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キャンパスナウ

▼2013 錦秋号

SPECIAL REPORT

早稲田の文学

早稲田大学は坪内逍遙による文学部創立、文芸雑誌「早稲田文学」創刊に始まり、これまで多くの文学賞受賞者や編集者、研究者を輩出するなど、「文学」の世界に力を発揮してきました。
こうした文化人たちがつくりあげた「早稲田の文学」とはどのようなものでしょうか。
早稲田に関わる人々の誇りの一つである「早稲田の文学」を改めて掘り下げ、その魅力に迫ります。

鼎談

文化人が語る、「早稲田の文学」の魅力

早稲田大学出身の編集者で作家の松家仁之氏、十重田裕一文学学術院教授、堀江敏幸文学学術院教授の3名に、「早稲田の文学」の魅力、文学界への影響、今後の展開など幅広い話を伺います。

「早稲田の空間」に集まる人々

――皆さんは既知の間柄だと伺っています。まずは近況報告も兼ねて、読者への自己紹介をお願いします。

十重田  私は、学部では堀江さんと同じ文化構想学部の文芸・ジャーナリズム論系、大学院では文学研究科日本語日本文学コースで教えています。専門は近代日本文学ですが、最近では、コロンビア大学の友人たちと『検閲・メディア・文学』(2012年)を編集し、『岩波茂雄』(2013年)という評伝を書きました。

松家  私が学生のころには「論系」という分け方はありませんでしたね。

十重田  論系という呼称には、創造的に論じながら新たな学問を切り開いていくというメッセージが込められています。堀江さんは、芥川賞受賞作の『熊の敷石』(2001年)をはじめ、多数の創作を著し、また翻訳家、研究者としても活躍されていますね。

堀江  僕はもともとフランス文学を研究していました。フランス語を教えたり、翻訳をしたりしながら、徐々に創作に移行し、現在に至っています。松家さんは卒業後、出版社で長く編集者として活躍されました。いまは、書く側の人間でもあるんですよね。

松家  私は1982年に卒業して新潮社に入社し、28年間編集者として文学や学芸の世界に携わってきました。大学3年のときに『文學界』の新人賞に応募して佳作になり、短篇小説を掲載してもらったことがあったのですが、そのあとに続く作品がまったく書けず、卒業後の進路にも迷って、大学には5年間通いました。新潮社を辞めてから、初めての長篇小説『火山のふもとで』(2012年)を書きあげることができました。

堀江  本当の意味で、つまり自分で納得のゆく形で作家になるまで、長い時間をかけた。この持続力が「早稲田の文学」に通じていると思いますね。

――坪内逍遙が文学部を創設して以来、早稲田における「文学」は非常に大きな存在です。改めて、「早稲田の文学」とは何だと思いますか。

十重田  「早稲田の文学」という表現は、多様で幅広く、懐の深いところを言い表しているのかもしれません。「早稲田大学の文学」や雑誌「早稲田文学」とも異なり、「早稲田」という場と何らかの関わりから生み出された「文学」ということでしょうか。もちろん、早稲田大学に入学し、卒業あるいは中退して「文学」に関わる方もいれば、大学には入学していないけれども、雑誌「早稲田文学」や早稲田という土地に関わりを持ちながら創作する方もいます。「早稲田の空間」に集う人々がつくり出す魅力的な創作が「早稲田の文学」です。

松家  卒業して30年以上経ったいまでも、「早稲田の空間」は私の意識の底に残っていました。講師として週に一度、早稲田に通っているときに、忘れていた記憶がふいによみがえってきて自分でも驚きました。友人や先輩とのやりとり、恩師のことばなどが、構内の光景とともに目に浮かぶんです。

堀江  書かれた作品だけでなく、教員、学生たちすべてが「早稲田の文学」を形づくっているのではないでしょうか。松家さんの小説『火山のふもとで』に出てくる建築事務所にもつながりますが、「空間性」がある種の発想を生み出すんです。

新しいものを生み出す「在野精神」

――「早稲田の文学」の魅力とは何でしょうか。

松家仁之氏

松家  たぶん「早稲田の空間」の中に、見えない形としてあるものじゃないでしょうか。文学部の構内に向かってのぼってゆくスロープは、その「空間」に入ってゆく儀式の一部だった気がします。いまは戸山カフェテリアや戸山図書館など、自分の時間を確保できる空間が増えてうらやましいです。当時は身の置きどころがないと感じることもありましたので。

