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企画・制作:読売新聞社ビジネス局

2026年8月28日 Sponsored 
by西南学院大学

作家・木村友祐さんによる西南学院大学での講演『文学で歪みを問う』 作家・木村友祐さんによる西南学院大学での講演『文学で歪みを問う』

社会の不条理や格差をテーマに方言を交えて描く作家木村友祐さんを講師に迎えた「読書教養講座」(西南学院大、活字文化推進会議主催、読売新聞社主管)が6月26日、福岡市の西南学院大で開かれた。「文学で歪(ひず)みを問う」と題して、第1部では木村さんが柿木伸之・国際文化学部 教授の質問に答える形で講演。柿木教授がコーディネーターを務めた第2部では、学生の質問に答えながら作品を書いた動機や背景について語った。読売新聞社が進める21世紀活字文化プロジェクトの一環で約100人が聴講した。

木村友祐さんプロフィール 木村友祐さんプロフィール
コーディネーター・柿木伸之教授プロフィール コーディネーター・柿木伸之教授プロフィール

第1部

柿木》 現代社会が理不尽なまでに歪んでいる中、木村さんの弱い立場の人々への細やかなまなざしに共感を抱いています。創作の原点は石牟礼道子の『苦海浄土(くがいじょうど)』と伺ったのですが、どのような影響を受けられたのですか?

木村》 ぼくは大学を出て、アルバイトをしながら小説を書いていました。大学時代の恩師が何かの話の拍子で、自宅の本棚にあった『苦海浄土』を貸してくれました。読み始めて「今まで読んできた小説と違う」と感じました。描写が克明で「ルポルタージュの傑作」と言われたこともありますが、文章がみずみずしい。エッセーやノンフィクション、小説とも言えない分類不可能な本で、カルテの記述や議事録まで入ってくる。その中で、患者さんとのやりとり、患者の家族の語りに心を持っていかれました。
言葉がしゃべれない、トイレにも自分では行けない胎児性水俣病の子に「深い魂を感じる」とおじいさんが言う。邪魔だと思わず、「仏のようだ」とかわいがっている。貧窮の極みの家庭なのですが、その子を大事にしている。苦しい状況にあっても人間が持ちうる崇高な姿が書かれている。ぼくは心が震えて仕方がありませんでした。
「ゆき女きき書き」の章では、海の中の光景がみずみずしく書かれている。海の中にも季節があり、海藻が動く様子を描写しながら水の冷たさまで感じさせる。もう一つは生き物の描写。タコ壺を引き上げてタコを捕まえるシーンでは、くるくる逃げるタコの描写が本当にかわいらしくてユーモラスなのです。
ゆき女は、水俣病のため途切れ途切れにしか喋れないのだけれども、石牟礼さんはそこを踏み越えて、ゆき女になりきって書いているところでフィクションの域に入っています。そのような『苦海浄土』から大きな感銘を受け、さまざまに影響されました。

柿木》 方言の使い方も含めて、木村さんの文学に対する姿勢が現れているのは『イサの氾濫』だと思います。イカ釣り漁師だったイサの荒ぶる姿には、木村さんの思いが凝縮されている気がします。どういう思いが込められているのでしょうか?

柿木伸之教授と木村友祐さん

木村》 『苦海浄土』を読み、方言で小説を書きたいと思ったのが大きなターニングポイントです。ぼくは大学入学のため上京した時、濁音いっぱいの方言は恥ずかしくて、人前で話すのも怖かった。でも、石牟礼さんが書いた天草・水俣弁を通じて、方言は魅力と面白さがあると気がついて、方言で書きたいと思ったのですが、自分が使える方言は南部弁しかなかったので、『海猫ツリーハウス』は兄や親の世代の方言をできるだけ使いました。
東京から八戸に帰って家族と話すと、自分の気持ちが柔軟になっていることに気付きました。心のこわばりがなくなっている。生まれた土地の言葉に自分で縛りをかけたことは、自分の体を縛っているのと同じではないか。なぜ自分は方言で話すことを恥じていたのだろう?なぜ、そう思わされていたのだろう?東京の標準語が上で、地方の言葉の南部弁が下。なぜ、そういう上下関係を自分の中で作り出してしまったのだろうと思ったのです。
政治経済や流行、文化は東京がまず一番先。すべてが活発だし、一番先端のものも東京にあります。変化が先に現れるのが東京。東京の時間に自分を合わせれば間違わないと思っていたのですが、自分の郷里で流れている時間と東京の時間に優劣があるはずがない、人が生きている時間に優劣があるわけがないと気が付いたのです。
さらに、日本人の時間と日本で暮らす在日外国人の時間に優劣があるのかと考えました。もっと言えば、人間と動物の時間に優劣があるのかと思うのです。ぼくはないと思います。あると決めつけているのはぼくらが勝手に格付けしているからです。

