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貝澤 哉(かいざわ・はじめ)/早稲田大学文学学術院教授、「早稲田文学」編集人 略歴はこちらから

「早稲田文学」のなかの海外文学

貝澤 哉/早稲田大学文学学術院教授、「早稲田文学」編集人

 ご存じのように、私たちの雑誌「早稲田文学」はこれまで、日本の文学や批評の世界に数々の新風を送り込んできました。記憶に新しいところでも、2007年に掲載された川上未映子『わたくし率 イン 歯ー、または世界』が芥川賞候補作となり(川上未映子は翌年『乳と卵』で芥川賞受賞)、また2012年に早稲田文学新人賞に選ばれた黒田夏子『abさんご』は翌年の芥川賞の受賞作となっています。2011年の東日本大震災直後にはいち早く震災をテーマとする特集を組み、数多くの作家や批評家の発言を集めて言論界や出版界の注目を集めました。

 しかしもちろん「早稲田文学」は、日本の現代文学や批評だけに焦点を合わせているのではありません。私たちは近年、最新の海外文学の紹介や、海外の作家や批評家、出版社などとのコラボレーションにも力を入れています。

 たとえば、2008年の第10次復刊第1号からは、ノーベル文学賞受賞者でフランス・ヌーヴォーロマンの代表的作家クロード・シモンの作品で、濃厚な細密描写が圧倒的な大作『農耕詩』(芳川泰久訳)を連載しました。その後も、同じフランス・ヌーヴォーロマンの作家ミシェル・ビュトールの評論や、また現代ロシアで注目されている作家ウラジーミル・ソローキンの代表作『青脂』(単行本は『青い脂』望月哲男、松下隆志訳)も掲載しました。

第十次早稲田文学1号 同2号

 ソローキンはもともと、「コンセプチュアリズム」とよばれるソ連後期の非公式前衛芸術運動の出身で、既存の価値観や定型的な物語を模倣しながら、同時にそれを片っ端から破壊してゆく過激な作風で知られていますが、ドストエフスキイやナボコフのクローンが産み出す「青い脂身」を巡るスターリンやカルト集団の暗躍を描いたこの小説は、掲載が始まるやネット上で一部の読者の熱狂的支持を集め、単行本化されるや2013年のtwitter文学賞海外部門第1位に輝きました。またソローキン氏が来日した際には、早稲田大学で芥川賞作家の藤野可織さんを招いた公開対談をおこなって、その模様も2014年の「早稲田文学」第7号に掲載しました。同号には、ソローキンの最新作『テルリヤ』の一部も訳出され、また表紙には、篠山紀信撮影のソローキン氏の写真も使われています。

篠山紀信撮影のウラジーミル・ソローキンが表紙を飾る
WBvol.29(左)早稲田文学⑦(右)

早稲田文学⑤

 そのほかにも「早稲田文学」では、海外文学紹介の試みを数多く行っています。2012年の「早稲田文学」第5号では、現在活躍中の外国文学翻訳者12人を集めて「十二人の優しい翻訳家たち」と題して、最近の海外文学のきわだった特徴について討議するとともに、現代アメリカを代表する作家ドン・デリーロの代表作で全米図書賞受賞作品でもある『ホワイトノイズ』(都甲幸治訳)、ゲーテ賞やヨーロッパ文学賞を授与されたオランダの作家でノーベル文学賞候補としてもしばしばその名をあげられるセース・ノーテボームの『儀式』(松永美穂訳)、ソ連末期に現れ瑞々しい文体で一世を風靡したタチヤーナ・トルスタヤが新境地を切り開き、大きな話題となった奇想天外なSF長篇『クィシ』(貝澤哉、高柳聡子訳)の連載を開始しました。

 その後も、アラン・ロブ=グリエの『もどってきた鏡』、ポーランドの作家オルガ・トカルチュクの小説や評論、チリの作家で近年日本でも読まれているロベルト・ボラーニョについての対談を掲載したり、ノーベル賞作家で南アフリカ出身のJ.M.クッツェーの最新作『イエスの幼子(おさなご)時代』(鴻巣友季子訳)や、2014年のカフカ賞受賞の中国人作家、閻連科の話題作『炸裂志』(泉京鹿訳)をいち早く連載開始するなど、つねに海外の新しい文学の動きに機敏に反応し、日本の文学シーンに新鮮な情報と話題を提供し続けています。

 この2014年からは、イギリス最大の文芸雑誌「グランタ」と提携し、共同編集によって世界各国の現代作家の短篇を集めた「GRANTA JAPAN with 早稲田文学」の刊行も開始しました。

