早稲田大学の教育・研究・文化を発信 WASEDA ONLINE

RSS

YOMIURI ONLINE

ホーム > 文化 > 演劇博物館「あゝ新宿―スペクタクルとしての都市」展開催にあたって

文化

岡室 美奈子(おかむろ・みなこ)
略歴はこちらから

演劇博物館「あゝ新宿―スペクタクルとしての都市」展開催にあたって

岡室 美奈子/早稲田大学坪内博士記念演劇博物館 館長

1.スペクタクルとしての新宿

 学生紛争の嵐が吹き荒れていた1960年代、新宿は若者文化の中心だった。西口地下広場ではべ平連のフォークゲリラが集まって反戦フォークソングを歌い、名曲喫茶・風月堂には作家、芸術家やフーテン族が集い、DIG や新宿ピットインでは若者たちがモダンジャズに酔いしれた。横尾忠則や唐十郎、紀伊國屋書店創業者の田辺茂一までが出演した『新宿泥棒日記』を大島渚が撮り、新宿コマ劇場前の噴水広場ではデビューしたての藤圭子が『新宿の女』を歌い上げ、後述する『木島則夫ハプニングショー』など数かずのメディア・イベントが仕掛けられた。歌舞伎町はアジア一の歓楽街と謳われて眠らない街と化し、二丁目のゲイ・タウンは独自の発展を遂げつつあった。新宿は多種多様な文化がひしめき合う磁場であり、そこには猥雑でカオス的なエネルギーが幾重にも渦を巻いていた。新宿という街自体がハプニングを呼び込む一つの劇場、一つのスペクタクル、あるいは一つの祝祭広場を志向し、そこに集う誰もが登場人物であり観客だった。

唐十郎 小田急百貨店遠景
映画『新宿泥棒日記』(監督・大島渚/創造社/1969年/(C)大島渚プロダクション)

 街全体が劇場と化した新宿で、演劇は特権的な地位を獲得した。1964年に開場した紀伊國屋ホールは、演劇の街・新宿の形成に大きな役割を果たした。また、62年開場のアートシアター新宿文化でも、映画終了後の午後9時半から寺山修司、蜷川幸雄、三島由紀夫らが演劇を上演するようになった。67年には地下に小劇場・アンダーグラウンド蠍座がオープンし、ここから文字通りアングラ演劇が育っていった。早稲田大学近くの喫茶店モンシェリの2階には、66年に鈴木忠志、別役実、小野碩らが早稲田小劇場を開設し、数々の伝説的な舞台を生み出した。唐十郎率いる状況劇場は、戸山ハイツ、新宿ピットイン、花園神社、三光パーク、新宿中央広場、ボタンヌ袋小路と次々と場所を変えながら新宿を流浪し、街の異物であり続けながら鮮烈な演劇を生み出していった。新宿ではそこかしこに演劇が遍在したのである。

2.新宿メディアポリス

アートシアター新宿文化前(写真提供:新宿区立新宿歴史博物館)

 当時の新宿は、テレビや新聞などメディアとも密接に関わっていた。たとえば1968年5月18日、新宿騒乱事件のわずか5か月前に、日本テレビは『木島則夫ハプニングショー』を新宿コマ劇場前で生放送することを新聞広告により予告した。当日詰めかけた大群衆に身の危険を感じた木島は喫茶店に緊急避難したが、コマ劇場前は歌い踊り花火に興じる若者たちによって祝祭空間と化した。翌日の新聞はこの一大イベントを「失敗」として報じた。関係者の多くが鬼籍に入った今となっては真相を知ることは難しいが、はたしてどこまでが仕込みでどこからが本当にハプニングであったのか。

 翌69年には、当時テレビ東京のディレクターだった田原総一朗がドキュメンタリー『バリケードの中のジャズ~ゲバ学生対猛烈ピアニスト~』を撮り、大学紛争真っ只中の早稲田大学を、山下洋輔の激しいピアノ演奏によってまさに祝祭化してしまう。田原は、「ドキュメンタリーとは、実はすべて〈演出〉されたもの、つまり〈やらせ〉なのだ」と言い放った。これは田原が手がけたドキュメンタリーすべてに通底する思想だが、街全体が一つの劇場であった新宿ほどこの言葉がしっくりと馴染む場所はなかっただろう。虚実綯い交ぜの『新宿泥棒日記』がまさに新宿でこそ成立したように、当時の新宿では現実と虚構の境界はいとも容易く踏み越えられた。

 おりしも新宿騒乱事件直後の1968年11月1日、田辺茂一が会長を務める新都心新宿PR委員会は、文化放送から「新宿メディアポリス宣言」を発表し、「私たちは、新宿を『メディア』にあふれた都市にしたい」、「新宿では、すべてのものが、すべてのことが、『メディア』となる可能性を孕んでいる」と高らかに宣言したのだった。60年代の新宿はメディアと手を結び、メディアと一体化しつつ、虚と実の狭間で怪しげな煌めきを放っていたのである。

3.広場の喪失

花園神社前 状況劇場(写真提供:井出情児)

