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企画・制作:読売新聞社ビジネス局

2025年9月8日 Sponsored 
by西南学院大学

歴史の影を照らす—小林エリカ×西南学院大 読書教養講座レポート 歴史の影を照らす—小林エリカ×西南学院大 読書教養講座レポート

作家・漫画家の小林エリカさんを講師に迎えた「読書教養講座」(西南学院大、活字文化推進会議主催)が7月4日、福岡市の西南学院大で開かれた。『女の子たち風船爆弾をつくる』などの著作で知られる小林さんは「歴史の影を照らす」をテーマに、第1部で柿木伸之・国際文化学部教授と対談。第2部では学生3人の質問に答えながら、執筆の苦労や事実を掘り起こし伝えることの大切さを語った。読売新聞社が進める「21世紀活字文化プロジェクト」の一環で、約150人が聴講した。

小林 エリカ 小林 エリカ
柿木 伸之教授 柿木 伸之教授
第一部 歴史の影を照らす
第一部 歴史の影を照らす

柿木》 『女の子たち風船爆弾をつくる』を始めとする近作から話を伺います。戦争の時代と時代の転換期に生きた女性を描くことについて話を伺い、文学が何を問いかけることができるのかを考えたいと思っています。まず、本日の午前中、北九州に行かれたことをご紹介いただけますか。

小林》 小倉陸軍造兵廠跡が福岡市から近いので、造兵廠跡と北九州市平和のまちミュージアムを案内してもらいました。(記録作家の)林えいだいさんが詳しく調べて書かれていますが、小倉陸軍造兵廠でも風船爆弾づくりをしていたからです。
小倉では多くの証言が残っていますが、東京宝塚劇場での風船爆弾づくりについての本を探してみて、見つかったのが南村玲衣さんという方の自費出版本のみでした。
東京宝塚劇場には雙葉、跡見、麹町という3つの高等女学校から動員されていたのですが、どの学校に問い合わせても、話せる状態の方は雙葉の南村さんしかいませんでした。お会いできた南村さんに、なぜ自費出版したのか伺いました。彼女は主婦として子育てをしていた。でも戦後40年だった時に街を歩いて、ふと書店のガラス窓を見たら、風船の写真があって、「これ私が作っていた」と思って、そこには「風船爆弾」と書いてあって、自分が作っていたのは爆弾だったのだと初めて知ったのです。
おそらく林さんの本が出たタイミングだったと思うのですが、なぜ自分は40年間も知らされていなかったのだろうと思い、防衛庁に通われて調べ、当時のクラスメートから聞き書きして自費出版なさった。理由を尋ねたら「知らされていなかったことへの抵抗です」と聞いて、「あっ、受け取っちゃった」と思いました。「抵抗」という言葉を受け取ったからには今度は自分が伝えなければいけないと思いました。

柿木》 作品を形作る際に一番気を使われたのはどういうところですか?

小林 エリカ

小林》 小説に「注」がつくこと自体がありえないのですが、『女の子たち風船爆弾をつくる』には248の「注」が付いています。と言うのは、お会いできたのは南村さんとクラスメートの方々。それ以外は女の子たちのお子さんとかお孫さんら。ほかに学内に残されていた議事録は紙1枚とかなんですけれど、書いた人がいて、捨てずに残してくれた人がいて、私に手渡してくれた人がいることが奇跡のように思え、預かったものをしっかり書き残さなければいけないと思いました。

柿木》 埋もれたままにされ、見えなくされて、ないものにされている。それに対して抵抗する、声を与えていかれて作品にされたと改めて思いました。

小林》 現在、明治大学平和教育登戸研究所資料館がある場所は、元々何があったのかは分からなかった。高校教師をされていた渡辺賢二さんが高校生たちと一緒に平和教育の中で調べようと思い立った。実は、そこにあった旧陸軍登戸研究所は秘密兵器をつくっていました。風船爆弾は秘密兵器「ふ号」と言われていました。細菌を乗せて飛ばそうともしていたので、研究所が解散するタイミングで「ここの話は墓場まで持って行け」と言われていたから、みんな怖くて話せなかったそうです。
私はまじめに勉強して歴史を学べば何でも分かると思っていたのです。教えてくれるのは学者さんや偉い人、専門家の人。自分は学べばいいと思っていたけど、もし高校生が聞こうとしなかったら、多くの証言者は現れず、その施設とそこで行われた研究や実験はなかったことになっていた。私たち一人一人の力は決して無力ではないと実感しました。

柿木》 作品の中に生理の話が出てきます。月経のために思うように動けなかった話にリアルさを感じました。そういうところにアプローチしたのは、スヴェトラーナ・アレクシェーヴィチの作品がありますね。

