパートナーとする人は、まだまだ社会の想定外。多数派を前提に作られた制度のもとでは、想定外の人たちは生きづらい。

田中 江戸時代はLGBTは当たり前の世界でしたが、ある意味、現代の方が「普通」に縛られているのかもしれません。

上川 そうかもしれませんね。少数者の問題はそれをとりまく多数者の問題でもあり、明確に区切ることはできません。「同僚、親しい友人、親戚にLGBTはいますか?」と聞いた国際的な比較調査では、スペインやノルウェーでは6割を超える人が「いる」と答えましたが、日本ではわずか5%にとどまっている。日本のように「普通」を尊ぶ社会では、家族にも言えずに苦しんでいる子がたくさんいるはずです。

田中 法政大学にもそういう学生が相当数いると認識しています。大学として、学生達が自分のことを異常だと思わないように過ごせる環境を提供していきたいと考えています。私たちは自己肯定感がいかに人を伸ばすかを知っていますので、「自分は大事な存在であること」「もし差別されたら差別と言うべきであること」を日常からしっかり教えていきたい。そういう環境こそが本当の自由につながるのだと信じています。

上川 価値観は生まれ落ちた時代や地域によって違う。身を置いた価値観を疑うことが自由になるためには必要なんです。例えば、性という窓から社会を見て、いかに本来多様であるはずのものが画一的なとらえ方をされているかに気づいて欲しい。

田中 今日上川さんとお話し、法政大学がダイバーシティに取り組む際に大切なことに改めて気づかされた思いです。本日はありがとうございました。


世田谷区議会議員 上川あや(かみかわ あや)
1968年東京生まれ。1990年法政大学経営学部卒業。都内の公益法人に就職、広報部門スタッフとして5年間勤務。1998年、精神科医より「性同一性障害」であるとの診断を受ける。2003年4月,性同一性障害であることを公表の上,世田谷区議会議員選挙に立候補し当選。その後再選を重ね現在4期目。性の問題に限らず、多様な社会的少数者の環境改善に関心を寄せ活動。岩波書店から『変えてゆく勇気 ~「性同一性障害」の私から』を出版。

法政大学総長 田中 優子(たなか ゆうこ)
1952年、神奈川県に生まれる。法政大学文学部卒。同大大学院人文科学研究科修士課程修了後、同大大学院人文科学研究科博士課程単位取得満期退学。2014年4月より法政大学総長に就任。専攻は江戸時代の文学・生活文化、アジア比較文化。行政改革審議会委員、国土交通省審議会委員、文部科学省学術審議会委員を歴任。日本私立大学連盟常務理事、大学基準協会理事、サントリー芸術財団理事など、学外活動も多く、TV・ラジオなどの出演も多数。

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