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渡部 大語(わたなべ・たいご) 略歴はこちらから

早稲田大学お抱え書家の30年

渡部 大語/早稲田大学嘱託書家、書道研究途上社代表

 私が早稲田大学に入職したのは、大学が創立100周年を迎えた1982年6月のことでした。100周年記念関連の仕事が多くなったのと、前任の方が老齢となられたのでその後任に、ということで私に声がかかったのです。

 約1年間、前任の方と一緒に仕事をさせていただきましたが、その仕事量は、想像をはるかに超えていました。

 当時、子どもと大人合わせて50人ほどの弟子がありましたが、早稲田の仕事と両立するのは無理と感じ、弟子は全て友人に委ね、入職半年後に常勤嘱託として勤務することになりました。

 それから約30年間、早稲田大学のお抱え書家として過ごしてきて思うことなど、ここに少しく述べてみたいと思います。

「お手洗い」から「名誉博士学位記」まで

 入職した当時、所属事務所には今では考えられない大型のワードプロセッサが一台、ほとんど使用されないままデンと据えられていました。コピー機も青焼きや、匂いのキツイもので、お世辞にも美しいコピーとは言えない代物でした。従って、掲示物のほとんどは手書きとなるわけで、今でこそ書かなくなった「お手洗い」など、ちょっとした掲示物も沢山揮毫したものです。

学位記を手にする李健煕サムスン会長(左)

 それらは少しの緊張もなく書けたのですが、対照的に今でも緊張を伴うものに「名誉博士学位記」があります。受領者は、各国大統領、国王、皇太子、ノーベル賞受賞者、国連事務総長、各国大学学長等々錚々たる方々です。それに加えて、表紙は校章を刺繍した緞子、中表紙は柄物の唐紙、そして文字を書くところは高級料紙で胡蝶装に仕立ててあるものに揮毫するのです。通常の感謝状や賞状のように、間違ったら気安く書き直すわけにはいかず、書き損じるわけにはいかないというプレッシャーを感じるわけです。

 1982年に初めて揮毫したジェームズ・ウィリアム・フルブライトさん以来、100人を超える方々の学位記を揮毫しましたが、最善を尽くしたとはいえ、満点の出来だと胸を張れるものはなかったなぁーというのが実感です。

学生の目を意識して揮毫する立て看板

 筆耕業務には、感謝状・賞状・学位記等々、さまざまなものがありますが、大きな業務の一つに、年間約700件以上依頼のある看板揮毫があげられます。

 キャンパス内に掲出される立て看板は、学生の目に止まる機会が最も多い私の「書」です。勿論、教職員の目にも入るわけですが、書き手の私としては学生の目を意識して揮毫することが多いのです。つまり、学生たちが看板を見て「参加したいな」「観たいな」などという思いを抱くように、催し物の内容に相応しい書体書風を以て揮毫するのです。

 学生が入学後に初めて目にする看板は「早稲田大学入学式式場」という特大看板です。恐らく大多数の学生は、早稲田大学に入学するまで、「木簡隷(もっかんれい)」という書体・書風を元に揮毫したこのような文字を目にすることは無かったことでしょう。この看板には「大学には、この書のように、これまで見たことのないものや行なったことのないことなど、たくさんの〈初めて〉がある。それを大いに学び楽しんで!」というメッセージを込めているのです。勿論、そんなことを感じる学生はほとんどいないとは思います。しかし、実際そういうことを感じてくれる学生が居たことも、ほんの数度ですがあったのです。

 先般田園調布のギャラリーで開催した私と写真家の二人展にも、早稲田を卒業したばかりの男性が、「学内の掲示物を見ていて、一度でいいから書いている方にお会いしたいと思っていました」と、私のブログでの情報を見て足を運んでくださいました。そういうことがあると、私の思いが学生さんに届いていたのだと、嬉しさがこみ上げてきます。全く以て、書家冥利に尽きるというものです。

左、入学式会場前 右、演劇博物館前

後世に残る石碑

 高知県宿毛市清宝寺内「小野梓案内碑」、宿毛市小野梓公園内小野梓胸像横ブック型「小野梓顕彰碑」、総合学術情報センター内「安部球場跡地記念碑」、大隈講堂前「早稲田の栄光歌碑」、14号館前「杉原千畝顕彰碑」等々、永く後世に残るであろう仕事もさせていただきました。

