早稲田大学の教育・研究・文化を発信 WASEDA ONLINE

RSS

YOMIURI ONLINE

ホーム > 文化 > 早稲田史学の祖 西村眞次—秋季企画展で生涯をたどる

文化

早稲田史学の祖 西村眞次
—秋季企画展で生涯をたどる

檜皮 瑞樹/早稲田大学大学史資料センター助手

 早稲田大学大学史資料センターでは、2009年9月28日(月)から11月8日(日)にかけて、「西村眞次と早稲田史学」というテーマで秋季企画展を開催しています。この企画展は、西村眞次の御子息であり、早稲田大学で教鞭をとられた西村朝日太郎氏より寄贈を受けた4000点余りに及ぶコレクションから、西村眞次の生涯と彼がその礎を築いた早稲田史学を紹介することを目的としております。

西村眞次について

西村眞次著『血汗』

日露戦争出征時の西村眞次(1905年頃)

 西村眞次は、1879[明治12]年三重県宇治山田市(現在の伊勢市)に、西村九三・のぶ子の二男として生をうけた。尋常小学校卒業後は、大阪で仕事をしながら私立の中等教育機関で勉学に励んだ。大阪時代の眞次は、『少年文集』『中学世界』などの少年・青年雑誌に多くの投稿文が採用され、文学青年のあいだで名声を博していたという。また、当時西村眞次は『早稲田講義録』を受講していたという。

冨山房で勤務中の西村眞次(1910年代前半)

 上京後は、新声社(新潮社の前身)や博文館で編集業務に従事していたが、1903[明治36]年に東京専門学校(現在の早稲田大学)文学部に入学した。在学中は坪内逍遙に師事したが、1905[明治38]年に日露戦争に応召し中国戦線に出征した(同年3月に卒業)。 除隊後は、小説を執筆し従軍経験を作品化した『血汗』などを発表していたが、1907[明治40]年7月に東京朝日新聞社に入社した。1909[明治42]年には冨山房に入社し、大町桂月の片腕として雑誌『学生』の編集者として活躍した。また、このころから本格的に歴史研究を始めている。

研究旅行での西村眞次(1941年)

 1918[大正7]には、母校早稲田大学文学部講師に招かれ、日本史・人類学の講義を担当した。その後、早稲田大学第一高等学院でも日本史の講座を担当しながらも、『安土桃山時代』(『国民の日本史』第8,1922年)、『大和時代』(『国民の日本史』第8,1922年)、『文化人類学』(1924年)、『日本古代社会』(1928年)、『人類学汎論』(1929年)、『小野梓伝』(1935年)、『大東亜共栄圏』(1942年)、『南方民族誌』(1942年)など60冊以上の学術書を発表した。1932[昭和7]には、『皮船』その他の業績に対して博士号が授与された。
一方、戦時色が強くなるなかで、眞次の学問も「自由主義的」であるとして官憲の弾圧を受け、1941[昭和16]年には『国民の日本史 大和時代』『日本古代社会』『日本文化史概論』の3冊が発禁処分を受けた。しかし、眞次は1943[昭和18]年に亡くなるまで、学術研究と後進の育成に全身を傾けた。

資料紹介

 「西村眞次関係資料」は総点数4000点を超える資料群であるが、そのなかから彼の学問に関係した資料を紹介する。

1.講義ノート

[講義ノート](坪井正五郎の講義「Lecture on costom in every country」)

 西村眞次が東京専門学校時代に作成した講義ノートが3冊遺されている。坪内逍遙「Conserning on Romanticism」、保科孝一の講義「Science of Language」、坪井正五郎の講義「Lecture on costom in every country」の3点である。坪内逍遙は学生時代の西村眞次の恩師であり、卒業後も交流を続けている。坪井正五郎は日本における人類学の第一人者であり、西村眞次の学問形成を考察する上で、学生時代の坪井との接触は興味深い。

2.日記・調査記録

[調査日記](樺太1924)

 彼の研究調査を知る上で貴重な36点の日記・調査記録類が遺されている。時期は1905[明治38]年~1913[大正2]年と、1924[大正13]年から1942[昭和17]年に集中している。特に後半の日記には、日々の記録とともに調査先で入手した名刺やチラシ、書簡などが貼り込まれており、彼の調査先での行動や人的交流をうかがうことができる。

3.書簡類

朝河貫一書簡(1939年1月15日)

 西村眞次関係資料には西村宛の書簡が約800点含まれている。これらの書簡からは、西村眞次の交友関係のみならず、彼の学問的な広がりや関係性を垣間見ることが出来る。よく知られた人物としては、早稲田大学の同僚である津田左右吉(歴史学・古代史)、東京専門学校の卒業生でイェール大学教授をつとめた朝河貫一(法制史)、日本における人類学の先覚者である鳥居龍蔵、在野の生物学(細菌学)や民俗学として有名な南方熊楠が挙げられる。

南方熊楠書簡(1927年4月28日)

 他にも、柳田國男、金田一京助、徳富蘇峰、佐々木信綱、大川周明などからの書簡が遺されており、彼の学問的交流とその広がりを知る手掛かりとなる貴重な資料である。

4.スケッチ

[スケッチ](An Irongot used by the Inu Fishers inhabiting Poromoshiri,Kurile Ids.)

 西村眞次は、研究調査のため日本国内にとどまらず、広く東アジアの各地に赴いた。調査の成果として多くのスケッチを遺しているが、特に彼が専門とした船舶研究に関するスケッチが、センター所蔵資料中にも多数含まれている。これらのスケッチは、研究素材として、また刊行物や学術論文の挿絵として使用されていたと想定される。

早稲田大学大学史資料センター秋季企画展 西村眞次と早稲田史学
会場
大隈記念タワー10階125記念室
開館時間
10:00~18:00
休館日
日曜・祝日
ただし10月12日(月)・10月18日(日)・11月8日(日)は開室
また10月21日(水)・10月22日(木)は全学閉鎖のため閉室
観覧料
無料
TEL
03−5286−1814
FAX
03−5286−1815
WEB
http://www.waseda.jp/archives/event/2009/200909nishimura.html