柿木》 私も高校を出て鹿児島から上京した際、東京の時間感覚に自分をフィットさせなければいけないと思いました。東京中心の世界観で物事を見てしまったり、遅れているものに対して、優越感を持ったりする。それはすごく危ういことだと思っています。小説を書く時に大事にしていることはどのようなことでしょうか?

木村》 『イサの氾濫』のイサという粗暴に見える人物は主人公の叔父として語られますが、家庭環境などで悔しさを抱えた人物です。書き始めたら東日本大震災が起こった。すぐ郷里には帰らず、割と間を置いて帰ったのですが、港に行ったら、あり得ない場所まで大きなイカ釣り船が運ばれてひっくり返っている。そこで起きている物事は大変な事で、自然災害だけではなく原発事故も起こった。ものすごいことを経験し、何事もなかったかのように作品を書き進めていいのだろうかと思い返したのです。
物語に震災の話を半ば強引につなげたときに、かつては中央(朝廷)から攻め込まれて、先住民の蝦夷(えみし)という人たちが同化させられた東日本や東北の歴史を思い浮かべました。痛めつけられて来た東北がなぜまたこんな思いしなければいけないのかと、イサの怒りが吹き出る、訛りが噴き出すという物語になりました。

柿木》 木村さんの作品の中で、生き物たちが果たす役割は非常に重要だと思います。『海猫ツリーハウス』でも海猫に見つめられるエピソードが出てきます。「殺しの時代における都市型狩猟の観察」の中では、ネズミに見つめられるシーンがあります。

木村》 作家デビューが決まった2009年、妻が会社の敷地で泣いている子猫を我が家に連れてきました。それ以降、猫のとりこになってしまいました。外から帰ってきて台所で休んでいると、早くかまってほしい猫はこちらをずっと見ている。そうすると猫の目を通して、猫が見ている光景を想像し、猫が見ている世界があると感じる。猫は猫としてこの世界に生き、ハトが見ている世界もある。虫だって同じ。目が見えない地中生物も体全身で世界を感じている。そこに優劣がないと思うし、自分とは異なる世界で溢れている。そういう感覚を自分の小説の中で出したいと思うし、やっぱりその感覚を持った後で『苦海浄土』を読むと、石牟礼さんが同じようなことを書いていると気が付くのです。

柿木》 一方で、生き物の命を奪うこと、狩りをすることを最新作に書かれていますね。

木村》 ぼくには動物愛護の世界観があって、自分の中でも窮屈な感じがあった。そのときに山口未花子さんの『ヘラジカの贈り物―北方狩猟民カスカと動物の自然誌』(春風社)という本を読みました。山口さんは、カナダの先住民「カスカ」の人たちと生活して狩猟を体験する。動物が大好きなのに狩猟して食べる。これもまた動物の繋がりを失わないための方法という話を聞いたら、「そんな考え方があるんだ」と思って、それを小説の中に取り入れたら、もっと広い命の世界が描けたのです。動物を殺して食べるときに、そこに軽蔑はない。むしろ畏れと尊敬がある。それがとても重要なことだと思うのです。

