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▼こんな授業! どんなゼミ?

現象学の未来-己から出発する哲学-
国際教養学部 竹田青嗣ゼミ

岩内 章太郎/国際教養学部4年

 現象学では始発点を自分に置かなければならない。竹田青嗣教授は、ゼミ生にまず自分の経験から出発して、そこから自己と他者を了解し共存する可能性を探るのが大切だと言う。竹田ゼミに入ってくる学生の多くは、過去にさまざまな挫折をする中で、自分と向き合わざるを得なくなった人間が多い。家族関係や恋愛を機軸として、自己の世界観に歪みが生じてしまうのだ。この歪みの構造は自分自身で考えてもなかなか見つけることが難しく、他者という存在によって捉え直される事が必要だ。

 竹田ゼミではフッサールの基本テキスト『イデーン』を講読しながら、さまざまな概念の本質(意味)について議論する。それは竹田先生が現象学から取り出した一つのエッセンスである本質観取という方法によって議論される。本質観取について簡単に述べると、ある概念について自分の経験を反省し、そこからその概念の核心的な意味を取り出すことといえるであろう。

 例えば、失恋の本質について議論した場合、みんな最初は「悲しい」とか「苦しい」といったシンプルな意味から出発する。徐々に議論が進むにつれて、失恋に共通する構造に近づいていく。この本質観取という方法を使った議論の魅力的な部分は、誰でも自分の経験を反省することによって、言語ゲームに参加できるという点にある。そこでは外部から得た知識よりも大切な自らの経験という側面があるため、本質観取をすると自己に向き合わざるを得なくなる。そして、哲学が自らの生に還元されるのだ。

 私自身、哲学はもう無用なのかと考えていた時期があった。何かを学んでも自分の苦しみや悲しみには役に立たなかったからだ。しかし、竹田先生は考えをまず自分の言葉にしてみろと私に言う。私は恐る恐る言葉にしてみる。誰も否定はしない。思想家を学ぶことと同じくらい、自分を捉えなおすということが哲学にとって重要であると先生に教えられたとき、私は竹田現象学の未来を信じていた。

(提供:早稲田ウィークリー