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世阿弥発見100年−吉田東伍と『世阿弥十六部集』−

佐藤 和道/早稲田大学坪内博士記念演劇博物館助手

佐藤 和道(さとう・かずみち) 早稲田大学坪内博士記念演劇博物館助手 略歴はこちらから

 今からちょうど100年前、ハルビンで伊藤博文が暗殺され、両国に国技館が建設された明治42年。この年の2月、当時早稲田大学教授であった吉田東伍(よしだ・とうご)博士によって1冊の本が刊行された。『能楽古典 世阿弥十六部集』と題されたこの本は、それまで謎に包まれ伝説上の人物とされていた世阿弥という人物の姿を初めて世に知らしめたのである。

歴史家吉田東伍

【吉田東伍肖像(吉田文庫所蔵)】

 吉田東伍は1864年(元治元年)新潟県北蒲原郡保田村(現 阿賀野市保田)に旗野木七の三男として生まれた。ほぼ独学で小学校教員となり、新聞社社員などを経て歴史研究への道を歩むことになる。「落伍生」のペンネームで数々の論考を発表した後、明治26年には、初の著作『日韓古史断』を刊行し、次第に歴史家吉田東伍の名は世に知られることとなっていった。

 さらに東伍は、日本にはまだ統一した地誌がないことに気づき、日本の地名に関する辞書の作成に着手する。これが構想から完成まで足掛け13年をかけた『大日本地名辞書』である。本書は、古代から近代にいたる様々な歴史史料を基に、地名の起源やその変遷について考察するもので、文字数1200万字、辞書に引かれた項目は4万を超え、原稿の厚さは5メートルにも及んだと言われる未曽有の大事業であった。こうした東伍の業績が評価され、明治34年には東京専門学校(現早稲田大学)の講師として教壇に立つこととなった。

能楽の復興と研究

【『禅竹集』原稿(演劇博物館所蔵)】

 ところで、室町時代に端を発する能楽は江戸時代には幕府の式楽となり、役者は幕府や藩などから与えられる扶持によって生活していた。そのため、明治維新によって幕藩体制が崩壊すると、能役者はそれまで与えられていた俸給を失い、さらに維新の混乱によって上演の機会を奪われることになった。その結果、多くの能役者たちが代々の技芸を捨てることとなり、能は壊滅的な打撃を受けたのである。

 そうした危機的状況を目の当たりにし、能楽の復興事業に乗り出したのが、池内信嘉(いけのうち・のぶよし)である。俳人高浜虚子の実兄として知られる池内は、能楽の盛んな松山に生まれ、幼少より能に親しんだ環境で育った。明治35年、池内は私財を投げうって上京すると、能役者養成のための機関である能楽倶楽部を立ち上げた。さらに雑誌「能楽」を刊行し、広く全国の同好の士を募って能楽復興への助力を呼び掛けた。池内の努力は徐々に実を結び、復興の機運も次第に高まっていくことになる。 そうした状況の中、池内は、早稲田大学の坪内逍遙、高田早苗らと図り、能楽に関する研究の場として「謡曲文学研究会」を立ち上げる。明治37年10月23日に開催された第一回研究会には、久米邦武(くめ・くにたけ)、芳賀矢一(はが・やいち)、東儀鉄笛(とうぎ・てつてき)、五十嵐力、ノエル・ペリ、伊原敏郎など各界を代表する研究者が集められた。池内はその時の様子を、著書『能楽盛衰記』に、以下のように記している。

 此時後の方に控へた頭の毛の蓬々(ぼうぼう)と延びた大男が衡(つと)立ち上り、「今日御提出の問題の内に久世舞(くせまい)の起り迄といふ事がありますが、其の起源についてご説明が承りたい」と言ふ。一座顔を見合せて答へる人がない。(中略)高田会長が「なにさう厳格な起源論ではないのだよ。曲舞は能には関係が深いから、それでこゝに書いたまでさ」と軽く言はれると、其大男は微笑を漏(もら)したまゝ席に復した。はて不審な人よと思ったが、誰あって進んで矢面に立たれなかったこそ道理、これこそ後に此の研究会の大立者となられた吉田東伍君で、歴史の大家であるといふ事を後に知り得たのであった。

(池内信嘉「能楽盛衰記」)

 東伍は当時早稲田大学史学科の中心人物であり、『大日本地名辞書』の業績などですでに「歴史の大家」として一目置かれた存在であった。その反面、それまで能楽や芸能に関する論考を発表したことはなく、周囲の人々は東伍にそうした知識があるとは思っていなかったようである。しかし『大日本地名辞書』編纂などによってつちかわれた歴史に関する広範な見識は、能楽研究に対しても十二分に通用するものであった。その後東伍は、能の歴史的研究に興味を抱き、続々と論考を発表していく。