堀江  逆に、身の置きどころのないところから生まれるものもあります。教師として20年ぶりに校舎に入ったとき、学生時代の居場所だった、31号館から33号館への角にある自動販売機の前、低い天井、リノリウムの床の、まさしく身の置きどころのなさへの親しみが、鮮やかによみがえってきました。そうした狭い場所に集まって、別種の空間をつくり出す人間の側のシステムは、いまも失われていません。

十重田  「空間」と「身体感覚」は大切です。私は時おり、千代田区の九段下、飯田橋あたりから早稲田まで歩くことで、かつての東京の都市空間の感覚を追体験しています。少なくとも、明治時代から昭和時代前期の早稲田は、中央(千代田区)から離れた「郊外」という位置づけでした。堀江さんがパリの郊外を舞台とする『郊外へ』(1995年)で描かれているように、「郊外」はいろいろな変化が生まれる場所です。井伏鱒二・横光利一・江戸川乱歩など、地方から上京し、後に作家となる人々は、「郊外」にある早稲田に集って新しい創作を生み出していきました。上京してきた若者たちは早稲田に、故郷に通じる郷愁を抱いたのでしょう。

堀江  「都の西北」の西北という言葉には、都(千代田区)を中心とした囲いの外にある自由な感覚、つまり「在野」という意味が込められていますね。最近はそのイメージも薄れているようですが、学内ではいまも「在野精神」が残っていますし、残さなければならないと思います。

松家  私は東京生まれ東京育ちなので、地方出身の同級生が下宿や県人寮で一人で生きている姿に、かなわないなと思っていました。入学早々のコンパでは地方学生の迫力に「これが早稲田のパワーか!」と圧倒されたのを覚えています。いろんな仲間が力を発揮しながら、個性を失わずに独特の味をつくり出すサラダボウルのような場として早稲田があり、それが「早稲田の文学」の魅力につながっていると思います。

堀江  地方出身者は情報の欠如が大きく、それを埋めようとするパワーがあります。教員にも地方出身者が多く、学生たちがそれぞれの郷里のイントネーションで話しながら、書くときは標準語を使うという“よじれ”への理解もあったと思います。

十重田  最近の早稲田は首都圏の学生が増加し、地方学生が減少しています。これは大学にとっても「早稲田の文学」にとっても、望ましいことではありません。異なる言語・文化を持つ人たちが集まって混ざり合わなければ、新しいものは生まれません。一方、留学生が増えているのは早稲田にとって、とても良いことだと思います。

松家  留学生の増加は、早稲田にとって間違いなく新しい活力になりますね。

「文学」を通じて日本語を磨く

十重田  最近では、多和田葉子さんや小川洋子さん、村上春樹さんら多くの日本の作家の小説が世界中で読まれるようになりました。日本の小説について、海外の友人たちとリアルタイムで議論できるなんて、昔はあり得なかった。日本の文学は、確実に世界へ広がり、浸透しています。

堀江  多和田葉子さんのように、ドイツ語で直接書く事例もありますが、優れた翻訳者の存在も重要です。一方で、「早稲田の文学」の裏の魅力は、外国語をあまり勉強しないことでしょう(笑)。仏文だからといってフランス語にのめり込むわけではない。僕たちの頃も、「日本語を磨く」ためのツールという位置づけでしたね。

十重田  語学の学習は、他言語の習得だけが目的ではなく、自国語を輝きのある言語につくり変えるプロセスとしても必要です。

堀江  何をもって「言語ができる」と言えるかは、難しいところですね。

十重田  以前、ハーバード大学のある教授が、次のように私に話されました。「言語ができるといっても、話すのが得意な人もいれば、聞くのが上手な人もいる、書くのはそうでもないけれど、読むのはうまい人もいる。この4つすべてをできる人はなかなかいるわけではなく、話す、聞く、書く、読む、のいずれかがうまければ言語ができると言える」。

