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濱口 久仁子(はまぐち・くにこ) 略歴はこちらから

「木立に響く逍遙」—坪内逍遙生誕地における小さな顕彰の夕べ

濱口 久仁子/早稲田大学演劇博物館 招聘研究員

 毎年秋、坪内逍遙の生誕地、岐阜県美濃加茂市の小高い丘の上にあるみのかも文化の森/美濃加茂市民ミュージアムでは、山の端に日が落ちる時刻からささやかな音楽会を催しています。ミュージアムのエントランスホールは広々と開放的で、一面ガラス張りの向こうは深い森が佇んでいます。ほのかにライトアップされた木々を背景に、三年前から邦楽による逍遙作品を企画上演してきました。

 この機会に改めて過去四回の公演を振り返ってみたいと思います。

 第一回目の上演は2010年10月2日、サブタイトルは<シェイクスピアの世界>でした。メインとなる演目は坪内逍遙訳「ハムレット」から「To be,or not to be」(福原徹作曲)、ハムレットの有名なセリフの一節を取って名付けた委嘱作品です。実は創作邦楽には稀なことですが、この時までに既に4回も演奏されています。

 初演は2009年6月25日、坪内逍遙生誕150年記念を冠した第72回逍遙祭(早稲田大学小野記念講堂)で、笛(福原徹)と能(小早川修)によるコラボレーションでした。「ハムレット」は四大悲劇のひとつであり、セリフも膨大です。それを一つの楽器と一人の演者で上演しようというのですから、冒険には違いありません。しかしシェイクスピア作品の基底にある普遍性、古典芸能・邦楽の持つ底力、そして何より構成や作曲を担った福原徹氏、一人で何役も演じ分けた小早川修氏、両者の尽力によって見事に成立しました。加えて古典芸能という媒体に、古雅で的確な逍遙訳は誠に似つかわしいものでした。「ハムレット」の最後の科白<The rest is silence>の訳「餘は空寂」を聞き終えた後は、深い感動を覚えました。「ブラボー!」と誰かが声を上げてくれたことも記憶しています。

 さて、この上演を見ていた文化推進部の方が、この年のオール早稲田文化週間(現・早稲田文化芸術週間)での上演を提案してくれました。トントン拍子に話が進み、11月2日「逍遙と沙翁(シェイクスピア)の出会いー笛・謡・太棹三味線によるハムレット再生の試み」として再演の運びとなりました。この時は卒業生で女流義太夫三味線奏者として活躍中の鶴澤津賀寿氏にも加わってもらい、太棹の響きが加味されて物語の重厚感が増したのは嬉しいことでした。

 前置きが長くなりましたが、その後浜松市での上演を経ていよいよ逍遙生誕地での演奏の日を迎えました。この時は太棹三味線に代わって琴古流尺八(善養寺恵介)が加わりました。芸大出身の男性演奏家三人による「ハムレット」は骨太でありながら管楽器の震えるような音質が素晴らしいハーモニーでした。更に福原徹氏の笛製作を手掛けたことがあるという市内在住の笛師田中敏長氏も出演、笛に纏わる話を繰り広げ、地元参加者に好評でした。

 第一回目を終えて手応えを感じた私は、第二回目を目論見ました。シェイクスピアはもとより、逍遙には訳文・著作共々まだ殆ど紹介されていない名作が沢山あります。それをただ紹介していったのではその場限りで終わってしまいます。伝達手段そのものも価値が高く、その融合がまた新たな感動を生むということで、古典芸能による逍遙作品上演は意義あることに思えました。幸いなことに私自身の仕事の関係から邦楽・舞踊界に若干の知友がおりました。彼らに逍遙作品を創作・上演してもらおう、そして同時に各々が本来演奏している曲や楽器を紹介・解説・披露してもらうことを考えました。逍遙作品啓蒙と同時に、古典芸能の裾野を広げることも私にとってはもうひとつの希望でもあります。さっそく第二回目の選定に入りました。

