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近藤 二郎(こんどう・じろう)、
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早稲田大学エジプト調査50年に寄せて

近藤 二郎/早稲田大学文学学術院教授・早稲田大学エジプト学研究所所長

はじめに

図1:ジェネラル・サーベイ

 早稲田大学のエジプト調査の歴史は、1966(昭和41)年に、早稲田大学第一文学部学生であった吉村作治氏(現・早稲田大学名誉教授、東日本国際大学学長)を学生隊長とする早稲田大学の学部生5人と川村喜一講師(後の早稲田大学文学部教授)が実施したナイル川流域のジェネラル・サーベイ(図1)に始まります。2016(平成27)年で50年を迎えるのを記念して、早稲田大学會津八一記念博物館では、企画展「早稲田大学エジプト調査50年のあゆみ」が開催されています。調査50年を機に、これまでのエジプト調査を振り返るとともに、今後のエジプト調査50年を考えてみることにしましょう。

1.マルカタ南遺跡から始まったルクソール地区での調査

図2:魚の丘

 ジェネラル・サーベイの終了後、エジプト現地で発掘調査を実施することになり、最初の発掘地の選定がおこなわれました。中東戦争などの影響で決定までには時間を費やしましたが、最終的にエジプト南部の観光地であるルクソール市の西岸に位置するマルカタ南遺跡が発掘地として正式に決定されました。マルカタ南遺跡は、ローマ時代のイシス神殿(ディール・アル=シャルウィート)がある地でした。1971年12月から発掘調査が開始されました。発掘当初は、イシス神殿北東に位置するローマ時代の紀元後2世紀頃の住居址の調査が主体でした。また、住居址の下部からは、後期旧石器時代の石器や先王朝・初期王朝時代のパレット(化粧板)なども発見されています。1974年1月にイシス神殿北方の「魚の丘」(図2)で、新王国第18王朝時代アメンヘテプ3世の建造した彩色階段を伴う建物址が発見され、世界の注目を集めました。その結果、ルクソール西岸に、発掘調査の拠点である「ワセダハウス」が建設されました(完成は1976年12月)。このワセダハウスも建設から40年を迎えます。

 魚の丘の彩色階段発見を契機に、早稲田大学のエジプト調査研究は、有名なツタンカーメン王の祖父にあたるアメンヘテプ3世(在位:前1388~前1350年頃)時代を中心におこなわれるようになっていきます。マルカタ南遺跡の第8次調査期間中の1978年12月に、調査隊の初代隊長であった川村喜一教授が48歳の若さで逝去されました。こうした悲劇的状況の中でも、吉村作治先生をはじめ、故・櫻井清彦先生、故・渡辺保忠先生など多くの諸先輩方の協力を得て、エジプトにおける調査は、一度の中断もなく現在まで継続できています。

 アメンヘプ3世関連の調査としては、マルカタ南遺跡の後、ルクソール西岸岩窟墓群の調査、マルカタ王宮址調査、王家の谷・西谷アメンヘテプ3世王墓調査と保存・修復作業の(図3)実施し、現在でも、ルクソール西岸のアル=コーカ地区において、アメンヘテプ3世の高官ウセルハトの岩窟墓の発掘調査を2007年12月から継続して実施しています(図4)。このウセルハト墓(第47号墓)の調査中の2013年12月末には、「ビール醸造長」の称号を持つ美しい壁画で飾られた未知のコンスウエムヘブの墓を発見することができました(図5)。

図3:王家の谷アメンヘテプ3世墓

図4:ウセルハト墓の発掘

図5:コンスウエムヘブ墓の発見

2.アル=フスタート遺跡、ピラミッド調査などカイロ近郊の調査

 カイロ市南郊のエジプトにおける最古のイスラーム都市址であるアル=フスタート遺跡の調査は、1978(昭和53)年から1985年まで、アムル・モスクの東側で発掘が開始されました。調査は、早稲田大学から、出光美術館、中近東文化センターと調査主体を替えながら継続され、焼成煉瓦で建造された邸宅が立ち並ぶ都市の一角が明らかになりました。土器、陶器、ガラス器、ランプ、装飾品、道具、コイン等の多くの遺物が発掘されました。また、東西貿易の痕跡を示す大量の中国陶磁も発見されています。

