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キャンパスナウ

▼2013 錦秋号

SPECIAL REPORT

早稲田の文学

早稲田大学は坪内逍遙による文学部創立、文芸雑誌「早稲田文学」創刊に始まり、これまで多くの文学賞受賞者や編集者、研究者を輩出するなど、「文学」の世界に力を発揮してきました。
こうした文化人たちがつくりあげた「早稲田の文学」とはどのようなものでしょうか。
早稲田に関わる人々の誇りの一つである「早稲田の文学」を改めて掘り下げ、その魅力に迫ります。

実作者の言葉

早稲田の文学と私

文学界で活躍している実作者の言葉を通じて、早稲田の文学の魅力に迫ります。
重松氏、角田氏に在学中の思い出をうかがいました。
また、在学中の阿部さん、文月さん、吉田さんからエッセイを寄稿していただきました。

自分の生き方を追い求め

重松 清氏
(1985年教育学部国語国文学科卒業)

しげまつ・きよし
1963年岡山県生まれ。出版社勤務を経て文筆業に入る。1991年『ビフォア・ラン』でデビュー。『エイジ』で山本周五郎賞、『ビタミンF』で直木三十五賞、『十字架』で吉川英治文学賞を受賞。現代の家族の姿を描くことを大きなテーマに話題作を次々と発表し、ルポルタージュ・時評・評論など小説以外のジャンルでの執筆活動も高い評価を受けている。

 高校時代は父との折り合いが悪く、少しでも遠くの街へ、父の知らない街へ向かいたいと思いました。学費や仕送りも期待できないから、第一志望は国立、次は学費免除の奨学金がある早稲田の文学部。父は何も言いませんでしたが、願書を出す間際「教育学部も受けてみい」と。合格したのは教育学部だけだったので、ぼくは父のおかげで、父から離れることができたことになります。

 所属したのは学生数名のゼミでした。東郷克美先生が教室にくる頃、ぼくはいつも近くの銭湯でアルバイトの汗を流しています。肉体労働から遊園地のヌイグルミまで、十指にあまる仕事をしていました。教室に行くのは授業の終わる少し前、お目当ては授業後の酒。「弟子」を名乗れる出来のいい教え子ではなく、授業で何を教わったかも、どんな授業だったかも、ろくすっぽ覚えていない学生でした。そもそも先生の専攻も業績も知らず、ただ懐の深さと広さを頼りに飛び込んだぼくに、先生は優しく、いつも苦笑まじりに受け止めてくれました。

 ある日、掲示板で〈「早稲田文学」学生編集員募集〉の貼り紙に気づきました。文学に興味はなかったし、〈無給〉の二文字で働く気も消えた。たぶんそれは、ふと目についたパンチングマシーンを一発殴るようなものでした。提出書類は履歴書と作文、締切はその日の午後一時。踵を返し、生協の売店に駆けだしたぼくは数日後、平岡篤頼先生の研究室を面接に訪れて、夜には早稲田文学の編集室でカツ丼をかきこんでいました。無給の代わりに晩飯はただで食べられる。モトだけは取ってやろうとせっせと通い、編集作業のイロハを学びました。

 高校時代の読書は矢沢永吉『成り上がり』だけだったぼくは、一緒に働く同級生に負けまいと、必死に本を読みはじめました。たんなる負けず嫌いの読書でしたが、卒業までの二年足らずで何百冊読んだかわからない。何をやらせても中途半端なダメ学生が、貼り紙を見たあの一瞬を境に、昨日の続きではない今日に足を踏み入れることができたんです。

 平岡先生はもう亡くなられましたが、東郷先生は今でも東京での親父代わりと、勝手にそう決めています。水割りをつくる先生の不器用な手つきを見ていると、ふるさとの父の姿が思い浮かんで、ちょっと叱られてみたくもなるんです。(談)

頑張んないと始まらない

©三原久明
角田 光代氏
(1989年度第一文学部文芸専修卒業)

かくた・みつよ
1967年神奈川県生まれ。1990年『幸福な遊戯』で海燕新人文学賞を受賞しデビュー。『まどろむ夜のUFO』での野間文芸新人賞を皮切りに、『対岸の彼女』で直木三十五賞、『ロック母』で川端康成賞、『八日目の蝉』で中央公論文芸賞など、短篇から長篇まで、純文学からエンターテインメントにまたがる幅広い活躍を続ける、現代日本文学のトップランナーのひとり。

 早稲田を選んだのは文学部の文芸科に入るためでした。入学してみると小説を書きたい人は少なかったけれど、みんな頭のいい子たちで、みんな私より知識がありました。だから、もっと本を読まなきゃと思って、すごくすごく読んだんです。たぶんそのとき尾崎翠とか内田百閒といった「好きな作家」や、いまの私の「支えになる作家」を見つけたんだと思います。

 授業は、「みっちり習ってから書く」というより「いきなり書く」、ほとんど職業訓練所でした(笑)。いまでも覚えているのは文章の書き方についてです。若いときって、頭をよく見せようとして難しい言葉を使うんですよね。でも、秦恒平先生が「難しい言葉で簡単なことを書くとバカに見えるよ」と教えてくれて。「難しいことこそ、簡単な文章で書けるようにならないとダメ。だから自分の手持ちの言葉を使うように」という教えをいまでも守っている気がします。

