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「大隈重信展-早稲田から世界へ-」展に寄せて

星原 大輔/早稲田大学大学史資料センター

写真①:「大隈重信展—早稲田から世界へ—」展チラシ

 早稲田大学大学史資料センターでは、2003年より『大隈重信関係文書』の編纂事業に取り組み、早稲田大学図書館や大学史資料センターなど、全国の各機関が所蔵する大隈重信宛の和文書翰を翻刻して、『大隈重信関係文書』を刊行してきました。こうして膨大な一次史料を読み解いてきたことにより、大隈を中心とする人的ネットワークの諸相が浮かび上がり、さらに大隈と彼をめぐる人びとの知られざる動きがいろいろと見えてきました。

 今回、その成果の一環として、『大隈重信関係文書』に収録された書翰はもちろん、いくつかの史料や写真などを通して、大隈が残した足跡を紹介する展示会を開催します。

ここでは、その内容の一部を紹介していきたいと思います。

1 世界の道は早稲田に通ず-大隈重信の民間外交-

 大隈は死去するまで、現在の早稲田講堂近くにあった広大な邸宅で日々を過ごしました。ここには、内閣総理大臣、外務大臣をはじめとする要職を務め、また、早稲田大学を創設するなど、近代日本社会に大きな影響を与えた大隈との面会を求めて、毎日、多くの人びとが訪れてきました。例えば、1912(大正元)年の1年間で、約2万3千人も訪れたそうです。

 その中には、大隈邸を訪れる外国人の姿がしばしばありました。日露戦争時にイギリスで外債募集に尽力した高橋是清は、

侯が外国の賓客に尽された事も一通りや二通りではない、だから外客で侯に招かれないとか、其庭園を見ないとか言ふことは恥と思つてゐた。之がどの位外人に誇りを与へ又好意となつたか知れない、従つて日本の為めに非常に利益となつてゐる。

 と語っています。歴史の表舞台にはなかなか現れないですが、大隈の外国人との交際は、日本の対外関係に大きな影響を及ぼしていたのです。

 本展示会では、数多くの外国人訪問客のなかから、フランスの実業家であるアルベール=カーン(Albert Kahn、1860~1940)を取り上げています。カーンは、鉱山への投機で成功し莫大な財産を築き、世界平和の実現のためにいくつもの事業を起こしました。その一つが、「地球映像資料館」です。世界60カ国にカメラマンを派遣し、現地の日常生活や風俗、建物、自然などを、写真や映像に収めさせました。近年、その映像の一部がBBCで放送され、大きな反響を呼びましたが、日本も撮影対象国でした。

 1908(明治41)年に来日したカーンは、12月28日、カメラマンらを連れて、早稲田の大隈邸を訪ねています。大隈は、フランス大使をはじめ、高橋是清や大倉喜八郎ら財界の有力者、早稲田大学幹部らも招いて、午餐会を催しました。この時、大書院の軒下で参加者が並んで撮影した写真が残っています(写真②)。

写真②:「外国賓客を歓迎する大隈家」 1908(明治41)年12月28日

 大隈の左側で横向きに立っているのが、カーンです。この日、2人は約2時間にわたって、お互いの理想について語り合いました。大隈は、のちに「百万の味方を得た如き心地したと同時に、深く其立派なる思想に刺戟された」という感想を残しています(「外国人の刺戟」『大隈伯百話』収録)。また、カーンも大隈の理想に深く共感したらしく、早稲田大学に多額の資金を寄付し、カーンが選んだ「世界の五十傑」の1人として大隈に銀製の彫刻品を贈呈しています。

 なお、カーンが日本の遊戯を見たいと希望したため、この日、大隈は少女たちを集めて百人一首や鬼ごっこなどを見せています。そのカラー映像は、現在、アルベール=カーン美術館に残っていて、歩く大隈の姿もそこには収められています。

 このほか、清国末期の政治家である康有為(1858~1927)が大隈に送った肖像写真や、大隈の死を悼んだ自筆の書幅、また、中国革命の父と称されている孫文(1866~1925)が、1913(大正2)年2月25日に大隈邸を訪問した際に撮影された写真なども展示しています。

2 東西文明の調和融合―大隈重信の文明運動―

 大隈はさまざま文化的事業に取り組んでいます。その一つが、早稲田大学以外の私立学校への支援です。 日本の私立学校を代表する早稲田大学を育てた大隈のもとには、新規の教育事業を志す人びとが協力を求めてやって来ていました。例えば、山口出身の鳥尾小弥太は、統一学社を創立する際、大隈に出資を依頼すると共に、「早苗(ママ)田学校は殆んど私立学校の模範」と述べ、早稲田との提携も懇願しています(写真③)。こうした求めに応じて、大隈が創立準備や運営に関わった学校機関は数多く存在します。

