早稲田大学の教育・研究・文化を発信 WASEDA ONLINE

RSS

YOMIURI ONLINE

ホーム > 文化 > 気魄の能楽師 川崎九淵50回忌展によせて

文化

中尾 薫(なかお・かおる)/早稲田大学演劇博物館助手 略歴はこちらから

気魄の能楽師 川崎九淵50回忌展によせて

中尾 薫/早稲田大学演劇博物館助手

心を持て能の高上に至り至るべし

 「声よく、舞、はたらき足りぬれ共、名人にならぬ為手あり」(『花鏡』—「上手の感を知る事」)

 世阿弥の芸論『花鏡』では、芸の技量の上手さが、「名人」と同義語でないことを説く。このあと、世阿弥はむしろ芸は達者でなくても、心にて能をすれば上手と評されると続けるが、これはけして技芸を度外視したところに、この道の到達点を求めているのではない。芸の主になるものが心であると強調するためのたとえ話である。そして、技芸を習得したうえに必要な、その心のはたらきが、さらに無心(「無心の感」)に高上したとき、芸は名人の域をも越えて天下の名望を得る位へと高まるとする。

川崎九淵 肖像

 明治・大正・昭和と活躍し、名人と評され畏敬されていた川崎九淵(1874−1961)は気魄の人であった。その芸を評する「重厚峻厳(重みがあり、少しのゆるみもない)」「秋霜烈日(草木を枯らす秋の霜や、夏の強い日差しのように厳しい)」という言葉が、いずれも厳しさを強調しているように、気魄のすさまじさはいまだに語り草となっている。

往年の名人川崎九淵の逸話

九淵愛用 鼓胴

 素人ながら抜群の技量を持ち、幼いころから神童と噂された九淵(本名:利吉)は、明治維新の危機をかろうじて脱した能楽界において、なお手薄であった囃子方の養成をめざした池内信嘉のすすめで上京し、26歳にしてプロの能楽師としての人生をスタートさせた。能の家の出でないというハンデを、九淵(当時利吉)は不断の努力と芸にたいする厳しい姿勢、理知で乗り切った。九淵の芸への厳しさを語るエピソードにはことかかない。

 昭和27年、文化財保護委員会の企画で、能楽名人の名演を保存するため喜多六平太・野口兼資・観世華雪・櫻間金太郎(弓川)・松本謙三・島田巳久馬・寺井政数・幸祥光・川崎九淵・柿本豊次・観世元信・金春惣一の囃子を録音することになった際、気迫の芸術である能の雰囲気は、レコードでは採りきれないと関係者を困らせた。録音後も、自分の芸術を記録するためには、機械がもっと発達しなければいけないと豪語したという。

 九淵の遺した手帳には、以下のような標語が記されていた。いかに九淵が心を込めることを重要視していたかが分かるだろう。九淵の気魄を込めた舞台が、世阿弥のいう「心にてなす能」と重なりあう。

  • 一、曲がらを呑み込むで拍子の器用なる所を元へ立て、其上は気合にて打べし。
  •  
  • 一、意気天を衝き心は冷に判断すべし。
  • 一、相手方と軽重の心持符合せざる時は、先相手の心持に随ひ漸次に我信じたる位に導くべし。
  •  
  • 一、掛声に満身の精力籠る時は手を注意すべし、余り手こりては調子冴えず。
  • 一、謡悪くとも相当にアシラヒ置べし。
  • 一、仕損じは潔く忘れ、後にて取返す覚悟を特つこと。
  • 一、相手良きとて非常の期待を持て場に登ることある可らず、心弥猛にはやりて声は涸れ、諸事思ふ様にならず却而不出来になる事あり。相手の悪き時も独りにて引廻すといふ意を特つ時亦此弊に陥る。
  • 一、名人上手と相手の時は時々頭冷なるや否やを省るべし。
  • 一、舞台に出入する態度は、只何となくあるべし。鼓を構へては威儀堂々と凡ての気を呑み、凡ての聴覚を一身に引付ること、但し傲慢の態度にてはなし。

