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秋葉 裕一(あきば・ひろかず)早稲田大学教授 早稲田大学坪内博士記念演劇博物館副館長 略歴はこちらから

現代演劇と演劇博物館—早稲田の「演博」を事例として—

秋葉 裕一/早稲田大学坪内博士記念演劇博物館 副館長

形なきものを留めゆく—演劇博物館の存在意義

 人間が自身の肉体を通じて表現する演劇は生物(ナマモノ/イキモノ)である。上演されてしまえば跡形もない。一期一会、観た者の記憶に残るだけである。そして、演劇人は上演には有り余る情熱を持っていても、舞台成果の記録にはさほど執着しない、あるいは執着する余力がない。その結果、すぐれた舞台が人々の脳裏に刻み込まれても、上演を思い出す手掛かりは失われてしまいがちだ。すぐれた舞台であればあるほど、その印象をどうしてか保持したい、と誰しもが願う。舞台写真であれ、上演の映像記録であれ、演出ノートであれ、舞台衣装であれ、背景画であれ、あるいは台本、チラシ、プログラムにしても、残っていれば、それを手掛かりに舞台を思い描く可能性ができる。演劇博物館は、一つにはそうした願いが成立させたものであろう。

坪内逍遙 シェイクスピア最終講義時 肖像

 演博(エンパク)の名で親しまれている早稲田大学の演劇博物館は、正式には坪内博士記念という形容が付く。坪内逍遙の古稀ならびに『シェイクスピヤ全集』(全40巻)の完訳完成を祝って、各界の篤志家の協力を得て、1928年に創立された。逍遙は、周知のとおり、早稲田大学教授を務めた教育者である一方、シェイクスピアの翻訳、『当世書生気質』など小説や『桐一葉』『牧の方』などの戯曲の創作でも活躍した。広く東西の演劇資料を収集するという演博の基本方針は、創立者のこうした幅広い活動を反映している。限られた分野での演劇資料を収集する博物館はあるが、分野を問わず演劇資料を収集・保存し、また展示活動や講演会などを行っている演劇専門博物館は、演博の他にはないであろう。面積としては約1500平方メートル。展示に割けるスペースはそれほど大きくはない。しかし、国の内外からの演劇人や演劇ファンからの援助、協力を得て、80年間にわたって蓄積した博物資料や図書資料は膨大なものである。こうした資料が、展示という晴れの舞台に備えて、収蔵庫に眠っている。

時代の証言、企画展『現代演劇シリーズ』の10年

 演博では、創立70周年を迎えた1998年から、3階の廊下部分で企画展「現代演劇シリーズ」を開催してきた。関連の演劇講座やシンポジウムなども実施している。現代演劇を担う集団やグループの離合集散には激しいものがあり、すでに消滅してしまったところもある。そうであればなおのこと、舞台を思い出す手掛かりが演博に残っていることは、演劇ファンにはありがたいことであろう。

 この10年間に取り上げられた劇団、グループを試みにピックアップしてみる。大駱駝艦、花組芝居、劇団3○○、第三舞台、こまつ座、青年団、自由劇場、こんにゃく座、南河内万歳一座、加藤健一事務所、キャラメルボックス、惑星ピスタチオ、ク・ナウカ、劇団太陽族、扉座、錬肉工房、山の手事情社、MONO、燐光群、遊園地再生事業団、流山児★事務所、コンドルズ、木冬社、劇団黒テント、演劇企画集団THE・ガジラ、維新派……。これらの劇団(グループ)は、1960年代から90年代にかけて、多くは80年代に成立した。筆者は残念ながらすべての劇団の舞台に触れえたわけではないが、見聞するかぎりでも、それぞれの劇団(グループ)が、独自のメッセージや人物造型、空間処理などを通して、独特の「気」を送っていることを確認できる。そして、ここ半世紀足らずの時代と社会の証言として、われわれがどんな時代に生を享けているか、どのような矛盾や問題を抱えた社会に生きてきたか、振り返ることができる。

現代演劇シリーズ演劇講座 維新派パフォーマンス(2008年5月小野講堂にて)

本文執筆中の2008年8月初めの時点では、「維新派」展がそろそろ終わりに近づいている。関西を本拠に活躍する維新派は、「ヂャンヂャン★オペラ」として知られ、その壮大な野外劇は独特の舞台空間を作る。今回はコラージュなどの実演を合せて、首都圏の演劇ファンにも舞台の一端を知ってもらえた。ほかにも永井愛の二兎社、2007年10月に活動を停止した木村光一の地人会、すでに開場10年を過ぎた新国立劇場など、今後紹介したい企画は山ほどある。