第2部

第2部の会場風景

学生》 『海猫ツリーハウス』は、小説に実体験をどのくらい落とし込んでいますか。また、言葉を選ぶ際にどのようなこだわりを持っていますか。

木村》 ぼくには6歳上の兄がいまして、この兄は暗さがなく、外交的で明るくてパワフルな人です。その兄を太陽のように思って、ぼくは月のような地味な感じです。ただ、この小説では別にモデルになった兄弟が身近にいました。ぼくと兄は仲が良い兄弟ですが、その兄弟はすごく仲が悪い。違うからこそ関心も持てるし、そこから想像も膨らんで書けた。他人を題材にしたからこそ、そこに入り込めて書けたのです。
ぼくは大学が文芸学科でした。小説家や芸術家になりたいような人たちが集まる場所で、そこで自分も感化されてしまって、何もまとまったものを書けてもいないのに、物を書く人になりたいと思っていました。そこから、18年ぐらいかかったデビューだったのです。
デビューまでは自分の体験を書いていました。ぼくが主人公で書いて、応募しては落選を繰り返していました。ちょうど、『苦海浄土』を読んで方言はいいなと思っていた。さらに身近にモデルがいたので、他者を介して自分が持っているわだかまりを描くことができた。多分、程よい距離感だったのかもしれません。
言葉の表現に関しては、読んだ人が言葉を通じてそこにある物の実感というものを感じてほしいなと思って書いています。そもそもぼくがなぜ小説を書くかは、それまでの自分が虚ろな感じで、生きている実感が薄かったことがあって、小説を書くことで自分はここにいるのだということを示したいこともあったし、自分が生きていると実感として手触りとして感じるようになりたい気持ちもあったし、読んだ人にもそれを感じてもらいたい。ここにいる、生きていることを、言葉を通じて感じてもらいたいと思って言葉選びもしています。

木村友祐さんと学生たち

学生》 「聖地Cs」は2014年に発表されて、2011年の原発事故後の世界を描いた震災後文学と言える作品です。私は長崎出身なので原爆被害については学んできましたが、核の平和利用と言われてきた原発や事故の被害についてはあまり知りませんでした。作中で主人公や牧場主も含めて登場する人々のほとんどが、東北以外にルーツを持つ人々で、多くが、首都圏の人であったことにどのような意図があったのでしょうか。

木村》 ぼくはこの作品の舞台となった牧場にボランティアに行きました。そのときに出会った人たちがほとんど首都圏の人たちだったことがベースにありました。社会全体から疎外されている人たちが牛の境遇に自分を重ねてやってきたという背景もあるのではないかと感じて小説の設定に取り入れたのです。

学生》 『幼な子の聖戦』のような政治の世界をなぜ書こうと思われたのか。また、日本的な多神教ではなくて、あえて一神教的な「聖戦」という言葉を用いた理由をお伺いします。

木村》 高校の後輩が住んでいる村の出来事を小説にしました。そこで、村長選が行われることになった。村おこしに熱心な若者が周囲の応援もあって立候補したのですが、村で生まれたわけではない政治家が自分の選挙の地盤固めのために、違う候補を担ぎ上げたら、既得権益を持つ男たちがほとんどその候補にくら替えしました。自分たちの利益を手放さず、村を良くしようと立候補した若者を潰した。作品で仁吾のモデルになった人に会って話を聞いて、この国の縮図がある、書かなければいけないと思ったのです。
男女の格差は構造的にも固まっている。表面的には変わったようでも続いています。男性中心主義というか、家父長制はどれだけ変わったのか。ぼくも男性としての下駄を履かせてもらっている。給料も男性が高い構造がずっとある。それはやはり嫌だと思う。踏みつけられている人をそのままにしたくない。小説の中だけでも現状を描きたいと思っています。
世の中の理不尽に対する感情は、子供の頃から割と強く思っていて、不公平は嫌だという感じがあったのです。主人公の蜂谷も滅茶苦茶な私生活ではあるけれども、まっすぐな仁吾の生き方にひきつけられ、応援しようとします。しかし、既成の権力によって裏切るように方向づけられ、仁吾を陥れる方向に自分の気持ちを変えてしまう。そうするとコンプレックスが噴き出して、陥れることをどんどん正当化していくような行動に走る。そういった蜂谷の中にも無垢なものに対する憧れがある。そういった人物として描いたのはぼくの一つの分身でもあります。そこには無垢さ、幼児性があると思っていて、その純心性が突き抜けてしまったときには何が起こるかというと、この小説の最後のような惨劇が起こってしまう可能性だってあると思って書きました。

柿木》 地方のルールや日本の現実がギュッと凝縮されている。そういったところをやはり木村さんはこれからの作品でも取り上げていかれるのかなと改めて感じたところです。最後にこれからの仕事の計画をお聞かせください。

木村》 最新作の主人公は、正しい言葉を前にすると体が硬直してしまう人物です。結構自分が今そこに陥っているところがありまして、「さあ、これからどうする」という感じで書きました。時間がかかると思うのですけど、もう1回自分の郷里の言葉で書きたいと思っていて、できればそこに米作りとかが入ってくるといいなと思っています。

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