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企画・制作:読売新聞社ビジネス局

2026年1月21日 Sponsored 
by西南学院大学

テレビプロデューサー・佐野亜裕美氏による西南学院大学での講演録 テレビプロデューサー・佐野亜裕美氏による西南学院大学での講演録

ドラマ「エルピス―希望、あるいは災い―」などのヒット作を手がけているテレビプロデューサー佐野亜裕美さんを講師に迎えた「読書教養講座」(西南学院大、活字文化推進会議主催、読売新聞社主管)が10月10日、福岡市の西南学院大で開かれた。「ドラマの言葉 言葉のドラマ」をテーマに、佐野さんがコーディネーターの田村元彦・法学部准教授や学生らの質問に答える形で進行し、プロデューサーになった経緯やドラマづくりの進め方、舞台裏を紹介し、仕事の魅力や自身の生き方などを語った。読売新聞社が進める21世紀活字文化プロジェクトの一環で、約170人が聴講した。

佐野亜裕美氏 佐野亜裕美氏
田村元彦教授 田村元彦教授
佐野亜裕美氏による西南学院大学での講演「ドラマの言葉 言葉のドラマ」

田村》 本講座の講師は主に作家の方ですが、テレビドラマでも素晴らしい言葉に出会えます。ただ、今の学生はテレビをあまり観ません。ドラマを観ていません。ドラマをみんなで語り合うことが楽しいことを学生たちに伝えたいと思って企画しました。

学生》 大学受験や学生時代について聞かせてください。

佐野》 高校3年の時大失恋をして家に引きこもったのですが、三角関係のライバルが立教大学観光学部への推薦入学が決まったと聞き、ライバルより偏差値が高い大学に入学したいという闘志が湧いて勉強を頑張り、文系で一番偏差値が高い東京大学文科1類に合格しました。
志(こころざし)が大変低い状態で入学してしまい、周りは法学部に進学する人が多く、憲法や民法の必修授業を受けていたのですが、内容が心や頭に入って来ませんでした。法律を生業(なりわい)にしていくのは無理があり過ぎると思い、入学直後のゴールデンウイーク明けに親にも言わず休学しました。周囲からの助言で約10カ月後に大学に戻り、3年生の進学振分けで教養学部の表象文化論専攻に進みました。映画や演劇を学び、卒論では漫画を取り上げました。

佐野亜裕美氏による西南学院大学での講演「ドラマの言葉 言葉のドラマ」

田村》 テレビ局に入社された経緯を教えてください。

佐野》 私の人生は行き当たりばったりです。漠然と大学院進学を考えていましたが、実家の自営業が不景気で傾き始め、大学院に行くなら学費は全部自分で出しなさいと言われました。
当時交際していた男性がテレビ局のアナウンサー志望。エントリーシートを見たのがきっかけでテレビ局への就職に興味を持ち、軽い気持ちで日本テレビを受け、最終で落ちました。落ちるとまた俄然やる気が出てきて、そこから頑張ってTBSに合格しました。私は割と猪突猛進に進んでいるとふと穴に落ちて、そこから這い上がるために結構頑張るのです。
TBSは制作採用でした。最初はバラエティーに配属され、『王様のブランチ』という情報番組から入って、『渡る世間は鬼ばかり』からドラマ制作に異動しました。

田村》 プロデューサーは石井ふく子さんですね。

佐野》 石井さんは当時80歳代半ば。撮影現場におにぎりを握ってこられ、大変なシーンの撮影があった役者さんに帰り際、「お疲れ様」と言っておにぎりとゆで卵を渡されていました。私はおにぎりこそ渡しませんが、役者さんやスタッフの頑張りを現場で見てお礼を言います。大きな学びでした。最初が『渡る世間』で良かったと思っています。

