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天国の恩師に捧げた
フェンシング「大学日本一」の称号

平石 典子/教育学部4年

 2011年10月、インカレで優勝を果たし、フェンシングのフルーレで大学日本一となった平石さん。優勝が決まった瞬間、仲間と抱き合って喜んだが、時間が経つにつれて寂しさも感じた。優勝報告をすべき恩師・川名宏美監督が9月にこの世を去っていたからだ。「早稲田に来ないかと誘ってくれたのは川名監督です。監督がいなかったら、私はここにいなかったかもしれません」。川名監督はよく「平石が本物になるには、あと一歩先に進まないとだめだな」と口にしていたそうだ。「スポーツの恩返しは結果を出すこと。でも、間に合いませんでした…」。そう話す平石さんの目には、大粒の涙があふれていた。

初めてインカレで勝ち取った金メダルは、喜びもひとしお

 平石さんは普段はノリが良くてざっくばらんで、すぐに涙を見せるタイプではない。フェンシングを始めた頃の印象を尋ねると「勝った時の爽快感に病みつきになりました! 私は負けず嫌いなので、フェンシングを始めた頃はとにかく勝つのが楽しかったです」と間髪入れず返事が返ってきた。小学校2年生から中学校までは近所のクラブチームに所属し、高校でも厳しい練習に明け暮れた。

 クラブチームの先輩が進学していたこともあり、幼い頃から早稲田大学に憧れていた。また、大会などで目にする早稲田フェンシング部の雰囲気にも惹かれていたという。「自主的に活動していることがはた目にも分かるんです。だから“やらされ感”がゼロ。私も自分が楽しいことをとことんやりたいタイプなので、今はとても楽しくフェンシングができています」と平石さんは話す。では、つらい時期やスランプはなかったのだろうか? 「大学1年生の時に大事な大会で負けてしまい、日本代表に落選したことがありました。つらかったですね。2カ月間くらいずっと落ち込んで…。でも、『これで腐ったら本当の負けじゃん!』と思って立ち直りました。当時は気付きませんでしたが、『日本代表になって当たり前』というおごりがあったのかもしれません。だから、今振り返ると良い経験だったと思います」。苦い経験を経て、平石さんのフェンシングは少しずつ磨かれていく。

満面の笑顔で「W」ピース

 10月のインカレは川名監督を偲び、喪章をつけて臨んだ。「今年はいける」、不思議とそんな確信があった。しかし、予選は大苦戦。あっという間に2連敗してしまう。「プレッシャーには強いつもりでしたが、足が動かなくて…。でも隣で試合をしていた後輩が『練習通りに動けば、大丈夫です!』と声を掛けてくれ、そこから何とか持ち直しました」。3勝2敗、まさかのギリギリでの予選通過。しかも試合内容が悪かった。「負けても仕方ない試合内容でしたから、逆に自分は1回終わったようなものだと吹っ切れました」。「もう、失うものはない」、そう思って臨んだ決勝トーナメントでは体にキレが戻った。順当に勝ち上がり、その勢いのまま決勝戦も勝利。「川名監督! 私、一歩進みましたよ!早稲田の看板を背負って優勝しましたよ!」。優勝の余韻が残るなか、平石さんは心の中で繰り返し叫んだ。

 念願の優勝を果たした平石さんに、今後の目標を聞いてみた。「次は団体戦での優勝です。インカレで優勝できた理由の一つは、部員のみんなが応援してくれたから。今年は4年生になるので部全体を引っ張っていきたいですね。結果を出して、これまで先輩たちがしてきたように『早稲田のフェンシング部は強い、かっこいい』と思わせたいです」。意気揚々と目標を話す平石さん。その勢いは、まだまだ衰えることはなさそうだ。

大学2年生の時のインカレにて。前列右から4番目が川名監督

優勝後、仲間と込み上げる喜びを分かち合う

(提供:早稲田ウィークリー

平石 典子(ひらいし・のりこ)/教育学部4年

愛媛県出身。教育学部4年。三島高等学校卒業。小学校2年生からフェンシングを始める。趣味はショッピングで、休みの日は洋服を見に行くことが多いとのこと。「遊びも全力」が信条。「友達と遊ぶときは、もう思いっきり騒ぎます。でも、何もしない一人の時間も好き!」