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平岡篤頼と早稲田文学

朴 文順/早稲田文学編集室

 明治24年(1891年)に坪内逍遙によって創刊され、現在刊行される文芸誌のなかでも最古の歴史を誇る「早稲田文学」は、その123年の歴史のなかで幾度にもわたって休刊と復刊を繰り返してきました。「早稲田文学」の歴史は、前回市川真人准教授が「早稲田と文学と『早稲田文学』」に記していますが、今回は、そんな七転び八起きの「早稲田文学」で第八次「早稲田文学」(1976-1997年)の発行兼編集人を務めた故・平岡篤頼名誉教授のことに触れたいと思います。

平岡篤頼(1929-2005)

 平岡篤頼(ひらおか とくよし 1929-2005年)は早稲田大学文学部仏文科卒業後、同大学院文学研究科仏文学専攻博士課程修了。フランス文学者として早稲田大学で教鞭をとる一方で、バルザックやメリメといった19世紀のフランスを代表する作家の作品から、アラン・ロブ=グリエ、クロード・シモン、ナタリー・サロート等、実験的な文学として知られるヌーヴォー・ロマン(Nouveau roman「新しい小説」)の作品の翻訳の第一人者としても知られています。ノーベル賞作家クロード・シモン『フランドルへの道』の邦訳ではポール・クローデル賞を受賞し、おなじく今年ノーベル文学賞を受賞したパトリック・モディアノ『暗いブティック通り』、バルザック『ゴリオ爺さん』、ゾラ『ナナ』、メリメ『カルメン』、ナタリー・サロート『黄金の果実』、マルグリット・デュラス『ロル・V・シュタインの歓喜』、アラン・ロブ=グリエ『反復』など多数の翻訳を残しています。

 また、フランス文学の研究・翻訳にとどまらず、日本文学評論集して『変容と試行』、『迷路の小説論』、『文学の動機』などを著し、実作者としても小説「消えた煙突」と「赤い罌粟の花」がそれぞれ第87回、第90回の芥川賞候補作となりました。

平岡篤頼『記号の霙 井伏鱒二から小沼丹まで』(早稲田文学会)

クロード・シモン著 平岡篤頼訳『アカシア』(白水社)

パトリック・モディアノ著 平岡篤頼訳『暗いブティック通り』(白水社)

 第7次早稲田文学では、平岡の師にあたるアンドレ・ジッドの翻訳で知られる編集人・新庄嘉章教授のもと、早稲田大学出身の作家である高井有一、後藤明生、秋山駿らとともに編集委員として誌面の制作に携わってきました。第7次が新庄の引退とともに休刊すると(1975年1月号)、平岡が翌年の5月に第八次復刊に踏み切りました。

 それに先立つこと数年、早稲田大学文学部(第一文学部、第二文学部)では1966年の組織構成の改革によって、かつての専修別の入学制度を改め、2年間の教養課程の後に専修に進むことになり、その際にあらたに「作家・評論家・文学的ジャーナリストを志望する者に基礎的訓練を行なう」ことを目的に第一文学部では1968年、第二文学部では1970年に「文芸専修」(現在の文化構想学部 文芸・ジャーナリズム論系)が誕生しました。平岡氏はこの創設にも中心的存在としてかかわり、1970年から78年まで第一文学文芸専修主任を務めました。平岡氏のもと学んだ教え子には、栗本薫、堀江敏幸、小川洋子、角田光代らがいます。

 当時いずれも早稲田の学生であった、見延典子「もう頬づえはつかない」、三石由起子「ダイアモンドは傷つかない」、田中りえ「おやすみなさい、と男たちへ」などの作品を「早稲田文学」に掲載し、女子大生作家ブームを作ったと言われています。第8次早稲田文学では、編集委員制度を採用し、復刊当初は秋山駿、後藤明生、三浦哲郎といった中堅の文芸評論家、作家が編集委員を務めました。80年代に入ると、青野聰、荒川洋治、三田誠広、立松和平、福島泰樹ら30代の作家が中心となり、そのメンバーには中上健次や村上春樹も名を連ねました。毎月喧々諤々の編集会議が開かれ、国内外の先鋭的な作品が掲載されました。

第十次早稲田文学5号(2012)第24回早稲田文学新人賞発表号

 また、新人作家の発掘にはたいへん意欲的で、1984年に早稲田文学新人賞を設けました。同新人賞は、盛田隆二、まきの・えり、向井豊昭、大久秀憲、阿部公彦らを輩出しています。現在第十次の早稲田文学でも新人賞は引き継がれ、第24回早稲田文学新人賞を「abさんご」で受賞した黒田夏子は同作品で第148回芥川賞を受賞。現在マイケル・エメリックが選考委員を務める第25回新人賞が選考過程に入っています。

