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「安藤更生コレクション受贈記念 會津八一と安藤更生 −學藝の継承−」展に寄せて

徳泉 さち/早稲田大学會津八一記念博物館 助手

写真1

 早稲田大学會津八一記念博物館では、2016年11月28日より当館一階の企画展示室にて「安藤更生コレクション受贈記念 會津八一と安藤更生 −學藝の継承−」展を開催します。(写真1)

 安藤更生(1900~1970)は、早稲田大学名誉教授である會津八一(1881~1956)の高弟として知られ、會津の後を継ぎ早稲田大学文学部で長らく東洋美術史を講じました。氏の研究領域は極めて幅広く、中国、日本美術をはじめ、鑑真研究やミイラ研究でもよく知られています。近年、安藤氏の旧蔵品が御親族のご厚意により当館に寄贈され、安藤更生コレクションとして収蔵されました。

 會津八一、安藤更生の二人の出会いは安藤が早稲田中学に入学した時にまで遡ります。會津は当時、中学校で英語教師として教鞭をとっていました。安藤は在学中に會津より文学や歴史、芸術などの目を開かれ、會津を終生の師と仰ぐことに決めたといいます。以来、師弟関係は會津が亡くなるまで四十年余り続くことになりますが、師に対する深い敬愛は終生変わることがありませんでした。會津が英文学研究にはじまり、東洋美術史研究者、歌人、書家と多くの顔を持ったように、安藤もまた、早稲田大学にてフランス文学を専攻し、詩や歌を詠み、書画をよくしました。コレクションは安藤の多才さを物語るかのように、年代も幅広く古代から近現代、そして東洋から西洋まで実に多岐にわたります。

写真2

 會津は自分の門下生らに、学ぶ規範となる「学規」(写真2)を書き与えています。會津の「学規」は「ふかくこの生を愛すべし」「かえりみて己を知るべし」「學藝を以って性を養うべし」「日々新面目あるべし」という四則からなります。安藤は師の説く「学規」を胸に深く刻み、生きる指針としたようです。

 このたびの企画展では、安藤が會津の「學藝」をいかに継承したのか、さらに安藤が會津から受けた薫陶を糧に自らの「新面目」をどのように展開したのか、安藤更生コレクションを通して探っていきます。

 以下、出品作品の紹介を交えながら、師弟の出会いから別れまで、二人の交流の様子、さらに安藤が切り開いた「新面目」についてみていきましょう。

玄関子から研究会の中心的人物へ

 安藤は早稲田中学校卒業後、大学に進学した後も、師を慕い秋艸堂(會津宅)に入り浸り、留守番玄関子を勤めたといいます(大正11年前後)。当時、會津は中学校教師として勤めながら、奈良の風光に心魅かれしばしば奈良へ出かけています。その旅先で歌を詠み、奈良美術に傾倒していきますが、安藤も時にその旅路に同行していました。大正12年(1923)には、會津を中心に奈良美術研究会が創設され、安藤はその幹事となります。會津からの薫陶を受け、さらに門下生同士との切磋琢磨により、安藤の奈良美術研究が深められていったのでしょう。翌年に安藤は建築会社あめりか屋に入社しますが、そのかたわら奈良美術に関する研究を続け、次々と論文を発表していきます。一方、會津は中学校を辞職後、大正15年(1926)より早稲田大学文学部にて東洋美術史を講じはじめます。會津門下生らの研究会である奈良美術研究会は、その後東洋美術研究会、木曜会などと変わっていきますが、こうした研究会の中心人物となったのが安藤でした。

北京滞在から帰国、再び早稲田大学へ

 昭和13年(1938)、安藤は日中合弁の印刷会社である新民印書館の編輯課長となり北京に渡ります。北京滞在は8年にも及び、その間の活動は多岐にわたりました。各地の古跡保存の実情調査や中国文化人との交流、そしてライフワークとなる鑑真研究のフィールドワークも重ねられました。

 昭和20年(1945)終戦後、會津は早稲田大学教授を辞任します。一方、安藤は翌年に北京から日本へ引き揚げてきます。帰国後の安藤をしきりに心配し、安藤を早稲田大学講師へと推挙したのが會津でした。(写真3)は、その旨が記された會津からのハガキ(昭和21年(1946)5月27日付)です。

早大文学部の空席に対して貴下と小杉とを推薦致しおき候間、なるべく早く日高、山内、赤松の諸氏へ御面談相成度候。さしあたり三単位ある筈にて候。話は直接になし被下度候。

