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大島 幸代(おおしま・さちよ) 略歴はこちらから

「江戸時代の文人画 荻泉堂コレクション受贈記念」展
—日本人が夢想した中国—

大島 幸代/會津八一記念博物館助手

 緑色濃く目にまぶしい初夏、會津八一記念博物館では「江戸時代の文人画 荻泉堂(テキセンドウ)コレクション受贈記念」展を開催いたします。季節さながらの清々しく爽快な絵画の数々を展示します。

 このコレクションをなしたのは、荻泉堂こと故小林克弘氏です。小林氏は昭和13年(1938)に甲府に生まれ、教師になってほしいという親の期待をよそに、20歳の時に古美術商の業界に身を投じました。およそ10年間の厳しい修業時代を経て、駿河台に店を構え独立したという、気概の人です。生前は、本業である古美術商を営みながら、一方で文人画の研究にも熱中し、研究会や勉強会を熱心に開催しました。また、江戸時代の文人画を中心とする書画作品を数多蒐集したことでも知られます。この荻泉堂コレクションは、氏の没後、そのご遺志によって当館に寄贈されることになり、今夏、精選した30点余りの文人画作品を展示する運びとなりました。

 さて、荻泉堂コレクションは有名無名、国内外を問わず、江戸時代に日本で活躍した作家に広く目が注がれています。中には伝世する作品が希少な作家も含まれています。ここで、幾つかの作品を紹介しておきましょう。

 

 まずは、方西園(ほうせいえん)の「菊花叭々鳥図(キクカハハチョウズ)」です。作者の方西園は中国江南出身、本職は画家ではなく、貿易船の乗組員でした。商用でたびたび日本を訪れていたようで、この「菊花叭々鳥図」もその折に描かれたものと考えられます。絵の中に目を転じてみましょう。黒々とした叭々鳥が二羽、画面の上下に向かい合って描かれています。まず目をむくのが、その画力です。細かな所では、羽毛の質感表現。柔らかいけれども、表面にうっすらと油を含んだ羽毛の様まで、しっかりと表現されています。大きなところでは、白い紙の上に配された二羽の叭々鳥と樹木・草花の構図の妙。すっきりと清々しい絵に仕上がっているのは、この構図に理由の一端があります。

方西園「菊花叭々鳥図

 この叭々鳥(ははちょう)ですが、ムクドリの仲間で、中国・東南アジアに生息しています。全身漆黒の羽毛に覆われ、翼の中ほどには白い斑点があります。美しい声を持ち、人語も解することから、中国では古来、飼鳥として親しまれてきました。絵画では、栢・杏の花・霊芝などと組み合わされ、長寿を願う吉祥画のモチーフとして好まれました。日本でも、日本には生息しない鳥であるにもかかわらず、室町時代以来多くの画家たちによって愛好され、描き継がれてきました。主に中国から輸入された絵画の模写などによって、彼の地に生きる叭々鳥のイメージを獲得してきたのです。

 方西園は中国の人です。おそらく叭々鳥も直に目にしていたでしょう。日本人が描く空想の中の叭々鳥が、カラスとよく似た風貌で描かれたのに対し、西園の叭々鳥は確固たる観察眼によって写し取られた姿となっているのです。

 つづいて、鄭培(テイバイ)の「扇面蟹図」。今回出品する作品の中で一番爽やかな味わいの作品です。薄く青の刷かれた地の上に、一匹の蟹と秋の草花が、いずれもつつましやかに描かれています。野菊の赤紫の小花が、蘆の葉蔭にのぞいています。落款には、鄭培がある秋の日に、長崎の宿舎にて描いたことが記されています。作者の鄭培については詳しいことが分かっていません。享保十六年(1731)に長崎に来日し、以後の日本の絵画界に多大な影響を与えた沈南蘋(しんなんぴん、1682−?)の弟子と伝えられます。南蘋の渡航に従い来日したとも言われています。

 この蟹の画題ですが、叭々鳥と同じく中国では古くから吉祥図の画題として好まれてきました。この扇面作品のように、蟹と蘆を組み合わせた作品は中国でも日本でも人気がありました。では、何を願ったかというと、中国最難関の官僚試験である科挙試験に合格すること、それによって名声が世にとどろくことでした。つまり、立身出世の願いが託されていたのです。ただ、本作では、人間の欲深さをさらっと隠してくれる爽やかな画面にまとまっています。

鄭培「扇面蟹図」

 最後に、浦上春琴筆「倣諸家山水図帖」(ほうしょかさんすいずじょう)をとりあげましょう。浦上春琴(うらがみしゅんきん、1779−1846)は、画家の浦上玉堂の長男として生を受け、脱藩した父と共に諸国を遊歴し、京都にて活動した画家です。在世当時は父よりも著名な画家でした。生涯を通して、中国画の蒐集や学習に専心しました。その成果がよく表れているのが、本作です。五代から明に至る中国絵画の八大家―董源、米芾、黄公望、呉鎮、倪瓚、王蒙、沈周、文徴明—の筆法に倣って描いた山水図八枚を貼り合わせた画帖です。八枚目の山水図の落款から、本作が文政四年(1821)、春琴四十三歳の時、冬の冷たい雨の降る日に描かれたことが分かります。その様を窓の外に眺めながら、春琴が真摯に中国画を学ぶ様子が浮かんできます。

浦上春琴「倣諸家山水図帖」

 日本人にとって、中国は異質の文化をもつ異国ではなく、同質の文化をもつ目指すべき理想の国でした。このことはあまりにも長い時間、日本の人々に抜きがたく意識されてきたのです。江戸時代までざっと計えても1500年ばかり、中国にむけた憧憬の眼差しの上に生まれてきたのが日本の文人画です。そもそも文人画とは、中国士大夫の余技としての絵画を指す言葉です。当然ながらその担い手は職業画家ではありませんでした。江戸時代の日本の人々は、中国士大夫の姿勢としての文人画と、そうした絵画に表れる様式としての文人画という、双方向からそれを受け容れたことで、独自の発展を志向するようになりました。

 とはいえ、常に中国の存在を頭の片隅に置きながら、中国の画を学び、中国の文物や大地を夢想しました。荻泉堂コレクションの文人画にも、江戸時代の人々が夢見た中国のイメージが溢れています。日本的に消化されてしまったが故に、彼の地の広大なスケール感をまったく感じさせない作品や、逆に異質さを誇張するあまり、実際の中国の景より、より一層奇怪さの増した作品など、様々です。今わたしたちは飛行機に乗って、早ければ2時間ほどで中国の地に降り立つことができ、実際の中国を直に目にすることができます。しかし、江戸時代の人々は中国に憧れながら、伝えられた文章や絵によってそのイメージを膨らませるしかなかったのです。そこで生まれた現実と夢想のズレが、日本の文人画には溢ていて、それが可笑し味になり愛すべき味わいになっているのだと思えてなりません。

 ぜひ本展に足をお運びいただき、その愛すべき世界をご堪能ください。

江戸時代の文人画 荻泉堂コレクション受贈記念

会期:6月24日(金)~7月30日(土)
時間:10時~17時、入館無料 ※日曜・祝日は休館 ※7月18日(海の日)は開館
会場:早稲田大学會津八一記念博物館 1階企画展示室

大島 幸代(おおしま・さちよ)/會津八一記念博物館助手

1978年生まれ。2007年早稲田大学大学院文学研究科博士後期課程入学、2010年4月より現職。専門は美術史学(中国美術史、仏教美術史)。