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2018年度 會津八一記念博物館企画展「日比義也コレクション受贈記念 石を愛でる−盆石書画の世界−」に寄せて

徳泉 さち/早稲田大学會津八一記念博物館 助手

図1

 早稲田大学會津八一記念博物館では、2018年11月27日(火)から2019年1月19日(土)の期間、「日比義也コレクション受贈記念 石を愛でる−盆石書画の世界−」展を開催いたします(図1)。なお、当館は現在改修工事中につき、この度は早稲田キャンパス大隈記念タワー(26号館)10階125記念室での展示となります。

日比義也コレクション

 日比義也氏(三重県四日市市在住)は鉄道会社運営のご本業のかたわら、多年にわたり日本中国の盆石を主題とする書画の蒐集、研究に傾注されてきました。2017年、良縁に恵まれ、氏のコレクション80点あまりと関連書籍一式を會津八一記念博物館にご寄贈くださることとなりました。本展ではコレクションのお披露目を兼ね、精選して25点を展示いたします。当コレクションは、江戸時代から昭和にかけての書画を中心とし、さらに中国絵画作品6点も含みます。作者を一覧すると歌人や俳人、儒者、僧侶、書家、画家、篆刻家など実にバリエーションに富む顔ぶれが並ぶことに気づかされますが、彼らに共通することは石を愛したという一点につきます。当コレクションは石から受けた感興をもとに作られた詩歌や書、絵画などからなります。今まで、中国、日本における愛石文化の重要性は認識されながらも、あまり顧みられることはありませんでした。日比コレクションは知られざる愛石文化の内実を生き生きと伝える貴重な、かつ唯一無二のコレクションといえます。

 人々が如何に石を愛でたのか、石の何処に魅了されたのか。以下、コレクションからいくつかの作品を取り上げ探ってみましょう。

米芾(べいふつ)の奇石愛好

図2 鏑木雲潭筆 「米芾拝石図」 軸 絹本着色 26.4×32.2cm(日比義也コレクション)

 まず、はじめにこちらの作品をご覧ください〈図2〉。画面向かって左には、人の背よりも高くやや傾きながら立つ、ごつごつとした奇妙な形の石が表されています。画面中央には、威儀を正した官人姿の男が背を曲げて石に相対し、その後ろにはお付きのものが半ば呆れたような顔で見守っています。この中央の男は中国きっての愛石家、北宋時代の米芾(1051-1107)であり、彼が石を拝む姿を描いたものです。米芾は書画をよくし、優れた鑑識眼を具えた古書画の収集家としても有名ですが、奇矯な性格でも知られ多くの逸話を残しました。過剰なまでの石の愛好もその一つといえましょう。彼が無為軍(安徽省無為県)の知事となった時、役所の庭にあった奇石を見つけると、左右の者に命じて袍(ほう)と笏(しゃく)を取り寄せて正装し、石に礼拝して「石丈(石の兄上)」と呼んだといいます(葉夢得『石林燕話』)。米芾は石の蒐集に夢中になるあまり、時には公務を忘れ、終日部屋に閉じこもり石を愛玩しました。米芾が定めた名石の条件として「秀・痩・雅・透」の四語が伝わります(漁陽公『漁陽石譜』)。秀とは高く聳えること、痩とは石体が痩せていること、雅とは上品であること、透とは孔が透けて見えること。その特徴を並べてみると、日頃、我々が河原で目にするような日本の石とは随分趣が異なることに気づかされます。米芾が拝んだという石は、蘇州の太湖で採れる所謂、太湖石です。太湖石は長年水中に浸り波浪の衝撃で無数の空洞が作られ、表面は研磨されて滑らかになり独特の艶を放ちます。米芾は人の手が加わらない、自然の造化の妙に魅了されていたのでしょう。

石を愛で、仙境に遊ぶ

図3 市河米庵筆「二行書」軸 紙本墨書 104.5×27.8cm(日比義也コレクション)