 第二回は2011年10月10日に行われました。美濃加茂市では過去に「近代劇場(逍遙訳シェイクスピアを専門に上演していた劇団)を中心として毎年沙翁(シェイクスピア)劇を上演していた時期がありました。今回はその時一度も演じられなかった作品「ロミオとジュリエット」を上演してみようと思い立ちました。それも義太夫での演奏。ご存じのようにこの作品は家同士の対立が招いた悲劇と恋愛が絡み合った物語であり、後の「ウエストサイドストーリー」にも影響を与えた名作です。義太夫節特有の骨太の語り(竹本朝輝)と太棹三味線(鶴澤津賀寿)の重低音が紡ぎだすペシミズム、さらに笛(福原徹)の繊細で優雅な響きによって描かれる若い二人の恋愛、その二層構造を表現したいと考えました。義太夫本来の魅力も味わって頂くため「壺坂霊験記」の一部も上演し、義太夫節の解説や特有の扮装である肩衣も参加者に着てもらうなど、邦楽に親しんでもらうコーナーも設けました。逍遙訳の「ロミオとジュリエット」の義太夫仕立ては、やや難解であったかと思いますが、広く知られている物語ということもあって、興味深く聞いてもらえたように思いました。

 2012年10月21日の三回目の上演では、創作邦楽もさることながら逍遙の古典作品を生誕地で上演することも意義あること、邦楽の基本ともいえる長唄を紹介すること、耳で聞くばかりでなく目で楽しむことなど、過去のアンケート結果も考慮しながら、少し方向を変えることにしました。逍遙の舞踊作品で最も上演されているのは、長唄「新曲浦島」です。舞踊論「新楽劇論」の標本として壮大なスケールで描かれた作品ですが、現在は序幕の前の部分のみ上演されています。それまでの舞踊曲のように色模様が多く綴られたものではなく、叙景的な言葉で海の情景が描かれており、名曲として知られています。逍遙の舞踊に対する考えの一端を知ってもらうには最適と思われました。長唄は早稲田大学長唄研究会卒業生の精鋭の皆さん(福西進・橋本圭司・加藤絢子・有働久子)にお願いし、舞踊は逍遙作品を長年上演してきた若柳寶翔氏に出演して頂きました。雄大な海の風景を表現する音色と所作が一体となり、見ごたえのある舞台が展開されました。

 そして今年10月5日の舞台は「児童劇」を取り上げました。逍遙は家庭で身近なものを使って子供たち自らが演じる演劇を推奨していました。そのために多くの戯曲を著しています。訓話の要素も入っていますが、物語そのものも愛らしく親しみやすいものです。かねてからこれらがあまり知られていないのは残念に思っていました。これを地唄の作物(地唄は三味線音楽の一種、作物は軽妙で滑稽味のある作風)風にアレンジできないかと考えたのです。しかし地唄は音程も低くやや重いイメージがあります。そこで新内節での上演、江戸情緒豊かで粋で洒脱な浄瑠璃で児童劇を再生したら面白いのではないかと考え、以前からご縁のあった新内剛士氏にお願いしました。剛士氏が逍遙の「家庭用児童劇」の中から選んだのは「蝿と蜘蛛」、その選定・着眼点に非常に期待を持ちました。今まで殆ど表に出てこなかった作品だったのです。結果は大好評、軽妙な旋律に上調子(新内仲之介)が色彩を加え、大人も楽しめる洒落た邦楽が誕生しました。新内節の特色のひとつ<新内流し>も披露され、客席を演奏しながら歩く姿も喜ばれました。終演は夜九時近く、文化の森のある山の上は既に真っ暗で、参加者はそれぞれさざめきつつ夜の闇の中を帰路についていきます。その姿を見送りながら、私はいつも深い感謝の気持でいっぱいになります。

 早稲田大学と美濃加茂市は協定を結び、文化交流を行っています。その縁を結んだのは坪内逍遙。今年から演劇博物館もこの事業を後援しています。生誕地におけるその顕彰、そして逍遙の愛した古典芸能と逍遙作品の融合をこれからも微力ながら続けていきたいと願っています。

2010年「木立に響く逍遥」

2011年「木立に響く逍遥」

2012年「木立に響く逍遥」

2013年「木立に響く逍遥」

濱口 久仁子(はまぐち・くにこ)/早稲田大学演劇博物館 招聘研究員

早稲田大学大学院文学研究科修士課程修了。専門は日本舞踊。財団法人逍遥協会事務局長を昨年まで勤める。演劇博物館招聘研究員。立教大学異文化コミュニケーション学部兼任講師。