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中門 亮太(なかかど・りょうた) 略歴はこちらから

戸ノ内貝塚発掘調査成果報告展—平成の印旛手賀—

中門 亮太/早稲田大学會津八一記念博物館 助手

 早稲田大学文学部に設置されている考古学コースでは、正課授業である「考古学実習」の一環として、夏季休暇を利用して発掘調査の実習を行っています。2003年度からは、千葉県印西市の戸ノ内貝塚を実習地として調査を行ってきました。発掘調査は2010年度で一区切りを迎え、その後の整理作業を経てこの度、會津八一記念博物館で成果報告展を開催する運びとなりました。

戸ノ内貝塚の概要

(写真1) 戸ノ内貝塚発掘調査区と印旛沼(北から、2008年撮影)

 戸ノ内貝塚は、千葉県印西市(旧印旛郡印旛村)師戸に所在し、印旛沼北岸の標高約29mの台地上に位置します(写真1)。早稲田大学と戸ノ内貝塚の関わりは古く、故滝口宏教授(教育学部)が、昭和34、35年度に印旛沼・手賀沼干拓工事に伴う周辺遺跡の調査成果をまとめた『印旛手賀』の中で、縄文時代後期の貝塚として紹介しています。

 早稲田大学文学部考古学研究室では、「縄文時代後晩期社会を探る」という学術的な目的のもと、2004年3月の測量調査を皮切りに2010年9月まで計7次にわたり戸ノ内貝塚の調査を行ってきました。各年度の調査成果は、『早稲田大学大学院文学研究科紀要』などの学術誌上で発表してきましたが、本展覧会はその成果の集大成を広く公開する機会となります。

大型土坑と住居跡

 早稲田大学による調査成果として、縄文時代後期後葉(約3400~3200年前:註)の多数の大型土坑と、縄文時代後晩期(約3300年~3000年前)の住居跡を検出したことが特筆されます。

(写真2) 797号土坑遺物出土状況

(写真3) 住居跡および周辺からの出土遺物

 大型土坑は、径1m、深さ1.5mを超える大きな穴で、中からは完形の土器や、大きな土器片などが出土しています。土器は無作為に廃棄されたものではなく、意図的に壊して埋めたり、あたかも据え置いたかのような状況で出土したりしています(写真2)。そのため、この大型土坑は井戸や柱穴、貯蔵穴などの機能を持った遺構ではなく、土器を用いた何らかの祭祀を行っていた場所である可能性が考えられます。

 住居跡は、推定径5m×4.6mの楕円形のものと、長軸7.2m×短軸6.9mの隅丸長方形のものが入れ子状になっています。住居跡およびその周辺からは、土偶の破片や耳飾り、小型の磨製石斧など、日常生活では使用されないであろう特殊な遺物が多数出土しています(写真3)。また、住居跡の内側では、炉跡以外に被熱した地点を少なくとも6か所確認しており、通常の居住施設とはやや様相が異なるようです。

 縄文時代後晩期の千葉県では、径10mを超えるような大型住居が多数の遺跡で検出されており、入れ子状の構造や特殊遺物の出土、焼土の散布などが特徴的にみられます。このような大型住居は、生活の場ではなく、儀礼を行う場であったと解釈されています。そのため、早稲田大学が検出した戸ノ内貝塚の住居跡も、規模はやや小さいものの、大型住居と同じ性格を持った施設であったと考えられます。

 早稲田大学が調査した面積は、延べ198㎡と決して広くはありませんが、その中に多数の大型土坑が密集し、特殊な性格を持った住居跡が隣接しています。調査区は、台地の南東端に位置しており、集落の際であったと考えられます。印旛村教育委員会が1981年に行った調査では、早稲田大学の調査区の北西約80mの地点で、竪穴住居跡2軒が検出されており、こちらは居住のための住居であったと考えられます。そのため、縄文時代後晩期に戸ノ内貝塚に暮らした人々は、日常の居住空間とは離れた場所に、祭祀や儀礼を行う特別な空間を別に形成していたことが窺えます。

印旛沼周辺の縄文時代後晩期

 今回の企画展では、印旛沼を挟んだ対岸に位置する佐倉市井野長割遺跡、戸ノ内貝塚の北約8㎞に位置する印西市馬場遺跡の資料を併せて展示しています。両遺跡とも、戸ノ内貝塚同様に、大型土坑や大型住居跡が検出されています。大型土坑からは、完形土器や大型の土器破片が出土し、大型住居からは土偶や土版などが出土している点もよく似ています。また、いずれの遺跡でも集落の際と思われる位置で大型土坑が検出されており、遺構の配置も戸ノ内貝塚例とよく似ています。馬場遺跡では、大型土坑からも土版や耳飾りなどの特殊な遺物が出土しています。隣接する大型住居は縄文時代後期後葉に廃絶されており、大型住居と大型土坑の機能の別が曖昧になっていった可能性が考えられます。

戸ノ内貝塚発掘調査の思い出

(写真4) 展示室の様子

 今回の企画展のもう一つの目玉は、調査に携わった「人」です。戸ノ内貝塚の調査は、私自身、測量調査から関わったため、展示にまで携わることができたことは非常に感慨深いものがあります。展示室にならんでいる資料の裏には、測量から発掘、出土資料の整理、接合、復元など、約10年の地道な作業の積み重ねがあります。その主体を担ったのは、文学部考古学コースの大学院生・学部生であり、現在も最終的な報告書作成のため、多くの学生が協力してくれています。今回の展示では、勝手ながら学術的な成果の詳細は2014年3月に刊行予定の報告書に譲ることとし、調査の歴史を振り返ることに重きを置き、調査風景などの写真パネルを多く設置しました(写真4)。考古学研究の基礎である発掘ですが、その成果がこのように企画展として広く公開されるまでには、多くの人の手が携わっているのです。

 最初は補助的にと考えていた写真パネルですが、選定のために過去の調査写真を見返すうち、できることならここに写っているすべての人を出したいという想いが強くなりました。きれいなモノを見せる展示や、学術的な成果を前面に押し出す展示は、多くの博物館で行われています。しかし、今回のように調査の過程やそこに携わった人、雰囲気を展示することは、大学博物館ならではの展示であると、僭越ながら自負しております。写真パネルを通して、先の調査成果と併せて調査の様子や流れをご覧いただくとともに、生き生きとした学生の表情から、遺物発見時の喜びや興奮、発掘は楽しい!という雰囲気を感じ取っていただければ幸いです。そして何より、共に調査をした同期、先輩、後輩が足を運んでくれ、当時を懐かしんでもらえれば、本企画展を担当した者として、これ以上の喜びはありません。

註:縄文時代の年代については、小林謙一2008「縄文時代の暦年代」『縄文時代の考古学2 歴史のものさし—縄文時代研究の編年体系—』を参照しました。

「戸ノ内貝塚発掘調査成果報告展—平成の印旛手賀—」

主催:早稲田大学會津八一記念博物館
協力:印西市教育委員会、印西市立印旛歴史民俗資料館、佐倉市教育委員会、早稲田大学文学部考古学研究室

【会期】
2013年11月15日(金)~2014年1月18日(土) 10:00~17:00(入館間16:30まで)
※日曜・祝日、12月18日、12月22日~1月5日、1月13日、1月14日は閉館。

【会場】
會津八一記念博物館1階 企画展示室

中門 亮太(なかかど・りょうた)/早稲田大学會津八一記念博物館 助手

1982年生まれ。2009年早稲田大学大学院文学研究科博士後期課程入学、2011年4月から現職。専門は日本考古学、民族考古学。※著者画像は2009年の戸ノ内貝塚発掘調査時。