 ところで、太湖石にご執心であったのはひとり米芾だけではありません。唐時代の詩人白居易もまた太湖石を熱愛し、太湖石を詠んだ詩を残しています。奇石を庭園に配したり、書斎に置いて飾る、石への愛好は唐代、宋代以降も連綿と受け継がれ、中国の文人文化のなかで洗練、醸成されていきました。さらに、それは日本にも伝わり、中華の美風を追い求める江戸時代後期の文人たちに大きな影響を与えます。

 〈図3〉をご覧ください。幕末の三筆にも数えられる市河米庵(1779−1858)の書です。米庵は米芾を尊崇することひととおりではなく、米芾にならうように書画骨董の蒐集につとめ、やはり石の収蔵や愛玩にも手を染めました。

 ここに書かれる「洞天一品 元章の石」とは米芾(字は元章)が愛蔵していた石のことです。この石には八十一の孔があいており、大きな孔で碗ほど、小さな孔は指が入るほどでした。清らかな光沢に魅入られ、米芾は百人もの人を雇ってこの石を自らの書斎に運び込みました。米芾の書斎におさまったこの石には甘露がくだり、潤いがつきることがなかったといいます(「西山書院帖」「甘露帖」を参照)。この石に名付けられた「洞天」とは名山の洞窟、さらにその内部に広がる神仙世界を指します。太湖石にあいているこの「穴」こそが重要で、愛石家たちは穴を覗き込み、その空洞に別天地を想起して仙境に心を遊ばせました。米庵もまた、机上に中国から将来された太湖石を飾り、日がな一日眺めて山中に遊ぶ仙人の気持ちを味わったと述べています。庭園や書斎に石を飾り、愛でるということは、石を媒介にして別世界、壮大な宇宙を自庭や卓上に引き込むことであり、自らをそこに誘引させる営為であったと言い換えてもよいでしょう。

富岡鉄斎筆「石譜」にみる文人遺愛の石

図4 富岡鉄斎「石譜」明治37年(1904) 帖 紙本着色 14.6×9.8cm(日比義也コレクション)

図5 富岡鉄斎「石譜」明治37年(1904) 帖 紙本着色 14.6×9.8cm(日比義也コレクション)

 米庵にとっての愛石は、米芾、さらには中国文人文化への思慕を抜きにしては語れないものです。米庵に限らず、江戸の文人たちの愛石熱は中国への憧れに由来するところが大きいと思われますが、では、彼らはどのような石を所蔵していたのでしょうか。それを鮮やかに伝えてくれる面白い作品があります。手のひらに収まるほどの可憐な画帖は、富岡鉄斎によるもので、和漢の愛石家たちの蔵した石が一頁に一石ずつ描かれています。ここでも筆頭を飾るのはやはり米芾です。米芾遺愛の石の図〈図4〉をみると、中央に丸く池が広がりそれを囲むようにして大小の突起のある石が連なっています。彩色された美しく透き通る群青色が清麗な山水を思わせます。鉄斎は米芾の愛蔵する石を実際に目にしたわけではありませんので、彼の夢想する石の姿を描いたものでありましょう。次の頁には、明代の画家藍瑛の石、そして谷文晁、梁川星巌(やながわせいがん)〈図5〉、小田海僊ら錚々たる江戸の文人たち遺愛の石がつづき、最後は鉄斎自らが愛した梅花石が描かれ帖がしめくくられます。江戸の文人たちがどのような形状の石を愛でていたのか、さらに鉄斎がその石にどのような想いを抱き、描き残そうとしたのか。頁をめくるごとにたのしみは尽きません。

 本展では、石をモチーフとする書画作品ばかり25点を展示いたします。描かれた石、詠まれた石、書かれた石など、それぞれの石にはその石を愛でた人の想いが込められています。それらを眺めながら、物言わぬ石がもつ物語に耳を傾けてみてはいかがでしょうか。

 皆さまのご来場を心よりお待ちしております

徳泉 さち(とくいずみ・さち)/早稲田大学會津八一記念博物館 助手

早稲田大学大学院文学研究科博士後期課程を経て、2016年4月より現職。専門は中国南北朝書法史。