世阿弥発見

 明治41年、東伍は、国学者小杉榲邨(こすぎ・すぎむら)の手元にあった『申楽談儀(さるがくだんぎ)』を翻刻・紹介している。『申楽談儀』は世阿弥の芸談を子息の元能(もとよし)が書き留めたもので、大成期の能について具体的に知ることができる貴重な資料であった。この本を読んだ安田善次郎(やすだ・ぜんじろう)は、自身の蔵書中に同様の伝書があることに気づき、東伍にその旨を報告した。東伍が安田善次郎のもとに赴くと、そこには十六篇にも及ぶ世阿弥の能楽論書が存在していた。

 去る七月中旬、世子談儀の校注本を版行せしむるにあたり、予は其の欠失を惜しみて、心窃に他日の発見に期せる矢先、岡田紫男氏偶々来りて、世子の遺著発見を告げらる、曰く、近来旧藩華族某家の御払物あり、中に能の古書数帖ありしが、買人の手を経て、数日前に安田善之助氏の蔵架に帰せり、請ふ此の数帖を看よ、云々、予聞いて駭き、展玩暫時、果して珍実なり、乃、予は年来想望の空しからざりしを喜び、特に能楽道の為に慶幸に勝へざりき、而も当時、予は北越旅行の約あり、該書の細読に余暇なし、岡田氏と相別る、既にして八月下旬帰京、匆々能楽会に就いて、該書の借覧を乞ひ、繙閲再三、茲に自家の胸臆を記して、漫に数帖の序引に擬するといふのみ

(吉田東伍「世子完本ならびに花伝書能作書習道書等の発見」)

【文意】(去る七月中旬、「申楽談儀」の校注本を刊行した際に、惜しくも一部が欠損していたので、いつか発見したいと思っていたところ、岡田紫男氏が来て、世阿弥の能楽論書の発見を知らせてくれた。「最近、華族某家の旧蔵品の中に能の古書が数帖見つかったが、数日前に安田善之助氏の所蔵となった」とのことであった。見たところ、大変貴重な資料で、年来の望みが叶った思いであった。特に能楽界のためには素晴らしい発見であった。ちょうどその時は新潟旅行の約束があり、細かく調査することは出来なかったが、八月下旬に帰京したときに見ることが出来たのである。)

【執筆する東吾(演劇博物館所蔵)】

 能の大成者として知られる世阿弥は、二十篇に及ぶ能楽論書を執筆したことが知られているが、これらは秘伝書として、能役者や一部の権力者の手に秘蔵され、長くその存在が知られることはなかった。東伍がこの時発見した十六篇の伝書は、世阿弥以来およそ500年の間、限られた人々にしか見ることが許されなかったもので、伝説的な存在であった世阿弥の業績を明らかにする大発見であった。東伍は発見から僅か半年のうちに翻刻、校訂作業を行い『能楽古典 世阿弥十六部集』として出版している。その後、安田善次郎の手元にあった伝書は、大正十二年の関東大震災によってすべて焼失したため、その姿は、現在では『世阿弥十六部集』の中にうかがうことができるのみである。東伍が「能楽創始の根本史料」と記した如く、『世阿弥十六部集』は、能楽研究の第一級資料として現在でも高く評価されているのである。

 世阿弥伝書の発見以後も、東伍は能楽の歴史研究に力を注ぎ、大正4年には続編『能楽古典 禅竹集』を刊行している。また、能楽以外の芸能についても興味をもち、大正2年には、雅楽家東儀鉄笛とともに宴曲(えんきょく・早歌)の復元演奏を行った。宴曲は能の先行芸能の一つとされる鎌倉時代の歌謡であるが、東伍はこれらを含めた芸能全体の歴史を明らかにするというスケールの大きな研究を意図していたのであった。しかし、大正7年1月、病に倒れた東伍は、志半ばにして急逝してしまう。まだ53歳であった。

吉田文庫資料、本邦初公開

【『三道』(吉田文庫所蔵)】

 この3月、演劇博物館では吉田東伍による『世阿弥十六部集』刊行から100年を迎えることを記念し、「世阿弥発見100年」と題する展示を開催する。この展示では、博士の旧蔵資料を所蔵する新潟市の吉田文庫をはじめとした関係各所の協力を仰ぎ、吉田博士の業績を顕彰するとともに、これまでの能楽研究の進展を振り返る企画である。特に吉田文庫の資料は今回の展示が本邦初公開となる。このほか奈良県の生駒山宝山寺、法政大学能楽研究所、国立国会図書館、国立公文書館などの所蔵する世阿弥伝書を、一堂にご覧いただく予定である。この春にはぜひ演劇博物館に足を運んで頂き、600年前の世阿弥の姿に思いを馳せてみてはいかがだろうか。

・演劇博物館企画展「世阿弥発見100年—吉田東伍と能楽研究の歩み—」
2009年3月1日~25日(入館無料)

早稲田大学坪内博士記念演劇博物館

http://www.waseda.jp/enpaku/index.html

佐藤 和道(さとう・かずみち)/早稲田大学坪内博士記念演劇博物館助手

1980年生まれ。専門:能楽