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藤井 慎太郎(ふじい・しんたろう) 略歴はこちらから

新しい演劇人<ドラマトゥルク>養成プログラム
 — 未来のアートマネジメントに向けて —

藤井 慎太郎/早稲田大学文学学術院教授

 私が現在、運営主任を務めている文学部演劇映像コースが中心となって構想した「新しい演劇人<ドラマトゥルク>養成プログラム — 未来のアートマネジメントに向けて —」が、平成25年度文化庁「大学を活用した文化芸術推進事業」として採択された。そのうれしい知らせを受けとってからまだ1週間も経たないうちにこの原稿を書いているところであり、このようなタイミングで本稿の執筆の機会が与えられたことに深く感謝している。

 今年度から文化庁が開始した本事業の目的は、「多様な文化芸術活動を支援する高度な専門性を有したアートマネジメント(文化芸術経営)人材について、実践的能力の向上等を含めた養成を推進するため、芸術系大学等による公演・展示等の企画・開催も含めた実践的なカリキュラムを開発・実施を支援するとともに、開発されたカリキュラムを広く他大学等に周知・普及させる」ことだとされている。私たちは、<ドラマトゥルク>を中心に据えた人材養成プログラムを構想したのであるが、ドラマトゥルクとは日本ではまだ演劇界においてさえ充分に理解されているとは言いがたく、一般の方々にはなおさらのこと耳慣れない言葉であろう。

 ドラマトゥルクとは、演劇の研究と現場を横断的に往復しながら、今日の舞台表現と社会を結びつける、演劇に特化したメディエーター(媒介者)、アートマネージャーだといえる。ドラマトゥルクはまずドイツ語圏の劇場制度において職業として確立したが、演劇の研究と実践との関係が緊密化するにつれて、英語圏や仏語圏においても定着しつつある。ドラマトゥルクは、一方では演出家の下で、上演されるテクストの意味(ドラマトゥルギー)およびその背景・文脈を深く理解し、観客と上演作品との出会いを組織し、他方では劇場・フェスティヴァルの監督の下で、社会において演劇が占めている位置、果たすべき役割に対する深い考察をもとに、劇場・フェスティヴァルの上演演目や教育普及活動の方針と内容を策定する存在である。将来的にその中からある者は劇場監督となり、演出家となり、劇作家となり、翻訳家となり、批評家となり、研究者となるような、そしてときに異なる立場の間を行き来するような、幅広い教養と深い専門知識を備えた演劇人として、私たちはドラマトゥルクという存在をとらえている。したがって、ドラマトゥルクの活動は、演劇の理論と実践、アートマネージメントの理論と実践とが高度な水準で交差する場所に位置づけられるものであるし、その養成のためのカリキュラムもまた同様に構想されている。

 さらに個人的なことをいえば、この企画を提案する背景には、10年以上前から早稲田大学で教え始めてからずっと、私自身が感じてきた一種の「矛盾」があった。私は、第一文学部演劇専修(後に演劇映像専修となる)の流れをくむ文学部演劇映像コースに所属し、演劇博物館が近年、文部科学省の複数の大型補助金を受けながら、力を入れてきた研究事業(21世紀COE、グローバルCOE、演劇映像学連携研究拠点など)にも深く関わる機会を得た。とりわけ、2期10年にわたるCOE事業は、早稲田大学全学に散らばっていた演劇・映像の研究者を結集させただけでなく、全国ひいては世界中の研究者を束ねる結節点ともなって、演劇・映像研究の発展に大きく寄与してきたと思うし、何よりもまず私自身が研究者として成長する機会をいただいたことに深く感謝している。

 しかし、そのことのみによって本学は「演劇の早稲田」と称されているわけではない。それは数多くの劇団が活発な活動を通じて築いてきた学生演劇の伝統のおかげでもある。早稲田大学は演劇界に多数の人材を輩出してきたが、これまで文学部でなされてきた教育は歴史と理論に傾きがちであって、実践者となることを志す学生に対する教育機会の提供は充分とは言いがたかった。さらにいえば、理論と実践との間の隔たりは必要不可欠な距離であると考える私にとって、理論と実践との距離をなくすことが問題であったのではなく(日本ではつい理論が実践にすり寄ることになりがちである)、両者の隔たりをより深く知ることを通じてこそ、両者の関係がより豊かなものになるのではないかと考えたのである。

 本プログラムは、書類選考によって参加者を少人数(20名程度)に絞った上で、現代演劇に関する密度の濃い学びの機会を提供しようとするものである。ゼロからすべてを教えるには圧倒的に時間が不足する以上、すでに一定程度、演劇に関する理論的な知識と実践の経験を有することを条件とせざるを得なかった。だが、作家・翻訳家、実践者、制作者、研究者など、演劇およびその隣接領域に関わる職に就いている/就こうとする者に広く門戸を開くことにした。その際に、学内者(在籍学生・卒業生)と学外者を同数程度としたのは、これによって緊張を保ちながら、相互に刺激し合い、切磋琢磨することができる場を提供することを考えたからである。