 没後、ご遺族による寄付をもとに「早稲田文学」で、若手作家による意欲的・実験的な創作作品の執筆と飛躍の支援を目的に「剣玉基金」が創設されました。基金の名称は、氏が生前にしばしば口にされていた「文学は剣玉である」という言葉からいただきました。第1回の剣玉基金による作品は、川上未映子の「わたくし率 イン 歯ー、または世界」(第十次復刊準備号「早稲田文学0」2007年)で、この作品は第137回芥川賞候補作にもなりたいへん注目を集めました。川上氏は同年に第一回早稲田大学坪内逍遙大賞奨励賞を受賞し、翌年「乳と卵」で第138回芥川賞を受賞。現代日本文学を牽引する存在となっています。

 そのような平岡氏の業績を記念して2009年長野県軽井沢町追分の氏の別荘の敷地内に「平岡篤頼文庫」が開設されました。
「2009年5月18日、平岡篤頼没後4年の命日にしてささやかな文庫を設立しました。(中略)この文庫にはフランス文学関係の原書、日本文学、翻訳書等が収めてあります。文学を志す若い方々のご活躍を生涯応援し、願っていた故人の気持ちがこの文庫を通して少しでも伝わればと願っての設立でございます。」とは設立時のご遺族の言葉です。

平岡篤頼文庫

 ガラスの碑には、氏の訳書より次の一節が刻まれました。

 「もう戻ってこれなくなるよ/そんなに早く上げてこないよ/それなら急いで行こう/向う岸にはなにがあると思う?/どこにも休まないでひとまわりしよう、そんなにかからないさ/もう戻ってこれなくなるよ/そんなに早く上げてこないよ。ひとまわりするぐらいの時間はあるよ」(アラン・ロブ=グリエ「帰り道」より 『新しい小説のために』所収)

講演の様子。好天の場合には庭で行われる。

 翌2010年の8月以降毎夏、平岡氏あるいは早稲田文学とゆかりの深い作家たちが講演を行っています。2010年には文芸専修で平岡氏に学んだ角田光代、2011年には同じく文芸専修の教え子である勝谷誠彦、2012年には「早稲田文学学生編集スタッフ募集 無給、夕食付」の張り紙に応募し平岡氏の面接を経て学生編集委員となり、後に編集デスクも務めた重松清、2013年には前出の黒田夏子がそれぞれ講演をし、平岡氏との交流や自身の文学について語り、毎回好評を博しています。また、早稲田大学在学中には学生編集委員として「早稲田文学」の編集に携わり、「海燕」や「野性時代」の編集長を歴任した教え子である根本昌夫が司会をつとめています。

今夏開催された堀江敏幸氏講演「霙の文学」

 そして今年の夏は堀江敏幸が「霙の文学」と題した講演を行いました。優れた翻訳者であり、フランス文学研究者であり、作家である堀江氏には、高校生の頃に、「文庫本と教科書でしか読んだことのない、文学的存在だとばかり思っていた」井伏鱒二が新作を連載するという文芸誌「海燕」が創刊され、早稲田大学に入学後、その続きを読むために購入した「海燕」に掲載された「消えた煙突」が意外にも平岡との初めての接点だったというエピソードや、アラン・ロブ=グリエの「ジン」講読の授業を受け、フランス語を一語一語訳しながら、ときに自身の小説や文学談義へと脱線していく豊かな時間の思い出を語っていただきました。

 平岡篤頼文庫は夏のあいだ、一般に公開されています(公開のくわしい日程などはホームページをご参照ください【平岡篤頼文庫リンク】)。
夏の散策を兼ねてぜひ訪れてみてください。

季刊化リニューアル号「早稲田文学 2014年秋号」(発行:早稲田文学会 発売:筑摩書房)全国書店にて好評発売中。次号第十次「早稲田文学 2014年冬号」は11月7日刊行予定

 そして、第十次早稲田文学は2008年の復刊以降不定期刊行を続けてきましたが、この夏誌面も大幅にリニューアルし、季刊化しました。

 今後の早稲田文学にもどうぞご期待ください。

朴 文順(ぱく・むんすん)/早稲田文学編集室

早稲田大学第一文学部文芸専修卒業。早稲田文学編集室勤務。