現代演劇の再発見—「イプセン没後100年記念フェスティバル」の事例—

 一昨年になるが、2006年は『人形の家』や『幽霊』で知られる「近代演劇の父」ヘンリック・イプセンの没後100年に当たる年だった。その業績を偲ぶ催しが日本を含め、世界各地で催された。早稲田大学でも11月に「イプセン没後100年記念フェスティバル—我々にとってのイプセン—」が開催された。ノルウェー王国大使館、日本演劇協会、国際演劇協会(ITT/UNESCO)日本センターとともに演博も主催団体に名を連ね、日本におけるイプセン研究の中心として活躍してこられた毛利三彌氏(当時成城大学教授)を中心に、内容を2年がかりで練り上げた。その結果、河竹登志夫(早稲田大学名誉教授)、小松弘(早稲田大学教授)、エロール・デュルバック(カナダ・ブリティッシュコロンビア大学教授)の各氏による講演3本、ノルウェーの女優ユーニ・ダール氏による一人芝居『イプセンの女たち』、『波高き日』(1917年 無声映画)・『人民の敵』(2005年 英語字幕)などの映画上映2本、毛利氏を進行役としてイプセン劇を最近上演した演劇人がパネリストとして登場するシンポジウムが実現した。イプセン受容100年の歴史は、日本の演劇の歩みを回顧することでもある。

「イプセン没後100年記念フェスティバル」チラシ

 この大きな企画を推進しながら、感じたことが三つある。

 その一つ目は、日本では古典として敬遠されがちなイプセン劇が「現代劇」のアクチュアリティを失っていないと実感できたこと。前年の2005年に来日したドイツの劇団・シャウビューネによる『ノーラ(人形の家)』(トーマス・オスターマイヤー演出)も思い起こされる。夫と子供たちを残して家を出て行く原作の結末とは違い、シャウビューネのノーラは夫を射殺する。初演当時の衝撃を現代に回復しようとする野心的な舞台だった。上に挙げた「現代演劇シリーズ」の劇団にあっては、それぞれの中心となる作家(演出家)の書き下ろし作品が世に問われることが多いだけに、パネリストとなった安西徹夫氏や坂手洋二氏の演出になる『ロスメルスホルム』(演劇集団円)・『民衆の敵』(燐光群)、そしてオスターマイヤー演出の『ノーラ(人形の家)』(シャウビューネ)などが古典との付き合い方を示す貴重な試みと思われた。

 二つ目は、シャウビューネ上演にも見て取れるところだが、日本国内で海外の演劇に触れる機会が近年は飛躍的に増加している。一方、日本の演劇人が海外公演を行うことも稀ではなくなってきた。言語文化圏を超える越境性が、能や歌舞伎のみならず、現代演劇にも認められる。今後、さまざまな意味での越境性が現代演劇にさらに浸透していくことと思われる。

フェスティバルより—ユーニ・ダール氏による一人芝居『イプセンの女たち』—

 三つ目は、「記念フェスティバル」などの企画を実現していく上で、演博の占める位置である。演博は、大使館や演劇関係機関、演劇人、研究者の連絡を取るのに、きわめて都合の良い位置にある。2006年当時、演博の研究プロジェクト「演劇の総合的研究と演劇学の確立」が文科省の「21世紀COE」プログラムとして採択されており、イプセン研究者が「記念フェスティバル」に積極的に参加できた事情も大きかった。大きな企画を充実させるには、資金面でも人材面でも運営面でも協力できる組織連携が必要である。その点において、演博は事務局としての機能を発揮できる位置にあると思われる。

60年代演劇再考—現代演劇の行方を視野に

「60年代演劇再考」チラシ

 最後に、演博の今後の企画の中から、お勧めを一つ挙げておきたい。「現代演劇」を考える場合、1960年代後半の状況は重要である。1968年のパリ「五月革命」に象徴される政治状況、変革の演劇を求める動きは、演劇の変革をも不可避的に招来し、それらを「政治の季節」の中に出現させた。演博を研究拠点とするグローバルCOEでは、40年前の演劇的事件を今日の視点から問い直す「国際研究集会・60年代演劇再考」を、10月17日から19日まで3日間にわたって開催する。ゲストにラ・ママ実験劇場のエレン・スチュアートを招聘し、講演には安藤紘平、大笹吉雄、岡田利規、唐十郎、菅孝行、九條今日子、佐伯隆幸、佐藤信、扇田昭彦、蜷川幸雄、萩原朔美、別役実、堀切直人、宮沢章夫氏ら、現代の演劇・映像の第一線で活躍する方々にお出でいただく。演劇ファン必見の企画である。ついでながら、ご存じない方のために演博のことでもう一つお伝えしておくと、公開している上演記録データベースで、日本国内の1945年以降の「現代演劇情報」が検索できる。研究者や学生のみならず、創造の現場にいる演劇人にも、一般演劇ファンにも利用できる。ぜひアクセスしていただきたい。

演劇博物館デジタル・アーカイブ・コレクションより「現代演劇上演記録データベース」
http://www.enpaku.waseda.ac.jp/db/enpakujoho/

早稲田大学坪内博士記念演劇博物館
http://www.waseda.jp/enpaku/index.html

秋葉 裕一(あきば・ひろかず)/早稲田大学教授 早稲田大学坪内博士記念演劇博物館副館長

1947年生まれ。早稲田大学文学研究科博士課程退学。共著に『ドイツ演劇・文学の万華鏡』(同学社)・『日本思想の地平と水脈』(ぺりかん社)、共訳に『ブレヒト作業日誌 上・下』(河出書房新社)など。