学生》 ディレクターは演出という仕事だと分かるのですけれど、プロデューサーは実際どういう仕事をされているのでしょうか。

佐野》 レストランに例えると、プロデューサーはオーナーでディレクターはシェフ。例えばラブストーリーをどの役者さんで制作したいという企画を立てる。そのプランやビジョンをつくるのがプロデューサーです。
『エルピス』の場合は脚本家の渡辺あやさんとラブコメをつくろうと思い立ち、紆余曲折の末に『エルピス』という形になり、会社の編成という企画を決める部署に持ち込み、OKをもらいました。題材やジャンルが決まったら、次はどんなお客さんに観てもらいたいかを決めます。例えば20~30代の女性がターゲットでしたら、その世代に受けるドラマをつくれる監督は誰だろうか、そういう世代に影響を与える役者さんは誰だろうかを考えて決めるキャスティングとスタッフィングが最初の大きな仕事。並行して脚本家に書く材料を渡します。『エルピス』では過去の冤罪事件の中でドラマに使えそうなものを取捨選択して資料を渡したり、筋書きを提案したりするなど脚本家と一緒に並走しました。
監督が決まると、監督が今度は現場のカメラマンや美術、セットデザイン、衣装、メークさんなど現場の方のキャスティングを始めます。私も一緒に考えますが、基本的に現場のことは監督に任せます。
撮影には毎回立ち会います。プロデューサーの仕事の7~8割は「謝罪」と「調整」です。誰かに謝っているか、お願いしているかなのです。「こんなに?」って思うくらい謝罪しますが、環境が人をつくるのでプロデューサーを目指している方は決して不安に思わないでください。残りの2~3割でどうしたらもっと面白くなるかを考えている感じです。
監督の仕事は真逆。どうしたら面白くなるかを考える監督の方が絶対楽しい。ただ、プロデューサーは自分で企画を考えて自分で仕事を頼む。テレビ局で監督は受注する側。私はあまり自分に自信がない人間なので、自分で仕事をつくっていく方がプレッシャーには耐えられる気がしてプロデューサーをやり始めて今に至っています。

佐野亜裕美氏による西南学院大学での講演「ドラマの言葉 言葉のドラマ」

田村》 佐野さんのプロデュース作品について学生から質問があります。

学生》 『大豆田とわ子と三人の元夫』に出演したかごめの存在が忘れられません。主人公とわ子に3人の元夫という非現実的なストーリーの中で、かごめの死を描くことでリアルさを出したのでしょうか。

佐野》 松たか子さんを最初にキャスティングしましたが、夫たちの配役を決める前に、かごめ役は市川実日子さんに決めました。脚本の坂元裕二さんとどういうドラマをつくるかという肝(きも)の話をしていたのがコロナ禍だったので、テーマは結婚でも離婚でもなくて人の死だったのです。私や坂元さんのそれぞれの友人とのエピソードとか過去のいろんな記憶とかが混ざって、人の死をかごめという存在に投影する形で話をつくっていったというのが事実に近いと思います。坂元さんは撮影現場に来ないので、脚本づくりの役に立ててもらおうと松田龍平さんら役者さんの素顔を伝えたりもしました。

学生》 冤罪事件をテーマにした『エルピス』で主人公の恵那と拓朗の共通点はスランプに陥ってしまったときの拒食症症状です。なぜ同じような描写で2人のスランプを表現したのでしょうか。

佐野》 『エルピス』の脚本を読んでもらった尊敬するプロデューサーから「2人がでこぼこコンビになっていないのがいけない」と言われました。そもそも恵那と拓朗は、渡辺あやさんが感じ取った私(佐野)の中にあるように見えるものを2つに割っているから、ある種の精神的双子なのです。脚本を作っていたのは放送より5年位前で、私もいろんなことに必死だったし、いろんなことに怒っていたし、悲しんでいました。その時、普通だったらこうするとか、そういうことにまったく縛られずに渡辺あやさんの思うままに、私も不安に思うこともなくドラマをつくれました。何かすごく大きなポイントだったと思っています。
テレビ局という自分たちがいるところを批判したことを取り上げられることもあるのですけど、全然そのようなつもりはなく、単純に私自身がテレビ局を一番知っているからです。テレビ局は平気で医療ドラマや刑事ドラマで病院や警察を悪く描きます。一方で自分たちの職場を悪く描くのが平気ではないことの意味がわからないと思っていて、よく知っているからテレビ局にしようぐらいの安易なノリでつくっていったことが結果、功を奏しているのか分からないのですけど、他と違うドラマになれたのではないかなと思っています。

佐野亜裕美氏による西南学院大学での講演「ドラマの言葉 言葉のドラマ」

学生》 こうの史代さんの原作漫画をもとに制作された『この世界の片隅に』は物語の舞台は広島・呉。終戦を迎える重要なシーンであえて原作と違う描き方にしたことに何か意図や狙いがあったのでしょうか。

佐野》 玉音放送を聞いたら、まず驚きが来ると思います。そこから自らの加害者性みたいなところに気づいて言語化するというところまで、市井に生きる女性すずさんが行き着けるように私たちが(ドラマを)つくってきてないという意見がありまして、私と監督と脚本の岡田惠和さんの3人で散々議論しました。スポンサーからNGが出たとかの話ではなく、テレビドラマと言う特性上、戦争というものをどう捉えるか描くかはすごくセンシティブな問題です。今まで最も闘い、最後まで悩んだところでした。

学生》 音楽生活を送る4人の男女を描いた『カルテット』では自分の内なる感情や人との関わり方など多くの教訓を残してくれます。満島ひかりさん演じるすずめさんがとても印象的で、ドラマに登場する、言葉にならない、でもこぼれ出てしまう感情表現はどのように生まれたのでしょうか。