小林》 月経については絶対に書きたいと思っていました。戦時下の女性の聞き書きをされて作った冊子に、1人の女性が「空襲で死ぬときは月経でない時がいい」と証言されたのを読んですごく衝撃を受けました。空襲の時に「口紅を塗った」という話も紹介されています。なぜかというと、死んだ時に「美しくないと死体を邪険に扱われてしまう」から。自分の考えている戦争は常に灰色一色だったのが、もっとディテールがあると思えてきたのです。

柿木》 影響を受けた作家について伺います。ノーベル文学賞のハン・ガン、九州で言うと石牟礼道子の作品に通じるところがあると思います。

歴史の影を照らす
小林》 『すべての、白いものたちの』『少年が来る』を書いたハン・ガンや石牟礼道子はすごく尊敬している作家です。
『トリニティ、トリニティ、トリニティ』(2020年)を書き終え、次に『女の子たち風船爆弾をつくる』を書こうとする間、書き方ですごく悩みました。自由にフィクションを書いてしまうと何が事実だったのか分からなくなるのが怖い。かと言って、ノンフィクションで書きたいのか?どういう書き方で目の前の膨大なことを書けるだろうか?すごく悩んでいて、そうしたときにアレクシェーヴィチの『戦争は女の顔をしていない』や『チェルノブイリの祈り』のように、いろいろな人の聞き書きを集めて組み上げていくと文学ができることに気づきました。
日系米国人作家ジュリー・オオツカの『屋根裏の仏様』は「わたしたち」が主語で、米国に花嫁に行く日本女性を書いています。文体と物語の構成はフィクションですが、読み込んでいくと全部がリサーチに基づいていると気付いた時に、こういうやり方もあるのだと驚きました。
もう1人は韓国の作家キム・スム。『ひとり』という作品では元従軍慰安婦の証言を実際に引用しながら、その女性たちの生き残りが最後の1人になってしまったという近未来の設定で書いています。現実に起きた出来事を詳細にリサーチし、作中に入れながらも、全体をフィクションとして立ち上げていく書き方です。
その3作家と同じ手法では風船爆弾は描けないかもしれないと迷っていた時に、「わたし」と「わたしたち」という二つの人称を使ったら書けるかもしれないと考えました。「わたし」という主語を使うのにすごく勇気が要りました。でも、日本に生まれ、日本国籍を持っていることはその国の歴史に責任があると思ったときに、「わたしたち」のうちの「わたし」という1人としてだったら書けるのかもしれないと初めて思い、ようやく書けるようになりました。

柿木》 未来が見通せない時代が来ています。でも小林さんは、忘れられようとしている、誰も書かなかった歴史を掘り起こす活動を続けておられることを本日伝えられたと思います。

第二部 歴史の影を照らす
3人の学生と対談

3人の学生が小林さんの著作を紹介しながら質問した。
東日本大震災と福島原発事故を背景に、ネコと少女が時空を超えた旅をする『マダム・キュリーと朝食を』(2014年)を紹介した学生は「作品の大きなテーマは放射能など見えないものとどう生きるか?見えない音や声にはどのような思いが込められているのでしょうか」と質問。小林さんは「放射性物質がなくなることはなく、今後100年1000年単位で私たちが考えていかなければいけません。ガイガーカウンターの音など文字に書き残せない音や声を未来の誰かが聞いてくれるかもしれないとの思いを込めています」と答えた。
東京五輪開会式当日を題材にした『トリニティ、トリニティ、トリニティ』を取り上げた学生は「東京五輪開催予定だった2020年に病気が流行って世の中が混乱に陥ってしまう物語がコロナ禍と重なります。私たちは目に見えないものとどうやって共存していけばいいのですか?」と問うと、小林さんは「コロナが流行し始めたときに、福島原発事故を一番に思い出しました。同じ差別構造です。外国や他県から来た人が悪いとか言う方がいますが、放射性物質は風に乗って飛ぶので県なんか関係ありません。コロナも県境で止まる訳ではない。震災後の事故から考え続けなければいけない問題だったのに、コロナのときにも解決できていなかった。ただ、まだ時間があるので、頑張ろうと思います」。

3人の学生と対談

『女の子たち風船爆弾をつくる』を紹介した学生は宝塚の少女たちや従軍慰安婦の気持ちについて質問。小林さんは「宝塚少女歌劇が劇場を接収された時に使われたのがコロナ禍と同じ『自粛』『不要不急』という言葉。戦時中と同じ単語を政府が使ったことに衝撃を受けました。女性にも参政権が与えられ、すべて新しくなったと習って生きてきたのですが、根底にあるものは何も覆されず引き継がれているし、同じ国民統制下の言葉が使われている。戦犯が元の地位に返り咲いていくのを見ていく女の子たちの気持ちは推し量れません」と語ると、柿木教授が「その気持ちを想像するには、この作品が糸口になります。小林さんのように私たちもこだわり続けていかなくてはいけません」と締めくくった。