堀江  文学も同じですね。読むことに力を発揮する人と、全然読んでいないのに、書くとモノになる人がいる。基本は同じでも力を発揮する場所は一人ひとり違います。良く読んでいるのに卒論がまとまらないといった学生は、深く読むことで力を発揮する編集者に向いているかもしれませんしね。早稲田で学ぶうちに、自分の得意な分野が何かを理解できれば、どんな職業につくとしても社会に出てから大きな力になると思います。

厳しい自由が生み出す「文学」

――早稲田は「文学」に関わるさまざまな人材を輩出していますが、文学界への影響についてどう思いますか。

松家  出版界に早稲田出身者はあきれるほど大勢います。「新潮クレスト・ブックス」で力を発揮してくれた営業部員や校閲者、「芸術新潮」の編集部員にも、なんだあなたも早稲田だったの、とあとになって判明した人が何人もいました。ただし、「早稲田」出身者かどうかを意識して仕事をしたことはありません。社会ではそれぞれの実力が勝負ですから。

堀江  「文学」の世界には、帰属意識がないんです。独自のカラーといったものはない。早稲田では教員も他大学出身者が多いですし、「早稲田文学」も内に籠もらず、積極的に外のものを取り入れようとしています。

十重田 裕一/文学学術院教授

十重田  海外に出るとよく分かりますが、「早稲田」に寄りかかっていることには、まったく意味がありません。

松家  世界中で読まれている村上春樹さん、ドイツで活躍している多和田葉子さん、そして堀江さんなど早稲田出身の作家は多いですが、皆さん自ら道を切り開いている方ばかりです。

堀江  それぞれが、それぞれの仕事をしていまの位置にいる。「早稲田らしさ」は、あとから感じられることではあっても、出発点ではないわけです。それに、文学から得た影響は、目に見えるものではありません。学生時代に読んだ本、読んでいた場所、先生方の話やその話をなさっていたときの表情、そういったものすべてが、知らぬ間に自分の中に染み込み、ある期間を経て滲み出てくるのですね。

十重田  著名な作家の輩出を目的とした教育をしているわけではありませんが、芥川賞と直木賞の受賞作家は早稲田出身者が一番多く、結果的に大きな影響力を持っているのは事実です。

――早稲田の「自由」がどう「文学」に作用しているのでしょうか。

松家  私は大学の5年間で、誰かが準備した道ではなく、自分の道を切り開くのは自分であることを身をもって知ったと思います。早稲田の「自由さ」の中で、何をどう学ぶか、何に熱中するかは自分で見つけなければならないんです。

十重田  堀江さんと私が学生だった時代も、大学に強制的に来るのではなく、気の合う仲間が集い、教員と語り合い、その中から何かを発見すれば良いという「自由」な雰囲気がありました。

堀江  しかし当時の「自由」は、とても厳しいものでもありましたね。フランス文学の平岡篤頼先生が、学生に言った名言のひとつに、「君は毎週授業に出ているが、いつ勉強をしているんだ?」というものがあります。つまり、授業に出ていない学生はサボっているのではなく、外で何かに打ち込んでいるのが当然だと評価されていた。野放図な空気の中にある、一本芯の通った無言の圧力のような自由。これが早稲田の自由だった。この自由さを、もう少し意識的に継承してほしいですね。

松家  早稲田の学生はそれぞれに素知らぬ顔で、おもしろいものに対するアンテナを張り巡らしていますよね。

十重田  専門に特化するのではなく、さまざまなものに関わりながら多様な表現を生み出していく「自由」が、早稲田の文学をつくり出しているのだと思います。

「早稲田の文学」の未来

――「早稲田の文学」を未来につなぐために、取り組んでいきたいことはありますか。

堀江  周りとつながりながら一人でいる状態と、最初から完全に独りでいるのとは、同じ孤独でも質が違いますよね。そういう質的な相違が、作品の受け止め方にも影を落とします。まして、近代日本文学作品を読む際などは、不自由が当然だった日常への理解が届かないことがある。いま書かれている作品だけでなく、過去の作家や作品との対話も必要です。未来は、過去からつなげなければなりません。

松家  最近は「コミュニケーション能力」という言葉ばかり耳にしますが、学生時代には自分と対話する時間もあっていいと思います。私も大学時代は一人でご飯を食べて、一人で図書館に籠ることもありました。一人でいることを恐れて、群れる必要はありません。他者のありがたさも、そこから生まれてくる。

