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▼大隈講堂物語—早稲田を訪れた人びと—

2)「若い人は発言する権利がある」—1960年代

小島 英記(1970年政治)/作家・早稲田学報編集委員

R・ケネディ対話妨害事件
来校したロバート・F・ケネディ米司法長官
来校したロバート・F・ケネディ米司法長官

大隈講堂で「学生討論会」に臨むケネディ。翌63(昭和38)年、兄のジョン・F・ケネディ大統領がダラスで暗殺される。この年にロバート・ケネディ奨学基金が設定された

 禅を世界に知らしめ近代日本最大の仏教者といわれた鈴木大拙が「東洋文化の根柢にあるもの」を講演したのが60(昭和35)年5月27日。東京専門学校中退、東京帝大文科大学哲学科選科修了。

 61(昭和36)年12月14日、駐日アメリカ大使エドウィン・ライシャワーが「世界における近代日本」を講演した。宣教師の次男として東京府で生まれ東洋史を研究、松方ハルと再婚、ハーバード大学燕京研究所長。ケネディ大統領の要請で駐日大使に。安保闘争でギクシャクした日米間の対話に努力した。

 62(昭和37)年2月6日、ロバート・ケネディ米司法長官が大隈講堂の「学生討論会」に出席するが、過激派学生に妨害された。「毎日新聞」の記事を参考にすると、大隈講堂はぎっしり満員。定員2000人あまりのところへ4000人以上が入り、講堂前に3000人くらい残った。ケネディ長官夫妻、ライシャワー大使に割れるような拍手と「帰れ、帰れ」のヤジ。さらにこれを制止しようとする声……。会場が静まるのを待って長官は口を切った。「関心をもって、みなさんと話し合う機会を」。

 この時、壇上近くにいた学生がビラをふりかざして叫んだ。長官は学生を壇上に呼び上げた。学生は長官と並び立つと「ケネディ氏に問う」との公開質問状を読み上げはじめた。通訳が「質問だけにしてほしい」と注意、会場からも「早大のツラよごしだ。降りろ」とたしなめる声が飛ぶ。悪いことに電源が切れ、マイクが通じなくなった。長官は演壇の 一番前まで出たが、張りあげる声は騒然とした空気に消され、ようやく静かになったころは、予定時間(1時間)もなかば過ぎてからだった。

 長官は静かに訴えた。「アメリカ人は決して他の国を支配しようとか、統制しようとはしていない。個人の意見は発表する自由があり、とくに若い人は発言する権利がある。野党、反対勢力も大切だと思っている(……ヤジで中断……)。我々は、国家は個人のためにあ ると信じている」。十分な対話もできず終了、校歌合唱とエールを指揮した応援団員に胸からネクタイピンをはずしプレゼント、右手を高くかざしながら去った。

「地球は青かった」
ソ連宇宙飛行士 ユーリー・ガガーリン
ソ連宇宙飛行士 ユーリー・ガガーリン

1962(昭和37)年5月23日、講演「宇宙旅行の準備を!」を行った

 「地球は青かった」の言葉で知られる世界初の有人宇宙飛行士、ソ連のユーリー・ガガーリン少佐が、記念会堂で「宇宙旅行の準備を!」と題し講演したのが5月23日。「広い宇宙はわれわれ人間を待っている。みなさんの中からも宇宙人が出るよう準備にとりかかってください」。68年、飛行指揮官になる訓練中、墜落死、34歳だった。

 64(昭和39)年9月9日、『鞍馬天狗』などで著名な大仏次郎が「文芸随想」と題し講演。作家になる過程や直木三十五、菊池寛、久米正雄らのエピソードを紹介した。同24日には桑原武夫京大教授が「日本の近代」を講演した。スタンダールやアランの研究、学際的な共同研究システムを推進した戦後の文化的指導者の一人だ。

松下電気産業会長松下幸之助
松下電気産業㈱会長松下幸之助

1965(昭和40)年6月18日、名誉博士学位を贈呈された

 安部磯雄生誕100年記念講演(10月1日)で、片山哲前衆議院議員(元首相)が「社会党党主としての安部磯雄先生」を講演。「学校野球を創めた安部先生。社会主義政党の生みの親、社会党の創設者としての安部先生。社会純潔、社会正義、秩序の保持を希求する思想家としての安部先生。相関連を致しております……」。

 実存主義が最後の光芒を放った時代だ。65(昭和40)年5月27日、仏思想誌「エスプリ」のJ・ドムナック編集長が「現代における知識人の役割」について「我々が確実な保証を求め得るのは、未来においてではない。それは現在、今日の我々の闘い、真の人間精神の様相が否認しているものすべてに対する反抗にある。私にとって、知識人とはまずこの意味である」と語った。

 66(昭和41)年5月18日、ガブリエル・マルセル仏政府文化使節が「状況と真理」を講演。フランスを代表する実存哲学者は「われわれ一人一人は偽りの状況の中に拘束され、そこから出ることができないのであるが、かかる偽りの状況について反省することが何よりも必要なのである」と述べた。

警官隊と学生がぶつかりあう
警官隊と学生がぶつかりあう

(「1968年 商学部卒業記念」アルバムより)

 この頃、学園紛争が激化し、講演も少なくなる。11月にフランスのヌーボー・ロマンの旗手の一人、ミシェル・ビュトールが仏政府文化使節として、「ギョーム・アポリネールとフランス近代詩」を講演。

 69(昭和44)年6月24日、インディラ・ガンジー・インデド共和国首相に名誉法学博士号。ネールの娘でインド共和国史上、最も強力な指導者となる。84年、シク教徒の警護警官の銃撃で死亡した。「『なぜ?』と質問するのは常に若者の特権だったのです。この『なぜ?』という一語から哲学も改革も反乱も生じたのです」。