佐野》 松たか子さんら出演者4人は先に決まったのですが、企画の当初から紆余曲折があって、最終的に四重奏をテーマにすることになりました。私自身もこのドラマが一体どういうドラマなのかよくわからないまま、正直なところスタートしました。
満島ひかりという役者は脚本の坂元裕二さんにとってメンターというか、特別なすごく大事な存在なので、そこに関してはあんまり心配しませんでした。脚本家が知らない役者さんについては私が素顔を話して、脚本家が素顔を知っている役者さんについては何も言わないことを心がけました。
とても寒い軽井沢の撮影現場で、私はほぼ炊き出しをしていました。脚本に対して何か関与したことはなく、やりにくいことや不満を聞くみたいなことをしていたので、シーンや演出に対して何か言うこともなく、潤滑油として回していくのがプロデューサーの仕事でもあります。撮影現場は楽しくスムーズに、怒鳴り声とか起こらないのが一番なのです。エピソードトークばかりして、結局答えになってない気もします。すいません。

田村》 結婚や出産をされて子育てしながらプロデューサーの仕事を続けていると、ものすごく大変だと思います。仕事と家庭を両立されている点も注目されていると思います。

佐野》 会社に多くの要求をして来ました。例えば、私は11月に出産したのですけれど、出産する前に翌年いつドラマをやるのか決めなければいけないと散々言われました。高齢出産だったので子供がどんな状態で生まれるかわからない。出産して子供が健康で保育園に入れる見込みが立つまでは復帰は決めないと言いました。今は当たり前だと思うのですけど、そうではない業界でした。しかし、結構大きな声で言っていくと、なんとかなるという感じです。
ほかにも、ドラマも立ち上げには最低1年必要とか、会社に出勤しないと言いました。出勤し帰宅する往復2時間があったらドラマが2本観られる。その方が自分にとって価値があるから出勤はしないとか結構わがままを言っています。これは誰でも言い始めることに意味があると思います。子供がもうすぐ2歳なのですが、これから撮影が始まり、特に頼れる親もいません。どうするのか全然想定できないのですが、何とかしようと思えば何とかなるという考えです。

佐野亜裕美氏による西南学院大学での講演「ドラマの言葉 言葉のドラマ」

会場の高校生》 私も将来、ドラマプロデューサーになりたいのですが、両親から「テレビ局はブラックだし、性格にも合っていない」と言われています。今日、ドラマは人々の日常に大きく関わり、思っていた以上に奥深いと思いました。プロデューサーになるために今からできること、佐野さんが日頃から心掛けていることを教えていただきたい。テレビ局や制作会社への就職以外にも、ドラマに関わることができる職業があれば教えてください。

佐野》 私がTBSを辞めた2020年ころは、それまで1年に2本のドラマづくりだったのがシフト制になって年1本になるなど労働時間でも健全になっていることは間違いありません。良い方向に変わってはいる実感はすごくあります。
私がプロデューサーになったのは偶然です。行き当たりばったりだったので、特に意識して高校や大学生活を過ごしていませんが、本をたくさん読んでいました。幼稚園の頃、図書館の本を全部読み切って、読む本がなくなるくらい好きだったので、物語の蓄積が自分の中にあり、脚本家さんと打ち合わせをするとき“共通言語”で語り合えることは役に立っています。
あとは友人です。例えば建設会社の社長がどういうことでピンチに陥るか、介護に詳しい方とかをSNSとかで聞くと、友人がその業界の知人を紹介してくれます。例えば社会福祉士について知りたくても協会とかに相談すると取材するまで1週間かかかります。人脈づくりという考えではなく、きちんと人と付き合ってください。人間観察という点でも生身の人からの情報はすごく大きい。たくさん友達と遊んでほしいです。
そしてドラマに関わるためには、制作だけではなく、役者さんのマネジメント、カメラマンとか照明とか録音、美術、衣装、メーク、持ち道具や小道具とか、そういう関わり方もありますし、あなた自身がどの部分を担いたいかという話です。
プロデューサーは楽しいです。規模の大きな学園祭をずっと続けている感じで、私も大学卒業後、AD(アシスタントディレクター)からAP(アシスタントプロデューサー)、プロデューサーと切れ目がなく続けています。学生当時の気持ちはさすがにありませんが、遠くに来たと感じることはあまりなく、すごく楽しい仕事です。ご両親にそうお伝えください。

田村》 すぐさま動かないかもしれないけど、闘っている人がいるおかげで少しずつでも世の中は進んでいます。今春から始まる佐野さんのドラマを楽しみにしております。