 後世に永く残るということは、書家にとってはこの上なく嬉しいことであります。と同時に、下手なものを遺せないという思いを起こさせることでもあり、遺せば末代までの恥ということなのですが、それだけにやりがいのある仕事でありました。

 創立100周年記念事業の一つとして1986年に建立された清宝寺境内の「小野梓案内碑」除幕式には、はるばる宿毛まで参りました。揮毫者紹介の折、まだ35歳の若き美青年(笑)が揮毫したことへの驚きの声と、よい書だという称賛の言葉を頂戴し、感激したことは忘れられない思い出であります。

 創立125周年記念式典を目前にした2007年10月5日に除幕式が行われた「早稲田の栄光歌碑」は、理工学術院教授の古谷誠章先生がデザインされた柔らかなフォームの石碑です。先生からは「私のデザインした形にふさわしい温かみのある文字を書いていただいて、有難うございます」との言葉を頂きました。また、作詞者の岩﨑巌さんからも「私の詞をこんな素晴らしい字で書いていただき有難いことです」と仰っていただきました。これもまた書家冥利に尽きる言葉でありました。

左、小野梓案内碑 右、早稲田の栄光歌碑

記念品の書

 大学を訪れた外国の方に記念として差し上げるものや、外国出張の際のお土産などに持参する記念品に文字を揮毫することがあります。特に最近は、文字の入ったものが喜ばれるようで、漆器の文箱や銘々皿、そして扇子の文字など、立て続けに揮毫しました。

 また、平山郁夫記念ボランティアセンター設立10周年記念の、手拭いのデザインもさせていただきました。

 このように、私の書が品物となって多くの人々の手に渡って行って愛用されるということを考えると、これもまたやりがいのある仕事でありました。

記念品として作られた、扇子と手ぬぐい

私の書は、早稲田大学の文化の一つとなったのか?

 もう故人となってしまった、かつての上司Sさんが「渡部さんの書は、もはや早稲田大学の文化である」と言っていた、と伝え聞いたことがありました。その言葉は、私を目の前にしてのものではないので、お世辞ではない言葉として、私を大いに感激せしめたのであります。

 入職当初の馬鹿でかいワードプロセッサ1台であった事務所風景は、瞬く間に一人一台のコンピュータ風景に遷り変りました。それにしたがって手書きの筆文字の仕事は減っていくのではないかと思ったものです。

 しかし、コンピュータの普及や、奥島孝康総長時代の思い切った大学改革によって、大学業務や研究活動が活性化されるとともに、私の業務も多くなっていきました。

 立て看板など、私の書いたものがキャンパス内に設置していないことは、一年を通して無いことであり、早稲田の風景としてすっかり馴染んでいるように思えます。

 そのような状態をみますと、Sさんの言葉を素直に受け止めていいのかなぁ~と、Sさんの強面だけれど愛嬌のある笑顔を思い浮かべながら思っている昨今です。

渡部 大語(わたなべ・たいご)本名裕之/早稲田大学嘱託書家、書道研究途上社代表

【略歴】
1951年 山口県にて生まれる(直後島根に移住のため島根県出身と称する)。
1974年 書を志して上京し、駒井鵞静の内弟子となる。
1983年 毎日書道展「毎日賞」受賞。その後フリーとなり、個展等を主な作品発表の場として今日に至る。

【書暦】
=個展等=
1973
島根県松江市:県民会館
1988
東京銀座:かねまつギャラリー
1990
島根県松江駅前:ピノ
1993
埼玉県上尾市:市民ギャラリー
1997
東京銀座:鳩居堂四階画廊
1999
早稲田大学中央図書館
島根県立博物館
島根県安来市中央公民館
2000
東京銀座:鳩居堂三階画廊
2002
東京早稲田:リーガロイヤルホテル東京
東京白金台:ギャラリーはんなび
2006
島根県松江市:島根県立美術館ギャラリー
2009
東京東急百貨店渋谷本店8階工芸ギャラリー
2011
東京銀座:鳩居堂4階画廊
2012
東京田園調布:プライベートギャラリー Oran−j

=著 書=
『年賀状を楽しむ』(雄山閣出版)
『駒井鵞静遺墨百選』(天来書院)
『大五郎先生の 書の年賀状』(天来書院)