GRANTA JAPAN with 早稲田文学01

早稲田文学 2014年秋号

 また、これまで数々の新人作家を世に送り出してきた早稲田文学新人賞の新しい選考委員として、アメリカの著名な日本文学研究者で翻訳家としても活躍されているマイケル・エメリック氏を迎え、現在応募作品の選考が進行中です。

 このように「早稲田文学」は、たんに海外の新しい文学を紹介するだけでなく、海外の文芸誌や文学者たちとのさまざまな形でのコラボレーションも積極的に模索しているのです。

坪内逍遙

 ところで、海外の文学と「早稲田文学」とのこうした緊密な関係は、じつは最近になって始まったことなのではありません。そもそも1891(明治24)年に坪内逍遥が「早稲田文学」を創刊した当初からこの雑誌は、当時の外国の文学作品や美学理論を紹介し普及させることをその重要な使命のひとつとしていました。実際、「早稲田文学」創刊号には、荘子の注釈や徳川文学、論理学の概説記事などに混じって、坪内逍遥による「シエークスピヤ脚本評註」が掲載されているのを見ることができます。明治期の日本では、このような海外の文芸、とりわけ西欧の文学や美学の摂取が急務であったことは言うまでもありません。逍遥の第1次「早稲田文学」では、この後も森鷗外の「シルレル伝」や逍遥自身の『マクベス』への詳細な注釈が長期間にわたって連載されるとともに、やがて海外文学紹介の専門欄も作られ、イプセンやユーゴー、ルナン、ラスキン、テーヌなどにかんする話題が取りあげられ、また当時のロシア文学の動きについての広範な概説も載せられていたのです。

 その後、日本の近代文学の成熟とともに「早稲田文学」は、いつしか海外文学の情報の紹介から、国内の作家、批評家たちの作品の掲載へとその重点を移していくことになり、第二次大戦後のある時期までは、外国文学の翻訳や情報がそれほど重視されなかった時代もありました。

「フィネガン徹夜祭」を掲載した第7次早稲田文学(1969年2月号目次)

 ところが、立原正秋を編集長として1969年に復刊された第7次「早稲田文学」では、鈴木幸夫、野中涼、柳瀬尚紀を含む六人の訳者の共同作業により、ジェイムズ・ジョイスの問題作『フィネガンズ・ウェイク』の翻訳が、『フィネガン徹夜祭』という題名で連載されはじめました。この作品は、世界中のあらゆる言語をちりばめ、言葉遊びや文法的破格を縦横に織り交ぜた文体を持った「意識の流れ」と呼ばれるジョイス独自の叙述法を最大限に生かした、神話と現実が交錯し合う実験精神に富んだ難解な小説であり、それまで日本語への翻訳は不可能とされていたものでした。「早稲田文学」がそうした作品の日本初翻訳に挑んだことは、当時の日本の文学界にとって大きな事件となりましたし、「早稲田文学」における海外文学の紹介の歴史を語るうえでも記念碑的な出来事だと言えるでしょう。

第9次早稲田文学 2003年3月号

第9次早稲田文学 2002年7月号

 第7次「早稲田文学」には、ほかにもこの当時世界的に紹介されはじめたロシア・フォルマリズムの翻訳や関連記事などもたびたび載せられており、この雑誌を閉じられたドメスティックなものではなく、世界の文学の動向にたいして開かれたものにしようとする編集部の意欲的な姿勢がはっきり感じられます。

 こうした編集姿勢はもちろん、以後の「早稲田文学」にも受け継がれており、私が最初に編集人の任にあたっていた第9次においても、2002年と2003年にフランス・ヌーヴォーロマンの大きな特集が組まれています。そこでは、アラン・ロブ=グリエの『反復』やクロード・シモンの『路面電車』といった新作(ともに平岡篤頼訳)や、初邦訳となったロベール・パンジェの『息子』(江中直紀訳)の部分訳など、ヌーヴォーロマンの最新の動きや未紹介の作品がフォローされているのです。

 こうした歴史を受け継いで、「早稲田文学」はこれからも海外文学の動向の紹介や、海外の雑誌や文学者とのコラボレーションを積極的に行って、読者のみなさんのご期待に応えていきたいと考えています。

最新刊「早稲田文学 2014年冬号」

貝澤 哉(かいざわ・はじめ)/早稲田大学文学学術院教授、「早稲田文学」編集人

早稲田大学第一文学部卒、同大学院文学研究科博士後期課程単位取得退学。2000年から2005年まで、2013年より現在まで「早稲田文学」編集人をつとめる。著書に『引き裂かれた祝祭』(論創社)、『再考 ロシア・フォルマリズム』(共編著、せりか書房)、訳書にナボコフ『カメラ・オブスクーラ』、『絶望』(ともに光文社)など。