 いっぽうで、九淵の奏でる音は、透明だったという。シテからは「運びやすい(歩みやすい)」と評された。九淵自身も「癖のない鼓」と遠慮をこめて自讃する。厳しいだけ、気合いだけの気魄=心ではいけない。九淵の気魄は心を込めつつ昇華した、「無心」の域「天下の名望を得る位」に達していたのだろう。

川崎九淵50回忌記念展

九淵使用 大鼓 皮

 演劇博物館には、川崎九淵の遺品のいっさいが寄贈されている。九淵の遺品(囃子の伝書等)を継承すべき嗣子之靖が早世し、九淵没後、遺品の管理をしていた次女勝子氏が演劇博物館への一括寄贈を遺言したのである。1998年、九淵が手写しした大鼓伝書や、手付け(大鼓の楽譜)類が寄贈されたのち、不世出の名人九淵の貴重な資料を散逸させたくないという勝子氏ご意志は、令孫である川崎肇氏にも受け継がれ、2007年には九淵の日記が、2009年には九淵愛蔵の鼓胴があらたに寄贈された。今、演劇博物館の九淵コレクションは、いっそう充実したものになった。いまや九淵の出演した舞台を生で見、語り継ぐ人も少なくなっている。しかし、演劇博物館でこれからも保存される九淵ゆかりの品々が、後世の人々へ九淵の名人芸を語り継ぐすべとなるだろう。

 現在、演劇博物館では、新たに寄贈された品々のお披露目をかね、九淵の名人芸をしのぶ品々を展示中である。愛蔵の鼓胴のほか、九淵が気魄をこめて打った鼓の皮が展示されている。そこには、その気魄によってめり込んだひび割れがくっきりとみられる。大鼓の皮をととのえる道具類や、指皮をつくる道具類には、職人的こだわりをひしひしと感じるだろう。そのほか、九淵の愛用した文机、文具類、大正天皇の大典能で着用したと思われる素襖、舞台で着用した裃、次女勝子氏の綴る父九淵の言葉など、九淵の魅力を存分に味わっていただける展示となっている。

九淵日記

 なお特集コーナーとして、会期の前期(6月22日まで)は、昭和30年10月1日の〈関寺小町〉上演にまつわる品々が展示されている。金春流では、家元直系のものしか上演を許されない老女物の稀曲〈関寺小町〉を、弟子家の櫻間弓川が許されたというわけで、当時新聞各社で大きく報道された舞台である。九淵が3ヶ月間ほかの舞台を断って専念した、一世一代の〈関寺小町〉の申し合わせ(リハーサル)の一部を音声でも鑑賞いただける。このコーナーは、後期(6月23日~)より昭和31年の川崎九淵の引退紀念能の特集コーナーに替わる。ここでは、九淵のこれまでの偉業に敬意を表し、多くの賛同人(白州正子、武智鐵二、野上彌生子、高浜虚子など)が、記念パンフレットに寄稿した文章の自筆原稿などがあらたに展示される予定である。

関連演劇講座へのお誘い

 さらに、関連演劇講座として、近藤乾之助(シテ方宝生流)、金春惣右衛門(太鼓方金春流)、羽田昶(武蔵野大学客員教授)のお三方をお招きした鼎談も予定されている。近藤乾之助氏は、いわずとしれた宝生流の重鎮であるが、幼少の頃九淵に大鼓を習っていた。金春惣右衛門氏は、九淵と共演経験があり、囃子の理論家でもある。当代の名人お二人と、近現代の能楽にくわしい羽田昶氏という豪華な顔ぶれで、九淵の名人芸を存分に語っていただく。展示と合わせて、御覧いただきたい。

演劇博物館企画展 能楽大鼓方 川崎九淵50回忌記念展「よみがえる名人の芸—愛蔵の鼓胴を中心に—」

会場:早稲田大学坪内博士記念演劇博物館 六世中村歌右衛門記念特別展示室
会期:2010年5月22日(土)~8月2日(月)

早稲田大学坪内博士記念演劇博物館

関連演劇講座
2010年6月23日(水)15:00~16:30
早稲田大学小野記念講堂

中尾 薫(なかお・かおる)/早稲田大学演劇博物館助手

1978年生まれ。大阪大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。専門は日本文学、能楽。