堀江 敏幸/文学学術院教授

堀江  いまの学生たちはひとつのことに時間をかけることを恐れているように思います。「どんな勉強をすれば良いか」「何年で目処が立つか」と手っ取り早いやり方を聞いてくる。各々が自分に合う方法を見つけることが大切なんです。効率の問題ではない。だから制度をはみ出すような、それこそ郊外へ踏み出していく「在野精神」を伝えたいですね。

松家  世の中全体が結論を先に求める時代になっているのでしょう。一方で、放っておいてほしいと思う学生にとっては、早稲田はいまも自由な大学なので、それは残してほしいと思います。何年かすれば、自分以外頼るものがない社会に出ていくのですから。

十重田  自分の力をつけなければ何もできないことを知る上で、早稲田は良い空間です。

堀江  学生たちは何も分からないまま入学して試行錯誤を重ね、そこから目覚めていく。むしろ「目覚める」とはどういうことかを教えてくれるのが、この大学のよさでしょう。

十重田  早稲田からは、創作家だけでなく、編集者や校正者、批評家・研究者、中学・高校の教師など、文学のさまざまな担い手が生まれ出ていることは誇れることであり、今後もそうあってほしいと思います。

堀江  結局のところ、学生も教員も、ある意味で一生ものにならない勉強を続けながら、教えたり教わったりしていくのです。ひとつの分野を学び終わった人ではなく、進行形で研究している人が教員として教えていることが、いちばん大きな武器なんですね。特に早稲田には現在活躍されている書き手がそろっています。学生は先生方の話を聞いて、自分も書きたいなと夢見るだけでなく、うまくいかずに悩み苦しんでいる姿に触れて、何歳まで学んでも解らないものがあるのだということを知るわけです。

十重田  経験を語ることは重要ですね。

松家  知らず知らずのうちに早稲田の伝統が「早稲田の文学」を育てているんですね。今は変化の時代ですが、軸足を世の中に合わせる必要はないと思います。懇切丁寧に指導するのではなく、学生が自分で考え、行動するように、あえて手を出さないのが早稲田大学です。親御さんは不安かもしれませんが、社会に出たら誰も付きっきりで面倒を見てはくれないですからね。学生でいる間に、自分の力で道を開くという気持ちを養うことが大切です。早稲田大学にはぜひ今まで通りどっしりと構えていてほしいと思います。

――本日はありがとうございました。

松家 仁之(まついえ・まさし)

1958年東京都生まれ。小説家、編集者。早稲田大学第一文学部卒業後、新潮社に入社。海外文学シリーズ「新潮クレスト・ブックス」や季刊総合誌「考える人」を創刊。「考える人」「芸術新潮」の編集長を歴任し、2010年退職。2009年より慶應義塾大学特別招聘教授。2012年に長篇小説『火山のふもとで』(新潮社)で小説家デビューし、翌年、第64回読売文学賞を受賞。最新刊に『沈むフランシス』(2013年新潮社)。

十重田 裕一(とえだ・ひろかず)/文学学術院教授

1964年東京都生まれ。早稲田大学第一文学部卒業、同文学研究科日本文学専攻修了。大妻女子大学専任講師、早稲田大学助教授を経て2003年より現職。1994年窪田空穂賞受賞。近著に『岩波茂雄―低く暮らし、高く想ふ』(2013年ミネルヴァ書房)、『横断する映画と文学』(編著、2011年森話社)、『占領期雑誌資料大系 文学編』(共編著、2009~10年岩波書店)、『「名作」はつくられる―川端康成とその作品』(2009年NHK出版)など。

堀江 敏幸(ほりえ・としゆき)/文学学術院教授

1964年岐阜県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業、東京大学大学院人文社会系研究科博士課程中退。パリ大3大学博士課程留学。東京工業大学専任講師、明治大学理工学部教授などを経て2007年より現職。1995年『郊外へ』で作家デビュー。2001年『熊の敷石』芥川賞をはじめ、2004年『雪沼とその周辺』谷崎潤一郎賞、2013年『振り子で言葉を探るように』毎日書評賞など受賞作多数。