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岡室 美奈子(おかむろ・みなこ) 略歴はこちらから

早稲田小劇場どらま館を新しい演劇文化の拠点に!

岡室 美奈子/早稲田大学坪内博士記念演劇博物館館長

 どらま館が帰ってくる!90年代に「どらま館」(正式名称「早稲田文化芸術プラザ どらま館」)として早稲田大学で演劇に携わる者たちに親しまれながら、2012年に耐震強度不足のため閉館となり取り壊されてしまった、あのどらま館が「早稲田小劇場どらま館」として再建された。しかも今回は教室扱いではなく、正式に演劇興業を打つことのできる「劇場」である。大学が劇場を持つことの意味は大きい。

 よく知られているように、どらま館の場所にはもともと「早稲田小劇場」があった。1966年、早稲田大学の演劇サークル「自由舞台」出身の鈴木忠志と別役実らは、新たに「早稲田小劇場」を旗揚げし、早稲田大学南門通り商店街にあった喫茶店モンシェリの2階を拠点とした。こけら落とし公演は別役実作『マッチ売りの少女』だった。別役は同作と『赤い鳥のいる風景』によって、第13回岸田國士戯曲賞を受賞している。早稲田小劇場は77年に鈴木らが富山県東砺波群利賀村(現・南砺市)に活動拠点を移し、利賀山房を開場して劇団SCOTとして活動を開始するまで、日本のアングラ演劇の中心の一つだった。そこでは白石加代子の怪演で伝説となった舞台『劇的なるものをめぐって』シリーズなどの傑作が生み出された。鈴木らが去った後、早稲田小劇場は森尻純夫氏の所有となり「早稲田銅鑼魔館」と名称を変え、やはり小劇場として幾多の演劇を生み出した。97年には早稲田大学が買い取り、「早稲田芸術文化プラザ どらま館」として学生による演劇公演の場として愛好された。銅鑼魔館時代から早稲田の学生演劇との結びつきは深く、閉館までのおよそ35年間に、ZAZOUS THEATER、拙者ムニエル、東京オレンジ、ポツドール、阿佐谷スパイダース、演劇倶楽部、劇団森、くるめるシアター、劇団てあとろ50’など、現在も活動している劇団を含め多くの劇団に活用され、早稲田の演劇文化を盛り上げた。現在舞台やテレビ、映画で活躍する堺雅人氏、三浦大輔氏、長塚圭史氏らもこの舞台を踏んでいるはずだ。しかし「どらま館」は正式な劇場ではなかったため入場料をとることができず、多くの場合、カンパという形でまかなわれた。

 再建される「早稲田小劇場どらま館」は劇場である。単なる大学の施設ではない。演劇が盛んで、数多くの演劇人を輩出しながら劇場を持たなかった早稲田大学がようやく持つ劇場なのだ。この劇場をどのように活用すべきだろうか。

写真提供:劇団SCOT

 旧どらま館が閉館してわずか3年のあいだに、学生演劇をめぐる状況も大きく変わった。もちろん早稲田大学は今も演劇が盛んだ。私のゼミに所属する学生たちのなかにも、毎年、役者であれスタッフであれ演劇に携わる者がいる。ところが公演を観に行くと、演劇研究会、いわゆる劇研の大隈講堂裏アトリエなどは健在であるものの、多くの場合、上演の場は学生会館の地下や外部のフリースペースのような場所で、「劇場」として登録されている施設ではない。学内には劇場がなかったし、外で劇場を借りるのは費用がかかり過ぎるから、当然と言えば当然だろう。しかし、そうしたスペースと「劇場」とは、根本的に異なる場所なのではないだろうか。