 70年代から80年代にかけて、若者文化の中心が渋谷に移行してしまうと、新宿はそのエネルギーを徐々に喪っていったように見える。もちろん、新宿独自の文化が気を吐いていた場所もある。新宿ゴールデン街、二丁目、紀伊國屋ホール、DIG/DUG、新宿ピットイン、JazzSpot J、スタジオアルタ、多国籍の街・大久保など、挙げればきりがない。新宿は常に多様な文化の街であり続けた。にもかかわらず、新宿が変わったと感じるのはなぜだろう。新宿はどこかで〈間違えた〉のだろうか。

 60年代の新宿を特徴づけていたのは、〈広場〉だった。64年に竣工した紀伊國屋書店新社屋の1階は「ひろば」と命名され、単なる通路ではなく人びとが集う場所として構想された。61年に完成した新宿駅西口広場の地下1階の西口地下広場には、68年・69年をピークとして学園紛争渦中の(あるいは学園紛争のために授業がなかった)若者たちやフォークゲリラが集った。ところが68年10月21日の国際反戦デーに、東口でデモ隊と機動隊が衝突する新宿騒乱事件が勃発する。西口広場でも69年6月29日、7千人が集まったフォーク集会にガス弾が使用され64人が逮捕された。同年7月24日に警視庁は「新宿西口広場は道路交通法上の道路にあたる」という見解を発表し、こんな看板が出現するに至る。「ここは広場ではありません。通路です。立ち止まらないでください。新宿西口警察署」。新宿の広場は突如、広場であることを禁じられたのである。

 当時の新宿駅周辺をめぐる状況が安保闘争やベトナム反戦運動など時代の刻印を帯びたものであったことは否めないが、60年代の新宿は、広場を志向するエネルギーと浄化を推進する力がもっともせめぎ合った場所だった。では、新宿は広場になり損ねた街なのだろうか。

4.磯崎新の幻の都庁案と多文化都市・新宿の未来

 砂川秀樹は、「新宿は、別の周縁性を誘引しながら周縁的イメージを蓄積させるとともに、それを払拭しようとする動きとのせめぎあいのなかで、街を再編成していく」と述べる(『新宿二丁目の文化人類学―ゲイ・コミュニティから都市をまなざす』)。この、周縁が周縁を引き寄せるという指摘は興味深い。なぜなら、その先に見えてくるのは、中心や頂点を志向せず、周縁同士が繋がり合う錯綜した都市の姿だからである。あるいはかつて演劇が新宿に遍在したように、中心が遍在する都市と言うべきか。

 建築家・磯崎新が提案し、実現されなかった幻の〈新東京都庁舎案〉(以下、「都庁案」)は、そのような新宿の本来的なあり方と符合するものだった。磯崎は、都庁案の「基本理念」冒頭で、「超高層は採用しない」と宣言する。磯崎は言う。「シティホールとしての新都庁舎の建築型として私たちが提案するのは、錯綜体モデル」で、「これは垂直・水平の交通を立体格子として編成」するものである、と。そしてこの都庁舎は、その中心に〈祝祭広場〉を擁しており、それは「都全体の中心広場」として構想されていた。すなわち、中心に頂点をいただくのではなく、祝祭のためのフラットな広場が想定されていたのだ。磯崎が構想したのは、各パーツが単なる部分ではなく生き生きとした局部として重層的に繋がり合うようなリゾーム型、あるいは網目状の都市空間だったのではないか。それはとりもなおさず、新宿を祝祭広場として再生させる試みであったのではないだろうか。

 磯崎が構想した〈錯綜体〉としての都市のイメージを、カオス的なエネルギーを秘め、光と闇、ハレとケを併せ持つ新宿という街のこれからに反映させること、すなわち、個々の人や文化が網目状に繋がり合う共生の場として構想することは可能なのではないだろうか。2020年の東京オリンピック・パラリンピック開催に向けて、新宿の浄化は加速されていくだろう。それでも新宿が均質化された他の都市とは一線を画し、多国籍の人びとと多様な文化が繋がり合い共生する祝祭広場を志向する限り、この街は今も可能性に満ちていると思うのである。

特別展「あゝ新宿―スペクタクルとしての都市 」展
会期:
2016年5月28日(土)~8月7日(日)
休館日:
6月1日(水)、6月15日(水)、7月6日(水)、7月20日(水)
会場:
早稲田大学演劇博物館・2階企画展示室
開館時間:
10:00~17:00(火・金曜日は19:00まで)
料金:
入館無料
主催:
早稲田大学演劇博物館・演劇映像学連携研究拠点
後援:
新宿区
協力:
磯崎新アトリエ、新宿区立新宿歴史博物館、株式会社紀伊國屋書店、劇団唐組、劇団唐ゼミ☆
企画協力:
宮沢章夫(劇作家・演出家・批評家)、松井茂(詩人・情報科学芸術大学院大学 准教授)、大塚聡(建築家・舞台美術)

岡室 美奈子(おかむろ・みなこ)/早稲田大学坪内博士記念演劇博物館 館長

早稲田大学坪内博士記念演劇博物館館長。文化構想学部教授。博士(芸術学、国立アイルランド大学ダブリン校)。早稲田大学大学院文学研究科芸術学(演劇)専攻博士課程単位取得退学。専門分野は、サミュエル・ベケットを中心とする現代演劇、演劇史、テレビ文化論、テレビ批評。共編著に『サミュエル・ベケット!―これからの批評』、『60年代演劇再考』など。日本演劇学会理事、フジテレビ番組審議会委員、ギャラクシー賞テレビ部門選考委員、コンフィデンス・ドラマアワード選考委員など。