早稲田大学の教育・研究・文化を発信 WASEDA ONLINE

RSS

YOMIURI ONLINE

ホーム > 文化 > 荒川修作展の見どころ――「図式絵画」から「天命反転」、その先へ

文化

塚原 史(つかはら・ふみ) 略歴はこちらから

荒川修作展の見どころ――
「図式絵画」から「天命反転」、その先へ

塚原 史/早稲田大学會津八一記念博物館館長

1・會津八一記念博物館と荒川修作

講演する荒川修作

 早稲田大学會津八一記念博物館は、奈良美術史研究の先達で著名な歌人書家であった早大名誉教授會津八一博士のコレクションを土台に東洋美術・考古学・近代美術のミュージアムとして、旧大学図書館の由緒ある建築内に1998年に開設され、毎年各分野の企画展を実施しています。こうした経緯からも、これまで現代アートを取り上げる機会がなかったのですが、今年はようやく条件が整い、ABRF荒川+ギンズ東京事務所(代表・本間桃世氏)から版画作品を寄託いただいたことをきっかけとして、絵画・彫刻から建築まで国際的に活躍した美術家荒川修作(1936-2010)の回顧展「荒川修作の軌跡―天命反転、その先へ」を開催することになりました。荒川修作と早稲田大学との交流は当館オープンに先立つ1995年に始まっており、荒川は何度もキャンパスを訪れ、講演や討論などを通じて学生・教職員をはじめ多くの聴衆に深い感銘をあたえました。講演会の後で彼を取り囲む若い学生たちに真剣に語りかけるその姿は、今なお記憶に鮮やかです。

 荒川修作は1936年名古屋市に生まれ、1960年東京で前衛芸術運動「ネオダダ」に参加しながら独自の「棺桶」型立体作品を発表しましたが、61年末にはニューヨークへ移住してダダイズムの大御所マルセル・デュシャンの知遇を受け、生涯の伴侶マドリン・ギンズと出会って立体の平面図に文字や記号を配置した「図式絵画」(ダイアグラム)で注目され、70年代には「意味のメカニズム」(絵画と書物)で世界的評価を確立しています。90年代頃からは常識に挑戦して「死すべき定め」を逆転する思考実験「天命反転」の試みとして建築作品に着手し、ギンズとともに養老天命反転地、三鷹天命反転住宅などを実現しましたが、2010年にニューヨークで逝去しました。ギンズも今年初めに他界したため、今回の早稲田展にはメモリアルの意もこめられています。

2・作品紹介――図式絵画と天命反転

三鷹天命反転住宅 In Memory of Helen Keller

 本展覧会では、1階企画展示室の絵画・版画作品、書籍手紙など関連資料と2階常設展示室の建築プロジェクトのパネルなどを通じて、没後も多様な領域で影響力を発信し続ける知と美の巨人、荒川修作の軌跡をたどります。その中から特徴的な作品や展示を紹介しておきましょう。

 まず、荒川とギンズのキーワードである「天命反転」(Reversible Destiny)ですが、「人間は死にゆく者である」という常識への挑戦として「私たちは死なないことに決めた」と公言するようになる以前から、彼らは「死は時代遅れだ」(「意味のメカニズム」)と宣言していました。荒川の前衛アーティストとしての出発は木箱に布団を敷いてセメントの塊を置いた「棺桶」型作品だったので、ニューヨークでかたちをとった「棺桶」から「図式絵画」への変化からは、「天命反転」以前と以後という断絶があったように思えるかもしれませんが、「棺桶」作品の胎児状の石塊にはすでに死を乗り越える次元の予感があり、そこには矢印のような記号も描かれていました。

©荒川修作 LIVING ROOM

 図式絵画では、今回の展示作品「居間」(LIVING ROOM,1969)のように、3次元立体から2次元平面への位相の変換が読み取れますが、ダイアグラムは立体の平面図(見取り図)なので、そこからは不可視の立体のイメージが立ち上がります。ここで思い出されるのは、デュシャンの「影が3次元世界の2次元的射影であるなら、私たちが知っている3次元世界は4次元宇宙の射影である」という言葉です。「居間」でも、作者の視角は絵の平面の真上に位置していて、室内のさまざまな場所が多様な方向を示す矢印や書きこみで表示されています。n次元の影がn-1次元であるという発想を荒川がデュシャンと共有していたことを想い起すなら、このような手続きは、2次元平面の「居間」が3次元の現実としての「居間」の影(見取り図)であるばかりでなく、作品「居間」を見ている私たちの位置する3次元の場所もまた、その上部の4次元世界の影であることを、暗示しているのではないでしょうか。

 「上部」といっても、空間的な上部や時間的な前方ではなくて存在の異次元としての「上部」であり、経験的な知覚によっては認識できないので、それを直観するためには新たな着地点(Landing sites)への発想の転換が要求されます。やや飛躍した言い方をすれば、このような転換こそが、既知の次元では「常識」である「死すべき定め」を、未知の次元で「反転」して「死なないために」と読み替える未知の手続きにつながっていくのではないでしょうか。

©荒川修作 Through Shards of Between

 遠近法を伴わない平面の立体化とともに、荒川の図式絵画のもうひとつのきわだった特徴が文字や数字の多用であることは一見して明らかです。この種の手法には、文字やイメージを切り貼りするコラージュという先例があります。その最初の実践例はピカソが1912年に発表した《籐椅子のある静物》で、そこにはJOUという大きな文字(「新聞」JOURNALの一部)が描かれていました。とはいえ、図式絵画での文字の使用がコラージュと決定的に異なるのは、荒川がそれらを単なる記号ではなくて、意味作用を伝える重要な存在として用いていることです。

 荒川の場合、アルファベットによるメッセージがまさに「文字通りの意味」で作品の重要な構成要素になっていることは言うまでもなく、このことは、英語を母語とする詩人マドリン・ギンズとのコラボレーションなしには不可能であり、彼女との出会いが荒川を「棺桶」からダイアグラムへと向かわせる決定的な動機になったのでした。今回展示される図式絵画「間の破片をとおして」(Through Shards of Between,1977-78年)は、荒川が世界的評価を確立した後の(四十代の)作品ですが、二人の創造的な協働を反映しつつ彼らの実践の建築へといたる展開を予感させる貴重なタブローとなっています。

3・天命反転、その先へ

 その後、荒川修作はギンズとともに新たな次元での「天命反転」をめざして、身体と環境の未知の相互作用を生み出す建築モデルの実現に取り組み、「死に抗する建築」=「生命の構築」の創造を主題とするようになります。今回の展示では養老天命反転地(岐阜県)、三鷹天命反転住宅(東京都)、バイオスクリーブ・ハウス(ニューヨーク州)などの実例、それに、身体と共同体の多様な可能性の探求を通じて死を待ち受ける宿命を変える「天命反転都市」構想のプランをパネルで紹介します。荒川+ギンズ他界後、その先へ進むために私たちに何が出来るのか?この展覧会を機に、ぜひ真剣に考えてみたいものです。

 ちょうど百年前の大正3年、會津八一は門下生にこう語りかけていました――「日々新面目あるべし」。(荒川展に合わせて当館の名品、横山大観・下村観山「明暗」、前田青邨「羅馬使節」も特別公開され、アヴァンギャルドとクラシックの出会いが実感いただけます。)。

塚原 史(つかはら・ふみ)/早稲田大学會津八一記念博物館館長