 本プログラムはさらに、全員が必ず参加するコア・プログラムと、希望者が自分の関心に応じて知識をさらに深めることができるオプショナル・プログラムから構成されている。コア・プログラムは9月に実施する2週間の集中講座、2月に実施する2週間の舞台創造実習からなる(社会人や地方在住者にとっても参加しやすいよう、短期間で完結させることを考えた)。9月の集中講座では、2時間を1コマとして1日3コマ、10日間で30コマ(60時間)分のメニューを用意し、上演作品とテクストの歴史と美学、文化政策の理念と課題、ドラマトゥルギーの実践的方法論などを取り上げて、今日の演劇とその条件を理解するための鍵をできるかぎり包括的に示す予定である。2月の舞台創造実習では、ノーベル文学賞を受賞したオーストリアの作家エルフリーデ・イェリネクの『冬の旅』という戯曲らしからぬテクストを素材として、プロの演出家・翻訳家・俳優との協働作業を通じて、創造のプロセスを実際に経験し、理論的な知識を実践へと移すことの意味を知ることになる。

 9月と2月の間に希望者が関心に応じて参加することができるオプショナル・プログラムとしては、テクスト研究プロジェクト、ドラマトゥルク/ドラマトゥルギー研究プロジェクト、文化政策研究プロジェクト、劇場実習、セミナー・ワークショップを用意する。3つの研究プロジェクトではそれぞれ、現代戯曲のドラマトゥルギー的特徴について、歴史的・現代的なドラマトゥルギーの概念と実践について、日本と諸外国の文化政策(劇場制度、芸術家支援制度、専門教育制度)の理念と現実について、調査と研究を行う予定である。さらに希望者は、フェスティバル/トーキョー、キラリふじみ、TPAM in Yokohamaなどの提携する劇場やフェスティバルにおいて、受け入れ担当者の監督・指導の下、インターンシップを行うことができる。

 講師には、日本のみならず世界の第一線で活躍する演劇人を迎える予定である。演劇の研究者・批評家などの論客はもちろん、日本を代表する劇場やフェスティバルの現場の第一線で活躍する実践家にも、協力を仰ぐ予定であるし、演劇や文化政策の研究者にも参加を仰ぎ、そうした専門家のなかで、実践を通じて(調査・研究も立派な実践である)、参加者は演劇を学ぶことになる。早稲田大学が、近年の研究事業を通じて培ってきた世界的人脈も最大限に活用し、国外においてドラマトゥルクとして活躍している人物やその育成に関わってきた人物を招聘して、ワークショップやセミナーを開催する予定である。本年度は、ドラマトゥルクを考える上で重要なドイツ語圏から、演出家クリストフ・マルターラーのドラマトゥルクであるとともにウィーン芸術週間というフェスティバルの現代演劇部門の責任者を務めてきたシュテファニー・カルプ、『ポストドラマ演劇』を著しただけでなく、フランクフルト大学のドラマトゥルギー学科で教鞭を執ってきたハンス=ティース・レーマンを招く予定である。

 このような豪華すぎるほどのプログラムが無料で提供できるのは、費用の全額を助成する文化庁の英断のおかげである。また、文学学術院(とりわけ文学部演劇映像コース)および他箇所の教職員のみなさん、学外の協力機関のみなさんの協力なしに、このような企画は成立し得ない。関係各位に深く感謝申し上げるとともに、意欲ある参加者のみなさんの応募を待つばかりである。社会において演劇が置かれた位置、課されている制約、果たしうる役割を自覚し、芸術としての演劇がなお持っている可能性に賭けようとする方々に強く参加を呼びかけるものである。

 プログラムの詳細および応募フォームは、7月15日頃より順次、文学部演劇映像コースウェブサイトwww.engekieizo.com に掲載されているので、ぜひ参照されたい。

藤井 慎太郎(ふじい・しんたろう)/早稲田大学文学学術院教授

演劇学、文化政策学、表象文化論。フランス語圏(フランス、ベルギー、カナダ)および日本を中心に舞台芸術の美学と制度を研究している。 共編著書に『芸術と環境 劇場制度・国際交流・文化政策』(論創社、2012年)、『演劇学のキーワーズ』(ぺりかん社、2007年)、Théâtre/Public, no.198, « Scènes françaises, scènes japonaises / allers-retours »(2009年)、論文に『カタストロフィと演劇 東日本大震災は何をもたらしたのか』(2012年)ほか。