 演劇史を紐解けば、60年代のアングラ演劇はそれまでのプロセニアムアーチに縁どられた制度的な劇場を嫌い、テントや街頭など、演劇が成立する新たな場所を開拓した。けれど70年代にはつかこうへいが紀伊國屋ホールで公演を打ち、80年代の小劇場全盛時には今はなきジャンジャンやTHEATER/TOPSなどたくさんの小劇場があったし、紀伊國屋ホールがある種の「ゴール」として機能してもいた。90年代以降は本多劇場、劇小劇場、駅前劇場、スズナリらがある「下北沢」が若い劇団の一つの目標だった。近年は平田オリザ氏のこまばアゴラ劇場から巣立って行った若手劇団も数多い。それらはいかに小さくとも間違いなく「劇場」として演劇文化を発信してきた。そしてそこには劇場を愛してやまない熟練のスタッフたちがいた。劇場で芝居を打つとは、その劇場自体が持つ場のエネルギーに見合うだけの芝居をするということを意味する。劇場とはそのようなエネルギーを育み蓄積し、日常を非日常に転化する魔術的な場であったし、現在もそうであり続けていると思う。卑近な例で言えば、私が館長を務める演劇博物館はエリザベス朝時代のフォーチュン座を模して建造された建物で、屋外に前舞台を持っている。演劇博物館を訪れる俳優は、ほぼ例外なく、そこに立つことを望む。単にアジアで思いがけなくエリザベス朝時代の公衆劇場に出会ったという物珍しさだけではないだろう。誤解を恐れずに言えば、舞台が役者を呼ぶのである。

©西山円茄

 今の学生たちが、照明・音響設備を備え、料金もリーズナブルで手軽で使い勝手のよいフリースペースを好むのも頷ける。フリースペースや多目的ホールでの演劇上演もそれはそれでよいのだと思う。演劇の場が開かれていくのはよいことだし、演劇=舞台=劇場といった考え自体、硬直していると言われても仕方がない。それでも劇場という箱にこだわりたいのは、舞台には舞台の思想と力学があると思うからだ。舞台とはそこに演劇が構築されることを待っている空間である。そしてそこには演劇を愛し、演劇を知りぬいたスタッフがいるはずなのだ。早稲田小劇場どらま館もまた、そのような劇場を目指してほしいと思う。

 そして劇場はさまざまな文化が交差し、人が集うコミュニケーションの場でもある。2014年11月17日に早稲田大学小野記念講堂で早稲田小劇場どらま館起工記念イベントの一環として開催された「劇場をつくる・育てる―小劇場の未来のために」(演劇博物館企画)で、佐藤信氏(座・高円寺芸術監督)、宮沢章夫氏(遊園地再生事業団主宰)、平田オリザ氏(青年団主宰)は、劇場が「街」のなかにあることの重要性を説いた。また、2015年4月23日に大隈記念大講堂で竣工記念イベントとして開催された平田オリザ氏と鎌田薫早稲田大学総長との対談において、鎌田総長は早稲田小劇場どらま館を拠点の一つとして早稲田や新宿の演劇文化を盛り上げる夢を語った。早稲田の街が早稲田小劇場どらま館を中心として演劇文化の発信拠点の一つとなり、街全体の活性化と、新宿の、ひいては日本の演劇文化の発展に寄与しうるような、開かれた劇場のあり方が模索されるべきではないだろうか。稽古場や芸術監督や専門スタッフなど、解決すべき課題は山積みである。が、まずは学生たちに積極的にどらま館を使い、劇場で演劇を上演するという、ごく当たり前のことを経験してほしい。しかしそれだけではなく、外部の優れた舞台をどらま館の主催公演として招聘し、学生たちに見てもらいたいと思う。そこから刺激を受け、学生演劇のレベルアップにつなげて、早稲田の演劇のみならず、演劇の街・早稲田を大いに盛り上げてほしいと切に願う次第である。

岡室美奈子(おかむろ・みなこ)/早稲田大学坪内博士記念演劇博物館館長

1958年生まれ。早稲田大学文学学術院教授(文化構想学部表象・メディア論系所属)。アイルランド国立大学ダブリン校(ユニバーシティ・カレッジ・ダブリン)にて博士号取得。専門は、サミュエル・ベケット研究を中心とする現代演劇論と宮藤官九郎研究を中心とするテレビドラマ論。編著書に『知の劇場、演劇の知』(2005年)、共編著書に『ベケット大全』(1999年)、Borderless Beckett/ Beckett sans frontières. Samuel Beckett Today/Aujourd’hui 19 (2008年)、『サミュエル・ベケット!――これからの批評』(2012年)、『六〇年代演劇再考』(2012年)、『ベケットを見る八つの方法――批評のボーダレス』(2013年)などがある。