 安藤は、會津の後を継ぎ昭和21年(1946)より早稲田大学で講師として勤め始め、71歳で病没するまで早稲田大学の教壇に立ちました。

写真3

写真4

藝の継承

 會津は書家としても著名であり、さらに中国・日本書法史の研究者でもありました。安藤は中学時代、會津に頼み書の手ほどきを受けたそうですが、それは渦巻きと直線を徹底的に引くという會津独自の練習法から始まったといいます。會津は、中国の古典などを手本とすることを嫌い、自らの独創性を追求した書家でありました。そのため、弟子たちが自分の書を真似ることもひどく嫌がったと安藤は回想しています。

 今回の企画展では、安藤が旧蔵していた會津の書作品とともに、安藤自身が揮毫した書(写真4)を並べて展示します。安藤が師の書風から離れ、どのように独自の書を形成していったのか。師弟の作品を見比べてみてください。

師弟のやりとり

 安藤更生コレクションには、會津から送られた書簡が159通も含まれています。會津の筆まめさにも驚かされますが、安藤がこの書簡を大切に保存していたことも注目すべきでしょう。手紙の内容は、大学の実務的なことから安藤の暮らし向きへの心配、さらに学問の取り組みに対する厳しい叱咤激励など様々です。中でも安藤とその同僚である小杉一雄(1908~1998)への連名で宛てた便箋22枚に及ぶ長文の手紙は、會津の弟子に対する並々ならぬ激しい感情が溢れています。

両君に対して失礼ながら、両君はただ會津八一の遺業を守るといふだけでなく、早稻田大学に於て東京美術史の研究をますます發展向上せしめ以て世界文化に貢献さるる御つもりにて御努力ありたし。(一部抜粋)

 安藤は、會津の高い理想、期待と愛情をどのような気持ちで受け止めていたのでしょうか。今回の展示作品には安藤が會津の葬儀の際に読んだ弔辞原稿があります。弔辞の中で、

わたくし共は先生のご遺訓を體しかへりみて己を知り日々新面目あるべきことを更めてお誓ひ申し上げます

 と述べています。この言葉の通り、會津没後の安藤はより精力的に研究、教育へ邁進し、鑑真研究やミイラ調査、地方文化財の調査や文化財保護への取り組みなど独自の「新面目」を展開していきます。

欧州滞在と民芸品

写真5

 上記のように安藤の「新面目」は様々な領域にわたりますが、本企画展では、昭和37年(1962)早稲田大学海外研究員として西欧に滞在した事績を取り上げました。フランス、イタリアでの学術講演、ヨーロッパ各地の美術館博物館、遺跡などを実に精力的に巡っています。とりわけギリシア訪問は感慨深かったようです。というのも、師である會津は奈良美術の淵源であるギリシアに強い憧憬を抱きながら、その地を踏むことはありませんでした。安藤はギリシアで「師のお供をしているような気持ち」で歩を進めたとし、亡き師への思いを覗かせています。

 安藤はこの西欧滞在中、ヨーロッパ各地で人々が日常生活で使っている皿や盆、帽子や布製品などの民芸品を買い集めました(写真5)。民芸品はその地の人々が幾世代もかけて生み出し、育んで来た造型であり、その民族や国民の持つ造型力の基盤となるものと、安藤は民芸品に対する思いを語っています。

 こうした洋の東西、作家の官・民を分け隔てなく旺盛な好奇心で研究していく姿勢は、師匠である會津から継承したものであり、安藤の美術史研究の大きな魅力の一つであるといえましょう。

 本企画展ではここに紹介しきれなかった書簡や會津と安藤が共同で発行した学術雑誌など、様々な資料を展示いたします。40年あまりを共に過ごした弟子である安藤を通して改めて見直すことにより、また新たな會津八一像が浮かび上がってくるのではないでしょうか。

 皆さまのご来場を心よりお待ちしております。

「安藤更生コレクション受贈記念 會津八一と安藤更生 −學藝の継承−」展
会  期:
2016年11月28日(月)~2017年1月21日(土)
会  場:
早稲田大学會津八一記念博物館 一階企画展示室
開館時間:
10:00~17:00  (会期中の金曜日のみ18:00まで)
休 館 日:
日曜・祝日(ただし、12月23日—1月5日は冬季休館)
料  金:
入場無料

徳泉 さち(とくいずみ・さち)/早稲田大学會津八一記念博物館 助手

早稲田大学大学院文学研究科博士後期課程を経て、2016年4月より現職。専門は中国南北朝書法史。