 大学3~4年生のときにはもう少女小説を書いていたけれど、同時に「てあとろ50’」という演劇サークルにも所属していて、このあいだ40周年で集まったら、「キャラメルボックス」や「劇団ラッパ屋」としていまもプロで舞台をやってる人たちはじめ、芸能プロダクションの社長さんとか、映画「宇宙兄弟」の監督やドラマ「あまちゃん」の演出の人とか、いろんな人がいておもしろかったです。

 小説を書いて演劇やって恋愛もして、お酒も飲んで飲んで、ほんとに忙しい学生時代で、しなかったのは勉強くらい(笑)。小説以外の勉強をほとんどしなかったので、いま思い返すと、あんなにいい機会だったんだから、もっと勉強したかったなと思います。でも、そうやって何も知らなかったことや学生のなかで知識的に最下層だったことが、いい意味でのコンプレックスになったとも思います。「選ばれた感じ」とか「なにもしなくてもできちゃった感じ」なんてどこにもなくて、ただ「頑張んないと普通になれない」ってことを大学生のときに思い知らされたから。

 頑張って「人並みよりちょっと下」って世界にいたことで、普通に「頑張ってからじゃないと始まらない」ということが、大学で教わったいちばんのことでした。いまでも日々「頑張らないと」って思ってます。(談)

早稲田に呼ばれて

阿部 智里さん
(文化構想学部3年)

 「これからは日本神話をモチーフにした小説を書こう」。高校時代、記紀神話をモチーフにした長篇を書き上げた後、私はそう決心した。この時の作品は受賞にこそ至らなかったものの、自分なりの『和風ファンタジー』誕生の予感に、いまだかつてない手ごたえを感じていたのだ。記紀神話を学ぶために大学へ入ったと言っても過言ではなく、入学当初、私の頭の中は古事記と日本書紀でいっぱいだった。

 ところが、いざ勉強を初めてみると記紀だけにこだわっているわけにはいかなくなった。早稲田は日本を「日本の中の日本」ではなく「世界の中の日本」として見ている。日本神話を本当に理解するためには、中国や朝鮮半島についても学ぶ必要があると気付かされた。それは、他国の神話を知るというだけではなく、歴史や文化、そこに住む人を知る、という意味でもある。

 今は、このために私は早稲田に呼ばれたのではないか、とすら思える。かつて記紀だけで形成されていた私の世界は、急速な勢いでその範囲を広めているのだ。

2012年『烏に単は似合わない』でデビューし、史上最年少で第19回松本清張賞を受賞。最新刊に『烏は主を選ばない』(2013年7月文藝春秋)。

早稲田で出会ったもの

文月 悠光さん
(教育学部4年)

 小学6年のとき、三田誠広さんの講義録を読んだ。小説の書き方を教えるなんて東京には面白い学校があるものだ。多くの作家を輩出している早稲田に通えば、自分も何か得られるのではないかと(今思うと相当浅はかな)憧れを膨らませて教育学部に入学した。

 札幌の高校を卒業するまでは、身近に文学を読む人が見つからず、自分の詩が誰に響いているのか、かなり不確かだった。しかし、早稲田の授業や学生とのやり取りの中で“文学との関わり方”が自ずと固まっていったように思う。特に石原千秋先生、モグリで参加していた堀江敏幸先生の授業には非常に刺激を受けた。短歌会に所属して歌を詠むようになったことも大きい。自由詩の形式に慣れていた私には短歌の詩型はとても扱いづらく、それゆえに表現を磨いていく歓びを強く感じた。また教育学部では教員志望の友人に囲まれたことで、かえって詩人の活動を貫くことができた。四年生になった今、その校舎の佇まいも含めて早稲田大学という環境を愛おしく思う。

詩人。2008年、現代詩手帖賞を受賞しデビュー。高校3年時に第1詩集『適切な世界の適切ならざる私』で中原中也賞を最年少で受賞。今年8月第2詩集『屋根よりも深々と』を出版。2013年度NHK全国学校音楽コンクール課題曲の作詞を担当。

図書館で過ごした時間

吉田 隼人さん
(2011年文化構想学部卒業、大学院文学研究科在学中)

 図書館の地下書庫が好きだ。あそこは携帯の電波が入らないからいい。書庫というよりもはや地下要塞といった趣の、本棚・本棚・また本棚……。

 そんな中に埋もれて、自腹ではとても買えない英語やフランス語の文献を引っくり返して、頁をパラパラめくって、古くさいインクと紙の匂いを嗅いでいると、自分もいっぱしの文学者になれたような気がしてくる。大学に通っているのだか図書館に通っているのだか自分でもわからなくなる。勉強をするのも図書館、レポートを作るのも図書館、原稿を書くのも図書館、論文を進めるのも図書館……そうして気がついたら卒業してしまったのだから、早稲田大学を卒業したというよりは、早稲田の図書館を卒業したといった方が実感にかなう。お正月の駅伝を見てもいまだに母校の選手が走っているという気がしないぐらいだ。そんな僕を図書館で見かけても、くれぐれも声はかけないでほしい。図書館では、お静かに……。ね?

中学時代より作歌を始め、2013年「忘却のための試論」50首で第59回角川短歌賞を受賞。