 その後、カイロ付近では、ハイテクノロジーを使ったピラミッド調査が実施され、ピラミッド内部や周辺部の物理探査は、現在の「第2の太陽の船」プロジェクトに、そして人工衛星の画像解析による調査は、ダハシュール北遺跡調査に、サッカラの北部で展開したピラミッド調査は、アブ・シール南丘陵頂部遺跡調査に、それぞれ受け継がれ現在に至っています。現在、ギザ台地のクフ王の大ピラミッド南面では、第2のクフの船(太陽の船)のプロジェクトが進行中です。2011年6月に第2のピットの蓋石をあけ、解体・収納されている船の部材の引き上げ、部材の強化修復処理等をおこなっています。

 ダハシュール北遺跡は、人工衛星の探査をきっかけとして発見されたもので、中王国時代から新王国時代に至る広大な墓域で、これまでに100基以上のシャフト墓が発掘され、数基の未盗掘墓の発見がありました。中でも、中王国時代のセヌウや、セベクハトとセネトイトエスの墓からは、色鮮やかな木棺が発見されています。一方、サッカラの北西に位置するアブ・シール南丘陵頂部遺跡からは、新王国第19王朝ラメセス2世の第4王子であるカエムワセトの石造建造物が検出され、周囲からは初期王朝時代から末期王朝時代にかけての数多くの遺構や遺物が発見されています。また、カエムワセト王子の娘のイシスネフェレトの墓も発見されています。

3.これから50年を見据えた新たな段階へ

 早稲田大学のエジプト調査は、これまでの50年の間、中断されることなく調査を継続してまいりました。その間には、第3次、第4次中東戦争、サダト大統領暗殺事件、湾岸戦争、ルクソール事件、アラブの春、ムバラク大統領退陣、ムルシー大統領の誕生と退陣・逮捕など、エジプト国内でも大きな事件や政治情勢の変化に遭遇してきました。しかしながら、どんな時でも、エジプトにおける調査を継続してきました。

 私たちは、ナイル川の流れるエジプトの大地で旧石器時代からイスラーム時代にかけての数多くの遺跡の調査を実施してきました。調査した遺跡から多くのことを学んできました。今後は、エジプト政府と緊密な協力関係を維持しながら、エジプトの遺跡の保存・修復、そして活用の分野でも貢献していく所存です。50年間続いた早稲田大学のエジプト研究のともしびを決して絶やすことなく、今後新たな50年、すなわちエジプト調査研究100年に向けていきたいと願っています。そのためにも、エジプトに興味を持つ次世代を担う若き人々に大いに期待したいと思っています。多くの若者たちが、この世界に飛び込んできてくれて、伝統を継承してくれたら、どんなに素晴らしいことなのでしょうか。

近藤 二郎(こんどう・じろう)/早稲田大学文学学術院教授・早稲田大学エジプト学研究所所長

早稲田大学第一文学部卒業後、同大学院文学研究科博士課程満期退学。1976年より早稲田大学エジプト調査隊の一員としてエジプトで発掘調査に従事。1981年10月~1983年9月まで文部省アジア諸国等派遣留学生としてカイロ大学留学。専門は、エジプト学、考古学。著書に『ものの始まり50話』(岩波書店)、『エジプトの考古学』(同成社)、『ヒエログリフを愉しむ』(集英社)、『わかってきた星座神話の起源―エジプト・ナイルの星座』(誠文堂新光社)他多数。現在、早稲田大学文学学術院教授、早稲田大学エジプト学研究所所長。早稲田大学考古学会会長、日本オリエント学会常務理事。