早稲田大学の教育・研究・文化を発信 WASEDA ONLINE

RSS

YOMIURI ONLINE

ホーム > 文化 > 早稲田の群像とその資料——2011年度受贈資料展に寄せて

文化

早稲田の群像とその資料——2011年度受贈資料展に寄せて

伊東 久智/早稲田大学大学史資料センター助手

 早稲田大学大学史資料センターには、校友や大学関係者のみなさまから毎年数多くの貴重な資料が寄贈されています。それは例えば一枚きりの写真から、「資料群」と呼ぶのがふさわしいまとまりを備えた資料まで、実にバリエーションに富んでいます。さらに言えば、それは古くは東京専門学校(早稲田大学の前身)時代の資料から、新しいものでは寄贈されたその年の出来事を記録した資料まで、カバーする時代もまた様々です。

 そうした貴重な資料の数々を広く一般のみなさまにお披露目する機会として、大学史資料センターでは、毎年「受贈資料展」を開催しています。今年もその季節を迎え、昨年度——2011年度にご寄贈いただいた資料の一部を、「早稲田の群像とその資料」と題して展示させていただくこととなりました。以下ではその目玉資料を中心に、「受贈資料」の世界をご紹介いたします。

[写真①]演説中の浅沼稲次郎

 はじめにご紹介するのは、早稲田大学出身の政治家・浅沼稲次郎(1898−1960)の直筆原稿です(原田三代治氏寄贈)。三宅島に生まれ、学生社会運動、そして農民運動の闘士として名を馳せたその人は、戦後、人々から「ヌマさん」と親しまれる政治家へと成長します。その彼が、17歳の少年・山口二矢の兇刃に斃れた1960年——今回ご寄贈いただいた「早稲田の野党精神」と題する原稿は執筆されました。

 その中で浅沼は、「父は慶応義塾の理財科か医科に入れといふたが、私はこれに反抗して私を歩ませたのは自由の学園早稲田大学である。政界で活動して居る早稲田先輩の姿は私を早稲田に呼んだのである」として、第一次大戦後における学生社会運動の内実を生々しく、しかしとても懐かしそうに回想した上で、最後を次のように締めくくっています。

何れにしても在野精神、批判精神が早稲田の建学の精神である。然し時代は動く〔。〕学校の創立者大隈侯は内閣を組織し、卒業生石橋湛山氏も内閣を組織した。早稲田大学も愈々時代の指導権を握る時代が来て居ると思ふ。

[写真②]浅沼稲次郎直筆原稿「早稲田の野党精神」(原田三代治氏寄贈)

 実はこの原稿は、当時、大学生協でアルバイトをしながら早稲田大学に通っていた寄贈者の求めに応じて寄せられたものでした。「早稲田の学生服を着た田舎出の苦学生の依頼に快く玉稿を提供してくれました」とは寄贈者のお言葉ですが、この資料の来歴そのものが、大衆政治家・浅沼の温容さをよく物語っていると言えるのではないでしょうか。

 次にご紹介するのは、1923年当時、早稲田大学理工学部の建築科に在籍していた一学生が遺した「関東大震災写真帖」です(伊藤美奈子氏寄贈)。冒頭に「この写真帖は余のとりしものと大石君のとりしものと路上で購入したものを后日のため集めたり」と墨書されているように、震災の被害をとらえた様々な写真を貼付した小型のアルバムとなっています。その凄惨な写真もさることながら、この資料の中で私たちの目を引くのは、その末尾に記されている震災当日(9月1日)の手記です。

[写真③]猪瀬誠継「関東大震災写真帖」(伊藤美奈子氏寄贈)

[写真④]写真帖末尾に記された9月1日の手記

 その日、義兄宅で昼食の準備をしていた筆者を、突如地震が襲います。

芋を煮るため芋を切ってをった時ガタット家が動き出したのだ。外に出ようとしたが脚が〔も〕つレて歩けない。地震だとその時に感じた。四つんばいになってやっと庭に出たがヤネから瓦が落ちて来たので庭つづきの空地に出ようとしたが足がスクワレて歩けない。ケン々々してやっと空地に立っているカシの木にたどりついた。附近の家から煙がモウ々々と出始めた。火事だと思ったが声が出ない。(※句点を補いました)