写真③:鳥尾小弥太書翰 大隈重信宛 1903(明治36)年1月9日付

 本展示会では、同志社大学や日本女子大学のほか、女子学院(現在、女子学院中学校・高等学校)との関わりを紹介しています。初代院長の矢島楫子(1833~1925)は、現在残っている史料によると、1894(明治27)年8月、甥である徳富蘇峰の紹介状を携えて、初めて大隈のもとを訪ねています。これ以降、彼女が会頭を務めた日本キリスト教婦人矯風会に多額の寄附金を出したり、同会が主宰する園遊会を大隈邸で催したりと、大隈は矢島の活動を積極的に支援しています。こうした関係もあってか、女子学院の行事にもたびたび招かれていたようです。矢島が大隈夫妻に卒業式への出席を依頼した書翰(1901(明治34)年3月26日付)や、卒業式当日に撮影された集合写真を展示しています(写真④、大隈の右に一人おいて座っているのが矢島楫子)。

写真④:「女子学院高等科卒業式」 1911(明治44)年

 このほかにも、南極探検計画発表演説会(1910(明治43)年7月5日)の写真、筑波大学付属図書館が所蔵する『開国五十年史』編集日誌など、大隈の文明運動の様相を伝える貴重な資料や写真を展示しています。

3 日本近代史の至宝―大隈重信関係文書の来歴―

 大隈のもとにあった膨大な資料が遺されたお蔭で、私たちは当時の様子をいろいろと知ることができます。こうした資料は、どのような経緯で受け継がれてきたのかを、いくつかの資料を通して紹介しています。

 大隈は1922(大正11)年1月10日に亡くなりました。それから約2ケ月後の3月2日、綾子夫人との間で、次のようなやりとりがあったことが、市島謙吉の日記に記されています(市島謙吉撰「双魚堂日誌」24、早稲田大学図書館所蔵)。

未亡人〔大隈綾子〕より老侯〔大隈重信〕の蔵に係る重要書類少からす、右は焼棄すべきや否、若し伝記の材料に供せんとならは取捨整理ありたしと、特に余に相談あり。余は漫りに焼棄を不可とし自ら整理せんことを申出づ。

 この時初めて、大隈邸に大量の貴重資料が存在することが分かり、これ以降、市島が中心となって資料整理が行なわれました。その後、その大部分が早稲田大学に寄贈され、現在、早稲田大学図書館に「大隈文書」として所蔵されています。これ以外にも譲り渡されたところがあったらしく、1928(昭和3)年には、大隈家から大隈との縁が深い19名に、大隈宛の書翰が10数通ずつ進呈されていました(早稲田大学大学史資料センター所蔵「昭和参年九月 進呈書簡目録」)。

 この事は、関係者以外にはほとんど知られていませんでした。しかし、今回『大隈重信関係文書』を編纂する過程で分かり、高田早苗、市島謙吉、塩沢昌貞、中野礼四郎、増田義一が譲り受けた資料が、現在、早稲田大学図書館と大学史資料センターに所蔵されていることが判明しました。 本展示会では、約90年前に大隈家から分かれたこれらの資料を一堂に揃えています。特に、高田に譲り渡された資料は、今回、初めて展示されます。大隈宛の書翰が貼りこまれた巻子もさることながら、それが収められていた桐箱には、高田のほか、市島謙吉と會津八一の書き入れがあり、たいへん貴重な資料です。

 本展示会では、これ以外にも、伊藤博文から贈られた銀食器、大隈が収まっている写真など、普段なかなか見ることができない資料を並べています。皆様が、大隈という人物によりいっそう興味を持っていただき、また、近代日本の一側面を知る機会ともなれば幸いです。

早稲田大学大学史資料センター
http://www.waseda.jp/culture/archives/

2015年度秋季企画展 大隈重信展-早稲田から世界へ-
会期:2015年10月1日(木)〜11月8日(日)
   ※10月4日(日)・11日(日)・25日(日)/11月1日(日)・6日(金)は閉室
会場:早稲田大学 大隈記念タワー10階 125記念室
時間:10:00〜18:00 ※入場無料
主催:早稲田大学大学史資料センター

星原 大輔(ほしはら・だいすけ)/早稲田大学大学史資料センター

早稲田大学大学史資料センター嘱託 早稲田大学社会科学総合学術院非常勤講師。博士(学術)。専門は日本近代史。著書に『江藤新平と維新政府-明治草創期の国家形成に関する基礎的研究-』(2011年)、『佐賀偉人伝 江藤新平』(2012年)。