 幾度も余震が続く中、筆者は外出中だった姉を心配しながらも、まずは自らの寮へと足を向け、そこで「子供の時から地震の時ハ竹ヤブに入れと親から云はれてをったことを思出して雨戸をハヅして竝べてそこにしばらくをることに」しました。やがて日が暮れ、付近の住民たちも空き地に集まってきます。商売を営む人たちの好意で食事が提供され、姉が無事であることも確認できました……

 このような緊張感に満ちた筆致は、東日本大震災を経験したばかりの私たちには、より一層のリアリティをもって迫ってきます。本展で言うところの「早稲田の群像」とは、浅沼稲次郎(あるいは同様に資料を展示させていただく安部磯雄、永井柳太郎、津田左右吉など)のような「有名人」のみを指しているのではなく、こうした言わば「無名」の一学生をも含むものであるということを、一言申し添えておきたいと思います。

 このほか今回の展示会では、昭和17(1942)年度東京六大学野球秋季リーグ戦の優勝記念ボールや、その翌年に行われた所謂「最後の早慶戦」の記念写真(森美代子氏寄贈)、さらには時代を遡って、東京専門学校時代の卒業生であり、その後茨城の地方政界に活躍した小田部藤一郎にまつわる資料群(小田部龍雄氏寄贈)なども展示しています。戦地への出征を前に白球を追いかけた選手の一人一人、そして今は知る人も少なくなってしまった戦前の地方政治家。彼らもやはり「早稲田の群像」です。

[写真⑤]「最後の早慶戦」(1943年)(森美代子氏寄贈)

[写真⑥]小田部藤一郎肖像(小田部龍雄氏寄贈)

 また、「早稲田の群像」という範疇からは外れますが、一風変わった資料として、大隈講堂の建設に先立って募集された設計図案集などというものもあります(安田貞世氏寄贈)。その中からご紹介する受賞作品の数々は、惜しくも採用とはならなかった言わば「幻の大隈講堂」の姿を私たちに伝えてくれます。現在の大隈講堂の姿と見比べつつ、もしこの作品が採用されていたら……と想像を膨らませていただければ幸いです。

[写真⑦]大隈講堂競技設計図集より(一等当選作品)(安田貞世氏寄贈)

 以上は、今回展示させていただく資料の一部に過ぎません。スペースの関係上、展示することが叶わなかった資料も多くあります。しかしご寄贈いただいた資料は、展示という用途以外にも、今後、大学の年史編さんやレファレンス業務のために活用させていただくこととなります。寄贈者のみなさまにあらためて御礼を申し上げるとともに、今回の展示会を通じて、より多くのみなさまに「受贈資料」の豊かさをお伝えすることができればと願っています。

 最後になりますが、大学史資料センターでは、早稲田大学の創立者である大隈重信及び早稲田大学関係資料(運営資料・教職員資料・学生資料など)の収集・整理・保存・公開を継続的に進めています。もしご自宅等に眠っている資料がございましたら、軸物・書翰、写真・アルバム、手帳・ノートなど、その内容を問わず、まずはご相談ください。

早稲田大学大学史資料センター

http://www.waseda.jp/archives/

2011年度受贈資料展 早稲田の群像とその資料
期間:
2012年6月22日(金)~8月5日(日)
会場:
早稲田キャンパス 大隈記念タワー10階 125記念室
時間:
10時‐18時
閉室:
日曜[但し7月16日(祝)・8月5日(日)は開室]
主催:
大学史資料センター
問い合わせ先:
03−5286−1814

伊東 久智(いとう・ひさのり)/早稲田大学大学史資料センター助手

1978年生まれ。早稲田大学大学院文学研究科博士後期課程を経て、2011年4月より現職。専門は日本近現代史。